七海/伊地知
花疲れ
人ごみの中、酔っぱらいに肩を貸して歩くのは難しい。担ぐか抱えるかしたほうがよほど楽だと思う。そのまま家まで瞬間移動できたら最高だ。
「彼の家、ご存じなんでしょう」
七海はふらつく伊地知を支えながら五条に提案してみたが、鼻で笑われた。
「やだよ、そんなことで術式使うの。それに僕は今、コイツの面倒見なきゃいけないの」
五条の背中では、さっきまで暴れていた歌姫が電池切れのように眠っている。伊地知にここまで飲ませたのも歌姫の仕業だった。普段は真面目な教師だが、酒が入ると……天敵五条がその場にいると、際限なく手に負えなくなる。
「誰かさんのせいでストレスたまってんだろうな」
家入が携帯端末を片手に呟いた。
「タクシー二台呼んだ。それぞれ送り届けてやれ」
「えー、こっちは硝子が持ってよ。ってか同じホテルに泊まってる京都の連中はどうしたのさ!」
向こうは向こうで長引きそうだと思ったので、七海は家入に従うことにする。
「では、お先に失礼します」
「お先に失礼いたしましゃ……」
呂律が回っていないながらも律儀に頭を下げる伊地知を、タクシーに引きずり込むことには成功した。本人は座った瞬間に安心したのか、七海にもたれている。これは家に着いても担ぎ込むまでの手間がかかりそうだ。
運転手が肩をすくめるほど低い声で、七海は行き先を告げた。
「着きましたよ、伊地知君」
揺すり起こされた伊地知は目を開けて数秒で状況を察したようだった。タクシーの支払いが済んでいることも、また解散から二時間近く経っていることも。
タクシーが走り去るやいなや、彼は土下座の勢いで頭を下げた。
「誠に申し訳ありませんでしたっ!」
酔いも吹き飛んだといった顔だ。実際よく眠り込んでいた。忙しい季節、寝不足だったのかもしれない。
「構いませんよ。先輩方を止めなかった私も悪いので」
目の前の自販機でミネラルウォーターを2本買った。伊地知は携帯端末を取り出し、画面を見るなり悲壮な表情で叫んだ。
「千葉!? なんで!?」
現在の位置情報を確認したらしい。呪術高専からもそれぞれの自宅からも遠く離れている。
「最寄り駅までは徒歩20分です。終電はもうないでしょうが駅前でタクシーは捕まるでしょう。帰れなくはない」
「本当に、すみません……」
七海が機嫌を損ねて嫌がらせをしていると思っているのだろうか。
「君が気持ちよく眠っているので、邪魔をしないようにしばらく走ってもらいました。ここへ来たのはそのついでです」
「何もかもすみません……」
角を曲がると、鳥居が見える。外灯と社にのしかかるように、枝振りのいい桜が咲き誇っていた。
「わ……」
「先日任務で来た時にはまだ咲き始めでした」
七海が祓除した直後、浄化され結界が施された。今この空間は、清浄で平穏を約束されているということだ。
境内の端にあるベンチに腰を下ろし、サングラスを外した。
「静かで美しい。さっきの馬鹿騒ぎよりも、こういう花見のほうが好きです」
立ち尽くしたままの伊地知が、惚けた様子で桜を見上げながら尋ねる。
「何故、私を連れてきたんですか」
確かに、一人は究極の静寂と安心をもたらす。
「さあ……酔い醒ましか、慰労か……」
考えれば考えるほど、この感情の言語化は難しい。桜の前に立つ彼を見やって、面倒な自分に重たい溜め息をつく。たまにはシンプルに言えないものか。
「君とふたりで見たかった」
「……………」
伊地知は表情を眼鏡のレンズで隠し、無言で七海の隣に座る。
風が吹き、夜空に花びらを散らしていった。
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