蒼太/鳥羽
3_061200bk14_gen
3_061200bk14_gen
未だ見ぬ夢
「ただいまぁ」
久しぶりの我が家。
四日ぶり、くらいだったと記憶している。カレンダーとあまり関係ない仕事なのは昔から変わっていないから、それほど気にもせず靴を脱ぎ捨てた。
玄関には、自分以外の靴がきちんとそろえて置いてある。
まだいたんだ、とだけ思った。
古い友人が……友人と言うにはもう少し複雑な関係なのだが……ちょっとした事情で再会したことから、ときどき遊びに来ていた。数日前に出勤するときにも勝手にくつろいでいたが、まだとどまっているとは思わなかったのだ。
「ただいまー、蒼太くんが帰りましたよー?」
靴があるからには、いるはずだ。きれいに片づけられた部屋を見渡す。
部屋の隅には、最近置かれた猫用のトイレ。
これまたちょっとした事情でいっしょに暮らすことになった彼女も、姿が見えない。彼が外へ出したのだろうか。
「みゆー、鳥羽さーん?」
そういえば、あの二人……一人と一匹は、やたらと意気投合していたな、と思いながら、ベッドルームへつづくドアを開ける。
全身から力が抜けそうになった。いや、実際ドアに寄りかかってしまった。
「…………」
よれたシャツを着た男と、太った三毛猫が、寄り添って気持ちよさそうに寝ている。
男は、辣腕のエージェント。猫は、ついこの前まで野良だった。
外の世界に向けて常に神経をとがらせていたであろうその双方が、第三者の闖入に対して、これほど無防備でいていいものか。
「鳥羽さん!」
ばちっと明かりをつけ、わざと足音を立てて、ベッドに歩み寄った。頬に影が落ちるほどの長い睫毛がぴくりと動き、三角形の耳が虫を払うようにちらりとひるがえったが、それ以上の動きはない。
ベッドサイドで見下ろすと、彼は驚くでもなく、ただ眩しそうに薄目を開けてこちらを見やった。
「あー? おかえり……」
一瞥であいさつは済んだとばかりに、傍らの猫を抱き寄せ丸くなろうとする。彼の腕に頭を置いていた彼女も目をつむったまま、あくびをするように口を開け、声を出さずに鳴いた。
まったく、無防備にもほどがある。
「ぼく、おなかすきました!」
肩を揺すって起こすと、彼はようやく目を開ける。
「ああ……もうそんな時間?」
もぞもぞと起き上がる彼の腕からすべり落ちた三毛猫は、しぶしぶといった様子で身体を伸ばした。
その身体をすくい上げ、鼻先をくっつける。
「みーゆ! ただいまー、久しぶりー」
「みゃあ」
聞こえるかどうかぎりぎりの声を上げ、彼女はひらりと腕をすり抜けた。何事もなかったかのように床へ着地すると、今の今まで昼寝仲間だった男のあとをついていく。
「裏切り者ぉ……」
低く呟いて、ジャケットを皺だらけのシーツの上に放り投げた。
彼女は、キッチンの床で顔を洗っていた。
椅子の背に腕をあずけて、そんな猫を見下ろす。
「みゆー」
いわゆる猫なで声で呼んでみるが、彼女はちらりとこちらを見ただけで、とくに関心もなさそうに毛づくろいをはじめた。
「きみさあ、蒼太さん大好きって言ったよね?」
「みゃあ」
それは肯定か否定か。
「なんだ、その妄想は過労のせいか? サージェスも人使いが荒いな」
頭の後ろから、彼の声が飛んだ。ふり向いたが、目に入ったのは背中だけ。シンクに向かって忙しく夕食を作っている。香りからして、今日はシーフードのなにかだろう。
「妄想じゃないですよー。サージェスが人使い荒いのは否定しませんけど」
任務の内容はどれもこれもトップシークレット。だから当然、彼はこの猫にまつわるアドベンチャーの数々をなにも知らない。
彼が彼女の秘密を知らない、知り得ないのを承知の上で、好き勝手にしゃべりつづける。
「この子、女子高生なんですよ? 手ェ出したら罪に問われますよ?」
案の定、呆れかえった声が返ってきた。
「あのなあ……猫とどうこうする趣味はないし、おまえの擬人化妄想につき合ってやる義理もないんだよ俺は」
「いっしょに寝てたくせにぃ。鳥羽さんもみゆもひどいや……」
「はいはい、じゃあ今夜は蒼太くんもいっしょに寝ましょうねえ」
子どもをなだめすかすような、人をバカにした口調。現役時代を思い出し、一瞬目を細めかける。……いや、だまされてはいけない。
「みゆとですか鳥羽さんとですか」
「みんなで」
「……鳥羽さんはさっきみゆと寝てたじゃないですか! ていうかぼくがいないあいだずっと! 今日はぼくにゆずってくださいよ!」
初めて、彼がふり向いた。真顔で、手にしていた包丁を突きつけられる。
「いいか、たまにしか帰ってこない男と、食べさせてくれる男。おまえならどっちを選ぶ」
「……………」
反論のしようもない。だが、みゆとはごく普通の出会いではないし、つかの間だが意思の疎通もできた。そこには、利害関係以上の絆があると信じたい。
彼女の仮の姿を思い浮かべて、頬がゆるんだ。厳密に言えば、自分の女性の好みとは少しベクトルがちがったが、それでも女の子がかわいいことに不満などあろうはずがない。
「みゆー、今夜はいっしょに寝ようねー」
世界でたった一人の理解者である、この自分の誘いを断るわけがない。
ところが、その世界一の誘い文句は彼女の聡い耳には届かなかったらしく。椅子とテーブルの下をくぐった彼女は、食事の用意をしている男の足にじゃれついた。
「よーしよし、みゆ、もうちょっと待ってろ。今日はおまえのついでに、もう一人ぶん作らなきゃならないんだ」
「ぼく、ついでなんですか……」
仮にもこの部屋の家主なのに、どうも居候たちからないがしろにされている気がする。二人がこれほど仲良くなっているというのも計算外だったし、心外だった。
椅子から降りて、彼の足から彼女を引き剥がす。
抗議めいた「みゃあ」という声も気にせず、抱き上げて目の高さまでその小さなひたいを持ってきた。
「……ねえ、年ごろの女の子にこんなこと言いたくないけどさ、きみ太ったでしょ。食べて寝てばっかいるからだよ」
彼女の顔が近づいて、小さな口が開く。噛みつかれる、と首をすくめた瞬間、冷たい舌が鼻先をぺろりと舐めた。
「みゆ、なんだって?」
「蒼太さん大好き、だって~」
残念ながら、今は彼女と会話できない。だからなにを言っても妄想になってしまう。
「あっそ」
彼は呆れた顔でフライパンをひるがえした。
久しぶりに彼女と二人っきりの夜を過ごす、という目論見は、あっさり阻止された。
彼を真ん中に、自分と彼女。逆・川の字とでもいうのだろうか。
「ははは、猫が二匹もいると狭いなあ」
「ぼく的には、鳥羽さんがみゆと同じ身分なんですけど……」
しかし、彼女から引き離されたのが悔しい。もちろん彼の身体ごしに手を伸ばせば、やわらかい毛皮に触れることはできる。だが、そうではないのだ。
「みゆー、みゆー、こっちおいで、こっち来てよ、来てください、みゆちゃーん」
「今度は下手に出るのか」
その低姿勢が功を奏したようで、彼女は差し伸べた手に頭をすりつけ、二人のあいだに割り込んできた。
「な、だまされるな、みゆ!」
「やっぱりみゆが愛してるのはぼくなんだね~!」
しばらく騒いでいたが、大の男が猫をあいだにもめているという図に気づき、二人とも苦笑混じりに黙り込む。なんて平和な、なんておめでたい時間だと思いながら。
二人のあいだにすっぽりと挟まったかたちの三毛猫は、もうそこから動く気はないらしく、丸くなっている。
「元野良猫……か」
「ん?」
拾われるまで、自分の価値を見いだせなかった。彼女はそう言った。
それは、まるで……
「いいえ。おやすみなさい」
くだらないことを考えたな、と苦笑して、目を閉じ彼にすり寄る。彼の腕が、優しく肩を抱いてくれた。
「おやすみ」
「みゃあ」
ざらついた猫の舌が指先を舐め……手探りで触れた毛並みの感触を楽しむ間もなく、意識が遠くなる。
数分後には、元野良猫が三匹、身を寄せ合って寝息を立てていた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます