魁利/透真
『どうしていつもそんな無茶ばかりするんだ。もっと自分を大事にしろ』
いつだって自分が一番で、他人なんかどうでもいい。頭の悪い連中を出し抜いて、楽しいこと最優先、うまく立ち回れる自分が好きで、危なくなったらすぐに逃げおおせてきた。なのに、遊び回って帰ってくると兄は渋い顔でそう言うから、楽しかった気分も一気に吹き飛んでしまう。
自分を大事に……。
その意味を、今あらためて考えさせられる。
能力も凶悪さも規格外の犯罪者を相手に、たった三人で挑みつづけている現状を無茶でないなどとは思わない。身の安全など考えていたら、一歩も動けなくなる。危険も無謀も承知なのだから、だれにも文句は言わせない。
それでも、きっと兄は……。
目の前に兄がいた。戻ってきたのだ。
うれしくて言葉が見つからない。だが、相手はひどく沈んだ……悲しげな顔でこちらを見つめていた。
なぜ……問おうとするが声が出なかった。見ている間に兄は両手で顔を覆い、そして苦しげに呻く。
『魁利、どうして……』
懸命に手を伸ばそうとしたが、体が動いている気がしない。目の前の兄は生きて自由に動いているのに、こちらが凍りついてしまったように動けない。
やっと再会した兄弟のあいだに、氷の壁が容赦なく築かれていく。せっかく会えたのに。伝えたいことは山ほどあるのに。
必死に叫びつづける声は、嘆く兄に少しも届いていなかった。
息が止まりそうになって目覚めたのは、兄がいる自宅ではなく二人部屋のソファの上だった。
目の前のテーブルにはコレクションが置かれている。そうだ、透真と二人で戻ってきて……そしてこのソファでそのまま寝てしまった。
視界の端で、もそりと影が動く。自分のベッドに戻っていた透真が起き上がったのだ。
「起きてた?」
「……起こされた」
髪を苛立たしげにかき上げ、低い声で唸る。夢から醒める直前、必死に叫んでいた自分を思い出した。
「悪ぃ」
「いや……」
以前はこれが原因でけんかもしたが、今さら怒鳴り合ったりはしなかった。慰めもできない代わりに、責めもしない……協定ではなく、自然とそうなった。それでも寝たふりなどできないのがこの男だ。
布団をかぶりなおしてまた横になる透真を眺め、それから部屋の反対側にある自分のベッドを見やる。距離は同じなのに、空っぽのベッドが妙に遠く、寒々しく見えた。
「透真」
「なんだ」
無視されても仕方ないと思っていたが、返事があったので少しうれしくなる。
中途半端に脱ぎかけていた服をソファに脱ぎ捨て、テーブルの上にあったコンドームの缶を掴んで透真のベッドに歩み寄った。
「どうせ寝れねえなら」
枕に頭を乗せたまま、下着一枚の魁利と掲げてみせた缶を見やった彼は、大きくため息をつく。
「元気だな」
「さっきは自分が誘ってきたくせに」
帰ってきてすぐ、めずらしく透真のほうからひざに乗ってきて、その意外性が愉快で身を任せた。
あいかわらずどこかぎこちなくはあったが、魁利の肌に触れる手も吐息も熱く、本気で求めていることが感じられた。なにか、透真の中で変化があったのだと推測はできるがその理由まではわからない。
目の前の快楽を追うのに忙しくて、深くは考えなかったが……。
「やっとオレの魅力がわかった?」
布団を引き剥がして彼の腹に跨がりながら言うと、睨みつけてくるかと思った顔は苦笑していた。
「寝言は自分のベッドで言え」
まるで説得力がないと思ったことは口には出さず、倒れ込んで彼の胸に頬をすり寄せる。今ほんとうに自分が透真を求めているかは確証がなかったが、また目を閉じて夢の世界に戻りたくはない。
「あのさぁ……」
相手の唇を舐めながら、思いついた「要望」を囁いてみる。彼はわずかに驚いたようだったが、魁利を押しのけようとはしなかった。
めったなことでは軋まない重厚なベッドが、かすかに音を立てる。だが聞こえたのは最初だけで、すぐ意識の外へ追いやられた。
うつ伏せの背中を見下ろし、口の端から危うくこぼれかけた唾液を飲み込む。
「やべ……これガチっぽい……」
「うるさ……ぁっ」
文句を言おうとしたらしい透真も、言葉を途切れさせて喘いでいる。
相手の腿のあいだに猛った性器を押し込んでいるだけだが、細い腰を押さえて抽送を繰り返していると、動きだけでもほんとうに後ろから犯している気分にさせられる。
男同士でつながる方法を全くイメージできないわけではないが、さすがにいきなり実践する用意はない。これなら、互いにそれほど抵抗はないかと思ったのだが……。
「ぅんっ……」
枕にしがみついている透真が、ただ愛撫し合っているときと明らかに反応がちがう。魁利が腿の内側に強く擦りつけるたび、透真の屹立もいっしょに擦り上げられる。いつもとは異なる体位と刺激に戸惑っているようだった。
「な……キモチイイ?」
「訊くな……っ」
不機嫌そうに呻く声も息が上がっていては迫力がない。顔こそ見えないが、腰を掴まれて揺さぶられている姿は、見た目だけでも魁利を昂奮させるのに充分だった。
「中挿れたら相当やばいことになるよな……」
そう考えた瞬間に腰へ熱が集まり、止まらなくなった。
「ぁっ、あ、ぅあっ……」
これだけでも今までより断然気持ちいいのに、その先、その上があると考えるだけで体が勝手に熱くなる。
「あぁくそっ、突っ込んで奥までぐっちゃぐちゃにしてやりてえ……」
思いついたことを考えもせず口走り、ただ衝動のままに腰を打ちつける。肌がぶつかる音も完全に同じなのに、肉体のどこもつながってはいないのが歯がゆい。焦れったさも手伝って、より激しく透真を責め立てることになる。
「は、ぁ……っ!」
透真が背中を反らせて身を硬くした。
こんな妙な行為でこの男を絶頂に追いやったのだと思ったらおかしくて、だが笑う前に両側から締めつけられ、もっと派手な声を上げて達してしまった。
「……っ」
息を切らせて仰向けになった相手の顔を、真上から覗き込む。
目が合ったが「気が済んだか」とは訊かれなかった。それどころか、熱を帯びた目でこちらを見返してきた。
そして、彼は濡れた唇を開く。
「……抱いてみるか?」
「!」
落ちついた低音ではなく、乱れた息のあいだから囁かれた言葉に、寒気がするほど体が疼いた。
「透、真?」
自分の声が震えたことに動揺して思わず身を引く。
「マジか……」
確かに、こんな擬似的な行為ではなくこの男とつながりたいと思った。いや、そんな生やさしい欲求ではない。むりやりにでも体を開かせて蹂躙し、喉が嗄れるまで泣かせたいとすら思った。そんな自分に戦いた。
「怖くねえのかよ」
透真はまっすぐ魁利を見つめて考え込み、やがて吐息混じりに答えた。
「……べつに」
覚えのあるやりとりが、全くちがった意味に変わっていた。
あのときは、透真が自分を傷つけるのではないかという勝手な怯えにとらわれていた。しかし今は、逆の可能性に身がすくむ。先ほど透真を陵辱しようとしたあの怪物と、同じことを強いてしまうのではないかと。
自分が楽しければそれでよくて、相手も嫌がっていないのなら好都合……そんなふうに割り切れた、これまでの相手とは全くちがうのだと、今さら気づかされる。
作り笑いに躊躇を隠し、ふざけて甘えるふりをして正面から抱きつく。
「じゃ、やり方調べとくわ……」
ベッドの中で怖じ気づくなど生まれて初めてだが、この先に進んではいけない気がした。
自分のためにも、彼のためにも。
コレクションを受け取りにきた老執事に、すました顔でそれを渡す。それでも得意げな表情は隠しきれていないかもしれないが。
「ほう……これはこれは。さすがですね」
あいかわらず感情の読めない顔と声だが、めずらしく驚きが混じっているのが感じられた。
「二人じゃムリって思ってた?」
魁利の挑戦的な問いかけには答えず、彼は本の中へコレクションを「格納」する。そして、優雅にティーカップを持ち上げながらつけ足した。
「お二人とも、ご無事でしたか」
思わず透真と顔を見合わせる。今目の前に立っているのにわざわざ尋ねてくるということは、怪我の心配というわけではないだろう。
「透真は危なかったけどな」
「あれくらい、なんともない」
真顔で答える透真に肩をすくめて振り返ると、執事はすでにいなかった。
ため息をついて、一瞬前まで彼がいた椅子に後ろ向きで座り込む。
「最初から、オレらがどういう目に遭うかは予想ついてたってわけだ……初美花が出れないときに持ってきたのもわざとか?」
「まあいい、ひとつ回収できたのは確かだからな」
カップとソーサーを片づけ、透真は厨房に戻っていく。
洗い物をする音を聞きながら、椅子の背にもたれた。
「そういや、なんであのエロフグから逃げなかった? 倒せなくても逃げるくらいはできただろ」
彼は顔を上げずにカップを洗っている。
「おまえが俺を囮にして失敗するようなやつなら、二人ともここまでだったってことだ。あとは初美花に任せるしかない……とは考えていた」
「うわぁ、信用なさすぎだしあきらめも早すぎだし……」
さすがに冷淡すぎると思わずこぼしかけたが、透真は手を止めることもなく言葉をつづける。
「少し手間取る程度なら、やつの注意を引きつけておくのが俺の役割だろ?」
「……………」
つまり、魁利がなにをするつもりか知らないのにそれを成し遂げる前提で、あの敵と対峙していたということだ。
「触手プレイとかエグいことされても?」
残虐な敵がただの脅しで満足するとは思えなかった。気味の悪い触手になにかされると想像しただけで、ぞっとするどころではない。自分ならまず死ぬ気で逃れようとするだろう。
だが、自分の役割を悟っていた透真は動かなかった。押しつけられただけだというのに。陽動作戦をあの場で思いついたのも、透真なら一人で自分の身は守れると思ったからこそだったのだが。
「最後に殺されるとしても、わざと嬲られて時間稼ぎくらいはしてやるさ」
涼しい顔でさらりと告げられた覚悟の言葉に、知らず肌が粟立った。
目的のためなら……大切な人が戻ってくるのなら、自分の命も惜しくない。自分も初美花も、その覚悟を口にすることにためらいはない。
しかし、透真には目的のためであっても、自分を守るという意識が完全に抜けている。捨て身だけが手段ではないはずなのに。
自分の体にも命にも執着が見えないのだ。魁利にたやすく体の関係を許したのも、考えてみればはじめに暴力的な口づけをしてきたのも今なら納得できる。恋人への忠誠心と、自分の肉体が完全に切り離されているのだろう。
だから透真があっさり抱かれようとしたとき、そこにつけいることはできないと思った。今でもその判断に答えは出ていない。
『もっと自分を大事にしろ』
兄に幾度も言われたその言葉が脳裏によぎった。だが当然、魁利にそれを言う資格などない。
「一人じゃ危なっかしくて任せらんねえな」
「言ってろ」
作戦なら初美花よりも先に意図を汲み取って動いてくれるのに、こんなときは少しも伝わらない。伝わったところで、素直に従うわけもないのだが。
椅子の背を抱え込んで、手持ち無沙汰に指先で自分の唇をなぞる。
血の味がする唇の感触を思い出した。
初美花の熱は下がってきて、ベッドにいる時間が暇だと愚痴るようになってきた。快方に向かっているらしいと安心し、彼女が疲れない程度に話し相手になってやる。奪還したコレクションの話だけは、また熱を上げてしまいそうな気がして避けたけれど。
他人が風邪をひいただけで、こんなに気を揉んだことはなかった。身寄りも知己もない町で、たった二人の仲間だけを頼りに生きるというのはこういうことなのだと思い知らされた。
いつか、三人のうちだれかが欠けることがあるかもしれない。それでも残った者が願いを叶える。そう誓った心に嘘はないが、まだ今ではない。
初美花の部屋から引き上げて自室のソファに寝そべっていると、店の床掃除を終えた透真が戻ってきた。
「初美花は」
「寝るって。もうぜんぜん元気だわ」
「そろそろ店を開けられるな」
彼はまっすぐソファへとやってきて、魁利も伸ばしていた脚を引っ込める。あたりまえの顔をして空いた場所へ腰を下ろした彼は、いつもの分厚い洋書を手にした。
彼がその本を開く前に、ふと思いついて相手のひざまで脚を伸ばす。透真はわずかに眉根を寄せたが、こちらを見ることもなく、魁利の脚の上に開いた本を乗せた。
「重い!」
「気にするな」
動けなくなった魁利にはかまわず、透真は謎の文字列を丁寧に指先で辿っている。彼が飽きるか疲れるかして本を閉じるまで、自分のベッドにも戻れないらしい。ちょっかいを出してからかうつもりが、逆に動きを封じられてしまった。
決して魁利のほうは見ないが、その頬がわずかにゆるんでいるのを見て取る。勝ったと思っているのだろう。
「あのさ……それフランス語だろ、ホントに意味わかってんの? 読んでるふりじゃなく?」
やつあたりにも近い魁利の言葉で、やっと顔を上げた透真は、愉快そうに口角を上げた。
「だれも全部読めるなんて言ってない。レシピだから単語を拾うだけでも食材と手順くらいはわかる。分量は数字だしな」
「なんだよそれ」
思わぬ種明かしをされてがっくりと脱力する。辞書なしで洋書を開いているくらいだから実はフランス語が得意なのだろうと勝手に思っていた。
「ただの暇つぶしだが……先週のランチメニューにもこの本のメニューを使ったし、いちおう役には立ってる」
「へえ……」
どうでもよくなって適当な相づちを打ちながら、クッションを抱えて天井を仰ぐ。
まったく、この時間は……この関係は、なんなのか。
友人でも家族でも恋人でもない、期限付きの関係に名前をつけるのは難しい。
いつかはまた交わらない他人に戻っていくとお互いわかっているのに、こうして会話もなく黙って隣にいるだけの時間を許している。
ほんとうに言ってやりたいことは喉に引っかかって出てこないし、年上のくせにこっちが気を揉むことも多い。
それでもいなければ困る存在なのは確かだ。状況の把握は速く、戦闘時にはいちばん頼りになる。なにより彼がいなければ毎日の食事にもありつけない。今の自分にはこの男が絶対に必要だ。
今だけは、だれよりも近いのに。
そう思いながら、その横顔はあえて見ずに目を閉じた。
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