アンホフ/ベンダー
GSG-9 対テロ特殊部隊:トーマス・アンホフ/アントン・ベンダー
深夜二時。
ベンダーは、トイレの鏡の前で自分のあごから滴る水滴を見つめていた。
だいじょうぶ、目は覚めた。仕事に戻れそうだ。
日暮れ前に出動したチームが、多少長引いたもののプロフェッショナルの心意気できっちり任務を終えて帰還したのが、二時間前。それからは主に本部での事務処理がメインになる。朝までに提出しなければならない諸々が内勤のメンバーに押し寄せてくるのだ。
リーダーのヘルムホルツは、精力的というよりはむしろ機械的な精確さで今も仕事をこなしている。その美しい指にオフィスをくもらせる紙巻を挟んでいなければ、彫像のような美貌と相まってほんとうに精密機械かと思えるほどだ。しかし彼女とちがってごく普通の人間であるベンダーは、疲労や睡魔といったありきたりながらも手強い敵と戦わなければならなかった。
もう一度ダメ押しのように顔に冷水を浴びせたとき、人が入ってくる気配がした。顔を上げ、鏡の中に並んだ人物を見て思わず口が開く。
「この時間、考えることは皆同じだな、ベンダー」
トレードマークのベレーが、散った水滴をよけて鏡の前に置かれるのを眺める。
「帰られてもいいんですよ」
「四時までに仕上げると言われてはな……」
その通り。ヘルムホルツは無表情にそう宣言したのだ。彼女のアシスタントであるベンダーは気を引き締めざるをえなくなり、書類にサインする立場のアンホフは「終わるまで帰らずに待て」と言い渡されたようなものだった。実際の期限は、明朝の八時半だったのだが。
「終わりそうか」
「終わらせますよ」
二人は鏡の中で視線を交わした。会話の硬さとは裏腹に、視線にはある種の馴れがあった。
「……また、休暇が潰れましたね」
「そういう商売だからな」
簡潔に、そっけなく、だが親愛の情が含まれた苦笑とともに答えたアンホフは、ベンダーと同じように顔を洗うため、頭を下げる。
ベンダーはぼんやりと鏡の中の彼を見つめた。眠気は飛んで、あとはせいぜい肩や腰が痛むくらいだった。それでも、まだ頭に靄がかかっている気がする。胸になにかがつかえているような、すっきりしない気分だ。それも、この上司が……いや、恋人が入ってきたときから。
自分でも意図しない言葉が、口をついて出た。
「最後に、あなたに触れたのはいつでしたか……」
はっと上げられた顔はこわばっていた。薄い唇から、声にならない呼びかけがこぼれ落ちる。
「アントン……」
ベンダーは鏡の像から本物へ目を移す。傍目にはいつもどおりの彼だろう……だがベンダーには、厳格な司令官の仮面が剥がれ落ちるのが見えていた。
「…………!」
ベンダーが濡れた手でアンホフの手首をつかむのと、廊下から話し声が聞こえたのは同時だった。あわてて手を離す代わりに、ベンダーは背後の個室に彼を引きずり込んでいた。
アンホフがほとんど抵抗しなかったのは、人に見られることを恐れてだ。たとえその手を振りほどいた瞬間であっても、他人に見られればどんな憶測を生むかわからない。この本部を統括する司令官であり、それ以前に優秀で硬派な警察官で通っている彼は、たやすく失態を晒すようなことはない……ベンダーはその気質を結果的に利用したのだった。
二人は個室の中で息を止め、やけくそ気味に楽しげな大声でしゃべる職員たちが遠ざかるのを待つ。幸い、男性職員たちはトイレに用事はなかったようだ。
「……ベンダー」
外の声が聞こえなくなってから、アンホフが口を開いた。実働チームはほとんど引き上げているし、本部に残っている人間は限られているはずだった。それでも聞き取れるかどうかぎりぎりの小声だ。
怒りと苛立ちを込めた目で睨みつけられるだけで、「くだらないことを考えるのはやめて私を解放しさっさと仕事にもどれ」というセリフが口調まで再現されて聞こえそうだった。思わず噴き出しそうになった部下をもう一度睨み、彼はドアへ手を伸ばそうとする。だがベンダーは自らの身体を壁にして妨げ、逆にアンホフを抱き寄せた。
抗議に開かれた唇を、すばやくふさぐ。抗う舌をなだめて抑え込み、執拗に絡めて吸った。
「ん……」
口づけを交わしながら、きっちりと締められたネクタイに指をかける。悪戯に気づいた彼の手がそれを止めようとして、硬い指がぎりぎりと腕に食い込んできた。まちがいなく痛いのだが、それも彼に触れられる特権だと思えばうれしくすらある。
現役の隊員にも引けを取らない筋力をもってすれば、内勤のエンジニアなどたやすくひねり上げられるはずだった。だが半袖のシャツを着たベンダーの腕に指の痕が残ってはまずいと思ったのか、アンホフは強引に引き剥がすことはしなかった。その強力な自制をいいことに、若い部下はシャツのボタンまで外そうとする。
「待て……」
濡れた唇を震わせ、アンホフは弱々しく囁いた。
「いつまで待つんです? 次の休暇がいつかもわからないのに……」
めずらしく食い下がるベンダーの態度に、アンホフの表情を支配している困惑の色がさらに広がる。
むりもなかった。ベンダー自身も、自分がそれほど若々しくも情熱的でもないことを知っている。毎日、仕事中に顔を上げれば、ガラス張りのオフィスのどこかに彼が見える。たまに目が合ってうなずいてくれることでもあれば、それだけで仕事がはかどるくらいだった。
それでも、こうなってしまったということは……とベンダーは頭の片隅で考える。ガラスの壁越しにその姿を見ながら触れることもできない日々に、やはり鬱憤がたまっていたのだ。
ベンダーは目を細め、広い額にかかった髪をそっと撫でた。
「やめろ、離せ……」
「その格好で、出ていくんですか?」
ネクタイは解けかけていて、ボタンもほとんど外されている。トイレに入ってきた第三者に申し開きができるのは、ゆるんだベルトくらいだ。
「じゃあ、どうしろというんだ」
苛立った囁きに、ベンダーはアンホフの肩を抱きなおしながら苦く笑う。
「さあ……」
ベンダーにも、どうしたいという明確な欲求があるわけではなかった。ただ、恋人を抱きしめてキスをして、それで気が済んだわけではないことは自分でもわかっていた。
「…………」
アンホフは大きく息を吐き出すと、考え込むようにうなだれて首を振り……次の刹那、ベンダーのベルトをつかんでひざまずいた。
「ボス……!?」
手際よくベルトを外す手を止められず、ベンダーは思わず大きな声を上げそうになる。彼は真顔で唇に指を当てた。まるで身体検査でもするかのような無表情で、指揮官は部下のズボンの前を広げる。
「ここでやられるよりマシだ」
いかなるときでも変わらない、冷静な状況判断力。憎たらしくも思えるが、彼を止めるほどの気概はちょうどこの場に持ち合わせていなかった。
「ぁ……」
彼の細い指と薄い唇が同時に触れた瞬間、声が洩れそうになってあわてて口を押さえた。つれない相手を困らせてやるつもりだったのに、立場が逆だ。
それほど暗くもない空間で視界に入る光景が不快なのか、硬く目を閉じたまま、アンホフは男の性器に口づける。決して不器用ではない手で慎重に相手の性感を探り、手の中のそれが反応するのを確かめながら、舌を這わせ吸い上げる場所を選んでいく。
「っ、く……」
さすがに口を使う行為に慣れているとはいいがたいが、真剣に奉仕するさまがベンダーを煽った。泣く子も黙る特殊部隊の司令官が、普段は一分の隙もない制服を乱したままでトイレの床にひざをつき、部下の股間に顔をうずめている……そのシチュエーションだけでも刺激的すぎるというのに。
「……ぅっ」
ベンダーは片手で口を押さえたまま、行き場のないもう一方の手でドアにすがろうとした。だが爪はなめらかな壁をすべっていくだけで、引っかかりもしない。
「……!」
当然の帰結として、弾けた熱を口で受け止めたアンホフは、これ以上はないというくらいに眉間のしわを深くし、咽せながら傍らの便器へ吐き捨てる。残りをむりやりに飲み下す音が聞こえ、ベンダーは呆然と彼の金髪を見下ろしていた。
「……気が済んだか」
白濁の残滓で汚れた唇を指で拭いながらこちらを見上げてくる顔は、完全な無表情だ。だがそれが実際はなにか強い感情を押し殺している顔だということを、ベンダーは知っていた。今ならばそれは、屈辱、羞恥、不快、困惑……。
後始末に使ったトイレットペーパーを流し、彼は平然と立ち上がる。そして何事もなかったかのようにシャツのボタンをかけなおしはじめた。
アンホフにしてみれば、交渉術の応用にすぎないのだろう。恋人のわがままをなだめるのにも、そのチャンネルを切り替えることはしない。わかってはいるのだけれど……なにか無性に悔しくて、いっそ腹立たしさのようなものまでこみ上げてきて、その背中を抱きすくめていた。
アンホフの痩躯が長身のベンダーに包み込まれる。
「アントン……!?」
シャツをつかみ、裾を引きずり出して腹や胸に手をすべらせる。弾力のある筋肉が身悶える感触がたまらない。
細い腰を抱え込んで、ゆるんだままのベルトの奥に手を突っ込んだ。あんなに淫らなことをしておいて、そこは少しも欲を持っていない。不公平だと思った。
自分だって、それほど欲求不満だったわけでも、ましてや処理したかっただけなのでもない。
ほしかったのは……。
「ア……」
「静かに……」
耳元に囁きながら、その耳朶を優しく噛む。胸をまさぐる指で、その先端をつまんで弄る。下着の中で握りこんだそれが、少しずつ硬さを帯びはじめた。
こちらの動きひとつひとつに応えて身を震わせながら、彼は必死に奥歯を噛みしめていた。耐えているのが不快感ではないことは、手の中にある熱の大きさでわかる。
「……っ」
言いたいことは山ほどあった。実働チームのメンバーたちが妻や恋人に何百回も何千回も言われつづけているセリフをあえてぶつけてやりたくもあったし、時間外とはいえ勤務中にこんなところで不埒な行為に及んでいる彼を恥じ入らせるような言葉を囁くのも悪くない。
だが、なにひとつ具体的な文章にはならなかった。ベンダーは忙しかったのだ。
押し殺した吐息を聞きもらさないよう、目を伏せて静かに喘ぐ表情を見逃さないよう、指先や掌で彼を悦ばせる感触を忘れないよう……ベンダーはアンホフを感じることだけに集中していた。
「…………」
一連の乱暴なスキンシップに、彼は終わったあとでさえなにも言わなかった。ただ、恨みがましげな視線を投げてきただけで。
その目つきがどこか甘えを含んでいるのにベンダーは満足し、いかめしい恋人の顔に唇を寄せた。
先にドアから出て、だれもいないことを確かめる。なんでもない顔をして手を洗いはじめると、服を直したアンホフも個室から出てきた。そして最初に脱いだままの状態でそこに座っているベレー帽を見て、片眉を上げる。だれかが入ってきた時点で、あるいは身の破滅だったかもしれないのだ。ベンダーは今さら血の気が引く思いがしたが、起きなかった事態を追求するのはアンホフの性質ではない。
小言を言う代わりに、彼は腕時計に目を落としてため息をつく。
「……ヘルムホルツのご機嫌取りが必要だな」
「そうですね……」
ベンダーが席を立った時刻から数えると、十五分は仕事をしていないことになる。
「コーヒーでも入れるとするか。それでダメなら朝食だ」
ネクタイが曲がっていないか確かめ、ベレーをかぶりなおしてそう呟いたアンホフは、鏡の中でベンダーと目を合わせた。
「来週の土曜は、テロリストがおとなしいといいんだが」
「は……」
それが、二人の休みが重なる日だとベンダーが気づいたときには、彼はきびすを返してトイレを出ていくところだった。
若き内勤職員は鏡の前に立ちつくしたまま、ベレー帽の司令官が出ていった戸口を眺めていたが、もう一度顔を洗うために身をかがめる。
今度は眠気覚ましではなく、残った熱を冷ますために。
ベンアンってゴロ悪すぎ!!
だれか耳に馴染むカップリング名考えて!!
フラ「はい(挙手)」
コニ「なんだ」
フラ「アントンとアンホフで、アンアンっていうのは……」
コニ「ふざけるな。……他には?」
デミ「はい(挙手)」
コニ「言ってみろ」
デミ「名前の並びを気にするなら、ベンホフはどうだ?」
コニ「却下! もっと真剣に考えろ!」
デミ「じゃあおまえがなんか出せよ」
コニ「……ゲープ、こちらはベンホフでいく」
ゲプ『仕方がないな。指揮は任せる』
カス「……(どこからつっこめばいいんだろう)」
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