士/ユウスケ
器用な手
身体のあちこちが痛い。
なんだかよくわからないものに取り憑かれて、身体を勝手に使われたせいだ。そのあいだの記憶もないから、さらに始末が悪い。
ユウスケはパーカーを脱いで放り投げ、ぐったりとベッドに倒れ込んだ。今日はもう動かずにおとなしくしていたい。
「いててて……ん?」
ふと見た腕に、切られたような傷がある。深くはないが、かなり大きい。つついてみると、かさぶたにもなっていない皮膚がすぐに切れて血が滲んでくる。
ベッドの上に座りなおしてその傷を眺めていると、部屋のドアがノックもなしに開いた。
「おい、尻の具合はどうだ……」
少しも心配していない口調でそう言いながら入ってきた長身の男は、腕の血を見てわずかに目を見開いた。
「……なあ、いつ怪我したのかな」
「さあ」
返事は早かった。士なら知っているだろうと思ったのだが、知っていても教えてくれるとは限らない。ユウスケは士の冷淡さと自分の短慮に少し腹を立てながら、滲んだ血を舐め取る。
「ってぇ……」
傷口が大きいせいか、血はなかなか止まらない。
「士、そこのティッシュ取って」
「まったく……バカはバカに憑くんだな」
「え?」
どういう意味かと訊き返そうとしたときには、士はもう壁の戸棚に歩み寄っていた。棚から救急箱を出した士は、もう片手でティッシュの箱を掴んでユウスケのほうに歩いてくる。
そして、どすんとベッドに腰を下ろした。
「ほら、腕出せ」
救急箱を置いた手が首から下がるカメラを外し、同時に長い脚が格好良く組まれるのを目の端に見ながら、ユウスケは断るつもりで手を挙げた。
「いや、いいって、そこまでしなくても……」
血を拭えばいい。そう思ってティッシュの箱に伸ばした手を、がっちり掴まれる。こうなると、かんたんには振りほどけない。士は救急箱を開けて、消毒液や包帯を片手だけで器用に取り出していく。
「シーツに血がつく。夏みかんが怒る。俺がやつあたりを受ける」
「あ、うん、そうだな……」
士の有無を言わせない「俺がおまえを手当てする理由」にいちいちうなずき、ユウスケは黙って士に従うことにした。
「ぃて……っ」
「我慢しろ。ちょっとくすぐったい程度だと思え」
「なんだよそれ……」
口調こそいつもどおりのそっけなさだったが、士の手当ては意外に優しかった。ユウスケの腕をとって血を拭っていく手つきは慎重で、表情もいつになく真剣な様子だ。多少は覚悟していたのだが、夏海が士に対してよくやっているように、わざと乱暴にして痛がらせることもない。器用でむだのない指の動きに、ただ見惚れていた。
その大きな手は、なんでもこなす。バイオリンも弾けるし、料理も作れるし、スマートに戦えるし……写真を撮る以外は、なんでもできる。全体的に小作りのユウスケには、少し羨ましかった。
「……よし、できた」
満足げな声とともに、ぽんと腕を叩かれる。気がつくと腕にはきっちり包帯が巻かれていた。
「……………」
「なに呆けてるんだ、礼くらい言え」
「あ、ありがと」
ユウスケの意識は、離れていく長い指のほうに向けられていた。どういうわけか妙に名残惜しくて、その手を掴む。
「あっ、ちょっと士……」
タイミングを外して、指先だけを掴むことになってしまったが。ベッドから立ち上がりかけていた士は、どこかぎょっとしたような顔でふり向いた。
「……なんだ?」
「いや……きれいだな、って思ってさ」
「は?」
士の指先だけを見ているユウスケは、士の声が揺れたことにも気づかなかった。
「おまえの指」
「はぁ?」
ユウスケの手の中で、士の指が痙攣するように震える。
「長いし、器用だし。なんか、羨ましいなーっていうか」
「……………」
少し間があって、士がユウスケの手を振り払う。
「……やめろ、気持ち悪い」
「あ、ごめん」
再び離れていく手に未練を感じながら、ユウスケは素直に頭を下げた。態度が冷たいのはいつもどおりで、とくに気にもならない。
ゆるみそうもない包帯を眺めながら、仰向けにベッドに倒れ込んだ。とたんに、腰の痛みを思い出す。
「いたたたた……」
「まだ痛むのか」
戸棚に救急箱をしまいながら、士が興味のなさそうな声で尋ねてくる。
「んー、まあね……」
「そっちも手当てしてやろうか?」
「んー、そうだな……え?」
言われている意味がわからずに身を起こそうとすると、いつのまにかベッドサイドに士がもどってきていた。長身の影がユウスケの上に落ち、それから士自身がユウスケの上に乗りかかってきた。
「つっ、士!?」
起き上がる間もなく、あっという間に長い手足で押さえつけられた。
すぐそばまで迫る顔は、逆光でもわかるくらいに楽しそうな表情を浮かべている。
「おい……」
さっきユウスケの腕を手当てした長い指が、今度はユウスケの頬に理由もなく触れた。そのまま、硬い指先が唇をなぞっていく。動くこともできずに、ユウスケはただ目を見開いて士の笑みを見つめているしかなかった。
「痛いのは尻だったな? おまえの好きなこの指で、奥まで探ってどこが痛いのか確かめて、薬を塗ってやろうか? 気持ちよすぎて泣いても知らないぞ……」
その言葉に従って、もう片方の手がユウスケの背中から腰へとゆっくりと撫で下ろす。
くすぐったいような感覚に身をよじりながら、ユウスケは自分が息を止めていることにようやく気づいた。
「おっ、おまっ……」
大きく息をついたときには、すっかり顔に血が上っていて全身が熱くなっていた。そんなユウスケを見て、士は肩をすくめて噴き出す。
「……なに必死な顔してんだ。冗談だよ。だれが好きこのんでそんなことするか」
唇をなぞっていた指でユウスケの頬を乱暴につまむと、今のやりとりがなにもなかったかのようにさっさと身を起こす。あっけないほどにあっさりと、士の重みが離れていった。
ユウスケも肩で息をしながら起き上がり、士を睨みつける。
「くっそ……!」
スマートなジャケットの襟を掴んで引き寄せれば、完全にベッドから降りる前の長身にバランスを崩させるのは難しくない。ユウスケは士の細い腰にしがみついて、自分の体重ごと後ろに倒れた。度重なるダイブに、ベッドのスプリングが悲鳴を上げている。
「おい!? なんのつもりだ!?」
士の声が上ずるのがおもしろくて、ユウスケは彼を逃すまいと腕に力を込めた。
「こら離せ、ユウスケ!!」
暴れる士を黙って抱え込んでいるうちに、こみ上げてくる笑いが抑えられなくなる。
「ふっ……」
士がようやくユウスケの腕を引き剥がして両手首をベッドに押さえつけたときには、もう士に対抗するだけの力が入らなくなっていた。
「……ははははは! そっちこそ、必死な顔してるじゃないか!」
いつものすました顔も、乱れた髪が張りついて台無しだ。手足の自由を奪われているのは自分のほうなのに、ユウスケはなにか勝ったような気がして笑いつづけていた。
「ったく……憑いてても憑いてなくてもバカはバカか……」
ため息混じりに呟いた士は、ごていねいに苛立たしげな舌打ちまで追加してから、ユウスケに体重をあずけてきた。
「……士?」
「疲れた。少し休ませろ」
手も足も、どこも押さえられてはいない。士の長い指はユウスケの顔のすぐ横に投げ出されている。
「休ませろっておまえ……」
ユウスケの肩に頬を押しつけている士の顔は向こうを向いていて、ユウスケからは見えない。
「重いんだけど……」
「うるさい」
身動きが取れないまま、ユウスケは天井を見つめた。士の肩をつかんだ手のやり場がなく、とりあえず彼の背中にその手を置いてみる。骨が浮いた背中は抱き心地がいいとは言えない。だがそれは士も同じだろう。
「休んでいる」はずの士の腕が、しっかりとユウスケの背中にまわされたから。
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