映司/アンク
【KISS×KISS】
抜けるような青空を見上げながら、映司はベンチにもたれてアイスキャンディをかじっていた。
今の所持金を考えるとむだ遣いになるのかもしれないが、なければないでなんとかなると思っているから切迫感はない。朝からなにも食べていないし、連れが「アイスを食べたい」と言えば「じゃあ俺も」となるのは自然の流れだろう。なにしろ今は夏だ。
「あああ!」
隣のベンチから、悲痛な叫びと続いて口汚い罵声が聞こえてきた。見ると、パンキッシュな金髪の青年が足下を睨みつけている。その視線の先を追って、映司は「ああ」とだけ呟いた。
まだ半分ほど残っていたアイスキャンディが、溶けて棒からすべり落ちてしまったらしい。灼熱のアスファルトに、固形だったアイスは一瞬にして液状化して吸い込まれていく。
それは映司の残り少ない小銭で買ったもので、いっしょに悔しがるべきなのかもしれないが、失われてしまったものはどうしようもない。
「2本目は買わないからな」
映司の言葉に、彼は怒りを込めた目でこちらを睨みつけた。
色が抜けているのは髪だけではなく、眉も肌の色に同化してほとんど見えない。それが凄みを感じさせるのは、この青年が実は人間ではないことを知っているからだろうか? 元の黒い状態を知っているから不自然に見えるだけなのだろうか?
他愛もないことを考えながらアイスを舐める映司に、今は人間ではない青年……アンクはつかつかと歩み寄ってきた。
「おい、それをよこせ」
「それって?」
眉のない顔で睨まれるとやっぱり怖い。そういえば田舎の不良も剃ってるもんな、眉毛って大事、と思いながら、映司は最後の一欠けを口の中に入れる。
「待て貴様……っ!」
まるでアイスが落ちたのは映司のせいだと言わんばかりにつかみかかってきたアンクの剣幕に、映司も驚いてアイスの棒を取り落とす。食べ終わったあとでよかった、と思う間はなかった。
「ん……っ!」
映司の髪をつかんでむりやり上向かせたアンクは、その口に乱暴に噛みついてきた。それだけでも予想外なのに、歯のあいだに舌をねじ込んできたのだ。
映司の舌の上で溶けていくアイスを追って、アンクの舌は執拗に絡みついてくる。固形物が消えてしまってからも、あきらめきれないのか甘さを追って映司の中を荒々しく舐めまわした。
映司も必死に細い手首をつかみ、なんとか彼を引き剥がそうとするが、口をふさがれていてなかなか力が入らない。
「っ、は……っ!」
大きく息をつく映司の前で、アンクは歯軋りでもしそうな剣幕で吐き捨てた。
「……冷たくない」
口調も顔つきも子どもを泣かせるくらいの迫力だが、言っていることは幼児並みだ。
「あ、あたりまえだろっ!」
袖で口元をこすっている映司を見下ろして、自分の唇を舐めていたアンクもタイダイの裾を引っぱり、口の周りを拭う。
「やめろって!」
人の服をハンカチ代わりにするアンクを振りほどくが、上がった息は簡単には収まらない。
「映司……顔が赤いぞ?」
それまで不機嫌そのものだったアンクが、ふと映司の顔に目をとめ、楽しそうな笑みを浮かべた。
「この身体に欲情したか?」
「はあ!?」
脳に酸素がいっていないせいか、なにを言っているのか理解するのに数秒かかった。むしろ映司に考えさせまいとしているのか、アンクは打って変わって妙に優しげな動きで、映司のひざの上に腰を下ろす。
「……!」
人のものでない右腕が、誘うように映司の頬を撫でた。事実、誘っているのだろう。
「いいぞ……欲しけりゃくれてやる。好きなだけ貪れ、求めろ。肉欲は欲望の原始だ。どれほど進化してもこれだけはどうにもできない……そうだろ?」
うっとりと目を細めるアンクこそが、快楽を求めているようにも見える。
「アンク……」
映司は深呼吸をひとつして、ようやく落ちついてきた胸を押さえた。見上げた青い空の眩しさも、周囲の好奇に満ちたざわめきも、平静を取り戻すには充分だった。
「そうやって、俺をセルメダルの貯金箱にでもする気?」
鼻が触れそうなほど近づいていた顔を正面から睨みつけると、アンクは頬をゆがめて笑う。
「察しがいいな」
他人の口の中までアイスを奪いにきたかと思えば、ひどく人間くさい方法で誘惑してくる。大人でも子供でもない、人間でもあり怪物でもある、危険な存在。
映司はこの怪物と対等にやりあっていかなければならないのだ。そのことを、改めて思い出す。キスくらいであわてている場合ではない。
「おまえは忘れても俺は忘れてないよ。それはおまえの身体じゃない」
薄い胸に指を突きつけてきっぱりと言い渡してやると、皮肉な笑みはすぐに消えた。
「つくづく面倒なやつだ」
舌打ちしたアンクは、誘惑できない映司になど用なしとばかりにさっと立ち上がる。
映司も二人分のアイス棒を拾い上げるとゴミ箱に放り込み、大股に遊歩道を歩いていくアンクのあとを追った。
言葉を交わすわけでもなく、親しい仲にしては少し不自然な距離をとって並び歩く二人を、一連の騒動を目撃していた人々が露骨に避けていく。嫌悪や好奇を浮かべた顔を背けて。
他人の目を気にするタイプでもないが、早めにここから立ち去ったほうがよさそうだ。黙っていても目立つ男を連れているのだから。
そう考えながら、映司はちらりとアンクを見やる。正面を見据えて肩で風を切りながら歩いていく姿は、本来その身体の持ち主である人の性格とはおそらく少しも一致していなくて、申し訳ない気持ちにすらなる。
ごめんなさい刑事さん、と謝りかけた映司は、もっとたいへんなことに気づいて足を止めていた。
「あ……」
「どうした?」
生真面目な「刑事さん」の顔をした凶悪な男が、険しい表情でふり返る。
だが今はその顔をまっすぐ見られない。その顔の男と、映司は濃厚すぎる接触をしてしまった。彼が彼として目覚めたとき、映司だけは知ってしまっているのだ。その唇のやわらかさを。
「……なんでもない」
口早に答えて歩き出す。この動揺をアンクに知られてはならない。つけこまれる隙を与えてはならない。
真夏の青空の下、「刑事さん」とその妹に心の中で謝りながら、映司は相棒の怪物と肩を並べて歩いていった。
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