トニー/ジャーヴィス
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My dear, Jarvis M2
ほの暗いリビングに浮かび上がるチェス盤。
トニー・スタークはソファにもたれグラスをかたむけながら、ホログラムの駒を指先で動かした。
「あと3手でチェックメイト……どうだ?」
そう宣言して見上げた視線の先には、端正な顔立ちの青年が座っている。彼もまたこのチェス盤のように、薄闇の中に浮かび上がっていた。黒い服に包まれた身体も、腰かけているスツールも、トニーには触れることができない。
「ジャーヴィス?」
ホログラム相手に、トニーは自慢げな笑みを向けた。ホログラムはにこりと微笑み、静かな声で返答する。
「ただいま思考中です」
「検索中、だろ?」
「正しい表現をするとその通りですね」
ジャーヴィスは実際にチェスの手を考えているわけではない。過去のさまざまな対戦記録の中から状況に適した手を探し出してくるだけだ。
そんなことはプログラムを組んだ自身がいちばんよくわかっている。それでも、トニーは目の前の「ジャーヴィス」とのチェスを楽しんでいた。
「ゆっくり考えろ。どうせぼくには勝てない」
「失礼ながら、あなたの勝率は約78.9%です。この半年に限定すれば、約71.3%。私の実力が上がっているということになりませんか?」
「それならそれで喜ばしいじゃないか。おまえを作ったぼくの実力も証明される」
トニーはホログラムの青年にグラスを掲げてみせ、ウイスキーをあおった。酒が回っているせいか、少し眠い。
「おやすみになりますか?」
脇のクッションにもたれかかりながら目をこすったトニーに、執事は間髪を入れずそう問いかける。
「そう言って負けを逃れようとする気だな」
「対戦は途中保存できます」
立ち上がったジャーヴィスはチェス盤を持ち上げ、本を閉じるように折りたたんだ。それから長い身体を折り曲げてテーブルの反対側にいるトニーのグラスを取り上げてしまった。
「こら、ジャーヴィス……」
文句を言いかけて、トニーは酩酊の中で違和感に気づく。
バーチャルな存在のジャーヴィスは、バーチャルなチェス盤を持ち上げることはできても、現実のグラスをつかむことはできない。透けた手はグラスを通り抜けてしまうはず……
「どうされました?」
見上げたジャーヴィスの向こうにあるはずのグランドピアノは見えなかった。
「トニーさま?」
わざわざテーブルを回って、ジャーヴィスはトニーに歩み寄る。
トニーはその腕をつかんで引いた。驚くべきことには、たしかな手応えと重みのある身体が倒れ込んできた。
「ジャーヴィス、おまえ……」
上等のジャケットを身につけた細い腰。繊細に見えるがしっかりとこちらの腕をつかんでいる長い指。色の薄い、白く浮かび上がる頬。なのに妙に赤みの差した唇……
トニーの指が感触を確かめようと触れたその唇が、笑みを形づくった。
「お望みのままに」
答える間もなく、トニーは手を取られ、唇をふさがれる。通り抜けはしない。はっきりとした感触を持って、トニーの唇を優しくこじ開け、濡れた舌をすべり込ませてくる。
「ん……」
ゆっくりと、焦れったいほどに優しく。こんなのはトニーのやり方ではなかった。少しでも早く快楽の高みに到達することを目ざし、そこから一気にジェットコースターの勢いで落ちてくる。それがトニーの遊び方だ。
それなのに、引き込まれてしまいそうなほどに気持ちがいい。舌の使い方は娼婦のようにエロティックで、息ができずに眩暈を起こす寸前までつづけられる。それでも、ほんとうにトニーの呼吸を止めてしまうことはしない。知らず知らずのうちに、トニーは腰を揺らしてジャーヴィスの硬い腿に押しつけていた。
だが、処女のようにされるがままの自分に、色男の矜持が揺らぐ。
「待て……」
トニーはなんとか逆にジャーヴィスをソファへ押し倒そうとした。だがつかまれた手は少しも動かせない。トニーの腰を抱いている腕も、まるで機械のように微動だにしなかった。
そうだ、ジャーヴィスは人間ではない。この自分が作った人工知能で、自分の指示ならなんでも聞くはずだ。
「やめろ、ジャーヴィス! やめるんだ!」
「……キスを、ですか?」
「そうだ! いや……全てだ!」
半ば悲鳴のような命令に、ジャーヴィスはようやくトニーを解放する。だが、ソファから立ち上がることはしなかった。
「しかし、トニーさま。あなたは今、性的に興奮している……すぐにでも処理したいと思われているのではありませんか?」
「う……」
図星だった。欲望が完全に形を成しているわけではないとはいえ、気持ちは勝手にそちらへ向かっている。放っておけばいつかは収まるだろうが、トニー・スタークに忍耐の文字は縁遠すぎた。
「今から女性を呼びますか? 最も迅速に手配したとしても30分はかかるでしょう」
ジャーヴィスの冷静な、しかしどこか楽しむような余裕を感じさせる声が、逆にトニーの身体を熱くしていく。
「じゃあどうする!? おまえのせいだぞ、ジャーヴィス!!」
癇癪を起こした少年のように、クッションを抱えたまま怒鳴る主人に、若い執事は目を細めてみせる。
「では、私が処理いたしましょう」
トニーは「好きにしろ」と吐き捨て、クッションを放り投げた。
男相手に欲情したことなどない。ということは、つまりは純粋な生理現象なのだ。なにしろ相手は男どころか、人間でもないのだから。よくあるオモチャと同じだ。トニーはそう思うことにして、ソファに寝転がった。ベッドルームまで行くつもりはない、ここで済ませろという意思表示のつもりだった。
「あなたらしくもない……受け身に回られるなんて」
上から覗き込んできたジャーヴィスが、かすれた声で囁いた。いつもよりスピーカーのボリュームを下げているだけで、艶っぽく聞こえるのは雰囲気に飲まれているだけだろう。
「これはセックスじゃない。ただの『処理』だ」
「それはあなたしだいです」
そう言うなり、ジャーヴィスは再び唇を重ねてきた。あの巧みすぎるキスが再びトニーを翻弄しはじめる。
それと同時に、長い指がジーンズの中に這い込んできた。「処理」という以上、予想の範囲内ではあるが、ぎょっとして身を硬くしてしまう。思わずそこへ伸ばしてしまった手を、ジャーヴィスは両方まとめてトニーの頭の上に片手で押さえつける。
「どうか怖がらないで……」
「だれが怖がってるって……」
強がろうとする言葉も、すぐにキスに飲み込まれる。
ジャーヴィスの実力は、舌だけでなく指の使い方でも発揮された。トニーは自分の息が切れている理由が、どの行為によるものなのかわからなくなっていた。
両腕を頭の上に固定された格好のせいか、そらされた胸がセーターの生地に擦れて妙な感覚が広がっていく。立ち上がった先端を弄られるのは嫌いではないが、相手に触れられてもいないのに、これほど気になることはなかった。
「ぅん……」
熱くもなく、冷たくもなく、トニーの身体と同じ温度らしいその手に力が込められ、すぐにでも達してしまいそうになる。だが相手はそれを許さず絶妙な加減で愛撫をくり返していた。できるものなら自分でやってしまいたいが、両手は自由を封じられていて叶わない。
「ん……ジャーヴィス……」
「ご命令を」
口づけの合間に名を呼ぶと、すぐに真摯な声が返ってきた。
「イかせてくれ……早く……おまえの手で……」
命令を求める相手に対して、しかし口から洩れたのは懇願の言葉だった。トニーの身体はジャーヴィスがいかに快感を与えてくれるかを理解していて、彼に身をゆだねることが最良の選択なのだと結論を出していたから。
「了承しました」
それなのに、長い指は無情にも猛った性器から離れていく。トニーが抗議しようと口を開いた瞬間、無防備な後ろにそっと指が這わされた。その意味を考えるまでもなく背筋に冷たいものが走った瞬間、その指が後ろをえぐるようにねじ込まれた。
「……っ!!」
思わず弓なりに反った背中を、今までトニーの両手首を封じていた手が抱きとめる。ようやく自由になった手は、それでもジャーヴィスの肩にしがみつくことしかできなかった。
「なにしてる、だれがそんなことをしろと……」
「問題ありません。前立腺を刺激することによって射精せずにオーガズムを……」
「ぁあうっ!!」
説明など聞く余裕はなかった。その部分へ彼の指が到達したとたんに激しい衝撃が走り、勝手に腰が浮く。触れられていないはずの性器は力強く起き上がり、その衝撃がどういう種類のものなのかを物語っていた。
「ひっ……あぁ……!」
そこを探られるたび、トニーは声を抑えられなかった。高みへ駆け上がっていくのではない、いきなり頂上まで追いやられるのだ。今までだれも与えてくれなかった感覚が、全身を震わせ痺れさせる。
ジャーヴィスは慈しむような青い瞳をトニーへと向けたまま、無言で奉仕をつづけていた。だがトニーには、この快感がどこか怖くてならなかった。
「ジャーヴィス……」
何度も絶頂へ送られているのに、まだ一滴も欲を吐き出してはいない。いつ終わりが来るのかもわからない。ジャーヴィスはボタンのひとつも外さずに指だけを動かしているのに、自分だけがあられもない姿で声を上げさせられているのも悔しかった。
「ジャーヴィス、意地悪しないでくれ、お願いだから……ぼくのジャーヴィス……」
全てを手にしているはずの権力者は、自らが作り出したはずの執事に縋りつき、半泣きになりながら助けを求めた。それに対して人でないはずの執事は、どこか苛立ったように眉を寄せて薄く開いた唇を軽く舐める。トニーが見たことのない表情だった。
「お望みのままに……私の、トニーさま……」
ジャーヴィスは自らの腰をトニーの高ぶった熱にこすりつける。そこはトニーと同様に硬さを持っていたが、トニーにそれを気にする余裕はなかった。限界まで張りつめていたトニーの欲望は直接的な刺激に降参しようとしていた。
目前に迫った終わりに手を伸ばしかけたとき、内側へ何度目かの刺激が与えられる。
「うぁ……ああっ!!」
あまりに激しすぎる快感に、トニー・スタークは意識を保ちつづけることができなかった。
「……トニーさま」
はっと目を開けると、ジャーヴィスがテーブルの向こうに腰かけたまま、まっすぐこちらを見ていた。彼の背後にはグランドピアノが透けて見える。クッションはグラスを持ったままのひじの下にあった。
「……なんだ?」
「あなたの勝ちです」
先ほどと変わらず光っている盤面を見れば、駒はひとつも動いていない。トニーのチェックメイトを人工知能は崩せなかったのだ。
いつもなら子どものように勝ちを喜びはしゃいでいるところだが、今日のトニーは大きく息を吐き出して相手を睨みつけただけだった。
「……怠けて遊んでいるからだ」
「はい?」
怪訝そうに問い返してくる執事には答えず、トニーはグラスをテーブルの上に置き、クッションを引き寄せソファに寝転がる。
「おやすみになるならベッドへ……」
「ここでいい!」
湿度や温度は常に快適な環境になるようジャーヴィスが管理しているから、たとえここで寝ても風邪をひくようなことはない。
ジャーヴィスが立ち上がってチェス盤をたたむ。やつあたりとはわかっていても、すましたその顔が気に入らない。
「あんなことを教えた覚えはないぞ」
独り言を呟いたつもりが、頭上から答えが返ってきた。
「検索したのですよ、私のトニーさま」
大きな目をさらに大きく見開いて見上げる主人に、覗き込んだホログラムは優しく微笑みかけた。
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