魁利/透真

2018_ルパパト,[!],[R18]

『透真は、傷つくことに鈍感なんだから。もっと自分を大事にしようよ』
 彼女に出会うまで、他人などかまわず自分本位に生きてきたつもりだった。だがそれは決まって、他人と衝突したり諍いを起こしたりといった、対人トラブルのあとに言い渡される。
 自分の主張を譲れないから揉めるのであって、それが自分を傷つけていると言われても腑に落ちない。それでも最後はいつもに「もうしない」と子供のように約束させられる。釈然としないが悔しくはなかった。
 しかし、今度ばかりは彼女も許してくれるだろう。すべては彼女のためなのだから。
 どれほど傷ついても、傷つけても、この命を賭けても。

 いつもの封筒が渡された。危険への、そして未来への招待状だ。
「お二人では心許ないかもしれませんが……」
 老執事は含み笑いを洩らし、消えていった。
「やってやろうじゃねえの」
 魁利が手にした写真に皺を寄せながら呟く。透真としても、ばかにされたままというのはおもしろくない。住所の書かれた写真を魁利の手から奪う。
「遠くないな。朝までに片づけるか」
 二人だけで「仕事」などしたことがないが、初美花の快復を待つほどでもない。いや、待ってなどいられない。一秒でも早く、一つでも多く、コレクションを取り返さなければ。
 未来はどんどん遠ざかっていく。

 夜の街の、さらに暗い闇の中。
 ぎらついたネオンに目を眩まされ、闇に飲み込まれていく人間たちに興味はない。手に入れたいのは、その奥に隠されている標的だけだ。
 天井をうねる排気用ダクトのあいだから、室内を見下ろす。薄暗い店の中では、裸同然の女が客の男にしなだれかかり、酒やもっと危険な飲み物を供している。ここで女や薬に溺れて骨抜きにされた客から金を搾り取り、最後には客本人まで売り飛ばす、という仕組みらしい。
「見た目悪くねえけど、ニセモノなんだよなあ」
 この光景を前にしても眉ひとつ動かさない魁利がしみじみと言うのは、グラマラスなオーナーのことだった。露出の高いドレスで席のあいだを歩きまわっては男たちを魅了しているが、その正体が人間ではないことを知っている身からすればそそられる要素は全くない。
 そしてもうひとつ、「彼女」が男たちを意のままに操っているのは、そのビジュアルのせいばかりではなかった。
「にしてもやべえな、この香り……」
 よろめく魁利の肩を支え、その鼻と口をふさぐ。
「コレクションの作用だ、まともに吸うな」
「息すんなってか、ムチャ言うぜ」
 透真の手を引き剥がし、魁利は気つけ代わりか自分の頬を叩いた。それからポケットに手を突っ込む。
「時間かけてらんねえな」
 にっと笑ってみせるなり、ポケットから出した黒い玉をいくつか、店の真ん中へ放り投げた。
 派手な爆発音と火花……見かけ倒しだが、誘導には充分だ。目論見どおり店内は騒然となる。オーナーもまだ人の姿こそ保っているが、動揺している様子がわかる。この混乱に乗じて、と身を乗り出そうとすると、魁利が肩を掴んできた。
「焦んなって……」
「今行かないでどうする!」
 彼の手を振り払った拍子に、手にしていた装備が配管にぶつかって音を立てる。
「あそこだ!」
 見上げた黒服の一人がこちらを指さした。逃げ隠れする場所もない。彼らは侵入者を認識してしまった。
 客を接待していた女たちが、いっせいに人でない戦闘員へと姿を変える。哀れな男性客たちが腰を抜かしたり逃げ出したりと、混乱は加速するばかりだ。
「うえっ、全部ニセモノかよ!」
 頭の後ろで魁利が心底嫌そうに呻いたが、のんきに相づちを打ってやる状況ではない。
 見つかった以上、正面突破しかないだろう。
「行くぞ……」
 背後の彼にそう言いかけた瞬間、勢いよく背中を突き飛ばされる。
 何事かと思う間もなかった。
 ダクトを踏み抜いて店の真ん中に落ちる。着地したとき無様に転がらなかったのだけが救いだ。
 ジャケットの裾を払って立ち上がろうとしたところで、目の前に大きな影が差した。
「世間を騒がす快盗さんかしら?」
 顔を上げると、グラマラス美女は不格好な魚介類にも似た姿へと変わっていた。人間の姿よりは相手しやすい、とつい口角を上げる。
「貴女のいちばん大切なものをいただきに」
「まあ……お一人でいらっしゃるなんて勇気のある方」
 仕草だけは美人オーナーのまま、怪物はわざとらしく驚いてみせた。だが美しいネイルを施した指ではない、醜悪な触手を揺らめかせているだけでは、滑稽でしかない。
「残念だけど、失うのはそちらよ」
 鞭のように振るわれた触手が、透真の顔を殴り飛ばす。見た目の滑稽さからは想像もつかない力で、再び床に這いつくばるはめになった。
 衝撃で飛ばされた帽子とマスクが床に転がり、こちらを覗き込んだ怪物が触手で顔を撫で上げる。あまりの不快さに払いのけたが、相手はくすくすと楽しそうに笑った。
「腹の中身だけを売りさばくには、もったいない外見ね」
 ここで失敗すれば、客たちと同じ末路をたどる……そう考えながら装備に手をかける。生身では勝てない。
 だがダイヤルを回す直前、不意にきつい香りに包まれて目眩を起こした。
「これは……」
 ずっと店内に立ちこめていた香りだが、感じるなどという生やさしいものではない。体内に直接入り込んできて内側から蝕んでいくかのような……。
「濃度を高めたから、だいぶいい気持ちになれるはずよ」
 やはりコレクションの力か。冷静にそう考える一方で、体が勝手に熱くなっていく。自分の意志とは無関係に、強制的に欲望を揺り起こされる感覚だった。わずかな量では酩酊と軽い興奮を喚起するだけだが、その本質はおそらくこの作用のほうだ。
「ぅっ……」
 息苦しさにタイをゆるめようとするが、手袋が首筋に触れるだけでぞくりと妙な感覚が走って手を離す。
 自分に起きている変化は頭では理解していた。だが体がついていかない。
「あぁ……っ」
 服が肌に擦れるわずかな刺激さえ、過敏になった体を苛む。高まっていく熱を解放したいと切実に願うが、今は敵の前、しかも命を握られている状態だ。痴態は晒せないと思うものの、今触れられたら正常な意識を保っていられるかわからない。
 これ以上毒素を取り込まないよう、そして惨めな声を上げないよう、手で口をふさいで床にうずくまるしかなかった。
「だいじょうぶよ、じっくり調教してあげる。なにかを盗もうなんて気が起きないように、すべて奪ってあげるわ。理性もプライドも正義感も、なにもかも……」
 不穏な言葉とともに、触手が目の前をちらつく。さっきは払いのけることができたが……。
「!」
 手首に触手が巻きつく。口から手を引き剥がされても振り払うどころか、手袋と袖口の隙間を這う感触に、あらぬ声が洩れそうになる。腕に力が入らず、唇を噛みしめるのがやっとだった。
「いいのよ、我慢なんてしなくても」
 別の触手が今度はひざに絡みついた。強引に押し開こうとするのがわかっていて抗えない。服の上からだというのに、内腿を撫で上げられただけで体の芯が疼き出す。
「んん……っ」
 血の味がして、唇を噛み切ったのだと気づいた。しかし口元をゆるめるわけにはいかない。やめろ離せと叫ぶことさえできないが、そんなセリフは相手を悦ばせるだけだろう。
「その強情さも今だけよ……もうすぐ、泣いて欲しがるようになるわ」
 恐怖と衝動を抑え込みながら、敵に気づかれないよう視線を巡らせて周囲を窺う。床にうずくまっていたときには見えなかったが、客はもういない。無事に逃げたか、どこかに監禁されたか。戦闘員の数も減っている。客を追っているか、あるいは……。
 金属的な高笑いが鼓膜を刺した。
「調教が済んだら、うちで働いてもらおうかしら。男でも女でも、客はいくらでもいるもの……」
「やめといたほうがいいって、そいつ愛想ねえから」
 思いのほか近くで快活な声が聞こえた。と同時に金庫の鍵が開く音。
「オレなら、即チェンジするね」
 怪物の後ろから、赤いシルクハットが顔を出す。
「それとそいつ、正義感は元から持ち合わせてねえよ!」
 魁利は敵の脚を狙って蹴り倒し、こちらへ一足飛びに駆け寄るなり透真の体をすばやく抱えて飛び上がった。ワイヤーの巻き上げで一度天井まで待避してから、だれもいないバーカウンターの上に着地する。
 店を見渡し、店員のほとんどが倒されているのを確認した。蹴落とされたときから自分が陽動担当になったことも、オーナーが透真「一人」と言ったことから魁利の存在は気づかれていないことも理解はしていたが……。
「動けるか?」
 その問いで初めて気づいた。直前までの錯乱が嘘のように熱が引いている。魁利に抱きかかえられているがなんともない。コレクションを怪人から引き離したことで、効果が消えたのだ。
 魁利の手には標的のコレクション。そして目の前には空っぽの金庫を背負った闇組織のメンバー。
「あのハコフグ、どうしたい?」
 確かに似ているなと思いながら、楽しそうに手首を回す魁利の横に立つ。
「まず八つ裂きにしてから考える」
「じゃ、さっさとヤっちゃおうぜ」
 その言葉に、異存があるはずもなかった。

 コレクションを手に入れ、ついでに違法な店をひとつ潰し、快盗は今回も悠々と引き上げる。
 帰宅後そっと初美花の部屋を覗いた。熟睡しているようで、呼吸も穏やかだ。心配はなさそうだと二人でうなずき合い、音を立てないよう部屋に戻る。
 軽やかにシルクハットを帽子掛けに投げた魁利の背中を眺めながら、先ほどの経緯を思い出していた。
「最初から俺を囮にするつもりだったのか」
「結果的にだよ」
 軽い口調でそう答えた魁利は、透真の返事がないことに動揺したのかあわてて振り返った。
「なんだよ、間に合っただろ? あとちょっと遅かったらヤバいことになってたんだぞ、もっと感謝しろよ。つーか二手に分かれて乗り込むつもりだったんだって。なのにおまえが気づかれるからさ……」
 囮にされたことを怒っていると思ったらしい。だが透真の頭にあったのはそんなことではなかった。
 見た目どおりの、軽薄で考えなしの青年ではない。教養はないが、他人には理解できない速度とルートで思考を巡らせることができる。それがどれほど常識外れで、非情な手段でも。
 この男なら、最後の一人になっても必ず目的を果たす。初美花が戦えなくなっても、透真の屍を踏みつけても。
 今の自分にはこの男こそが必要だ。
「べつに恨んじゃいないし助けも期待してなかった。そういうルールだからな」
「ま……そうだけど。助かったんだからいいじゃん」
 彼は釈然としない顔でジャケットを脱ぐ。それから「疲れたぁ」と呻いてソファに倒れ込んだ。
 自分もハットとマスクを外して置いたが、ふとスカーフを解く手を止めた。ジャケットを脱ぐのもそこそこに、魁利に歩み寄る。
 ソファの背にもたれてカフスを外していた彼が、目を上げた。
「透真?」
 以前もこうして彼を見下ろしたことがある。あのとき、彼はクッションを抱えて震えながらこちらを睨みつけていた。今はなんの緊張も警戒もなく、物憂げな視線を投げてくるだけだ。
 彼の脚のあいだに、ひざを割り込ませた。
「愛想がなくて悪かったな」
「サービスしてくれんならいいぜ」
 半笑いで持ち上げられた細いあごを、手袋をしたままの手で捉えた。まっすぐ見つめてくる目を覗き込んで一瞬迷ったが、唇を重ねる。魁利からしてくることは何度かあっても、こちらから仕掛けるのは、彼が初美花に手を出そうとしたとき以来だった。
 あのときはなんの抵抗もなかった。単にねじ伏せ懲らしめてやりたかっただけだったから。不安を抱えた魁利が欲求をぶつけてくるのも黙って受け入れた。自分の意志ではないという口実で。
 だが自分から求めることは避けていた。今思えば、魁利だけに責任を押しつけていたのだ。
 舌先が触れると、魁利はためらいもなく絡めてくる。年下のくせにやたらと手慣れた様子で、なのに急かしてくるところだけはやんちゃなままで、どういなすのかこちらも試されているようだった。
 離れる直前、惜しむように下唇を食まれた。それだけで最初の攻撃的な口づけとは全く意味が異なる接触だと互いに確認できた。
「鉄の味ぃ……」
 魁利が呻いたせいで、唇が切れていたことを思い出す。
「甘いほうがよかったか?」
「いやキモいし」
 鼻が触れる距離で囁くと、彼は笑いながら透真のジャケットの内側に手をすべり込ませて肩から引き下ろそうとした。
 脱がされたジャケットから腕を抜いて魁利のシャツに手をかける。こちらもスカーフを外され、露わになった首元へいつものように魁利が噛みついてきて、妙に安堵した。
「なに笑ってんのさ」
「いや……」
 この感覚だ。
 先ほどの屈辱的な攻撃の最中、脳裏を駆けめぐったのは魁利との接触だった。目の前に立っているのがせめて魁利ならと幾度も思い、解放されるまでそれを異常とも感じていなかった。
 床に這いつくばりながら苛まれていたのは、どうしようもない切羽詰まった欲望と、引きずり出された焦燥。魁利が遊び半分を装って必死に縋ってくる、鬱陶しいほどの熱が自分にもあると気づいた。
 穏やかな愛情などでは決してなく、といって単に欲求の発散だけでもなく。この過酷なミッションを遂げる過程で、遅かれ早かれどちらかが求めていただろう。
 これが弱さの露呈だとしても、もう後戻りはできない。魁利が透真を求めるのと同じ理由で、透真も魁利を欲している。
「ハコフグ相手よりはマシだと思ってな」
「ひっでえ」
 むくれた魁利が脇腹をくすぐってきて、思わず声を上げて笑ってしまった。

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