丈瑠/十臓
一夜過(ひとよのあやまち)
清浄な水は、外道の力を消し去っていく。
全身を毒に侵された青年から、死の気配が薄れていくのを感じた。
もういいだろう、と十臓は彼の髪をつかんで水から引き上げる。その身体からは完全に力が抜けていた。少し前から手応えがないと思っていたが、どうやらいつのまにか意識を失っていたようだ。
「……………」
顔を近づけても、息をしている様子はない。
たしかにこの水は毒を消すが、水は水だ。生身の人間ならば溺れ死ぬこともあるだろう。死と縁遠くなってから、そんなあたりまえのことすら忘れていた。
「……面倒だな」
十臓は丈瑠の身体を抱え、岸辺へ這い上がった。岩場へ放り投げても目を覚ます気配はなく、息も止まったままだ。遠い記憶をたどり、あごをつかんで息を吹き込んでみる。何度かやっているうちに、青年の身体が大きく痙攣し、水を吐き出して咳き込んだ。
「生き返ったか」
立ち上がりながら声をかけると、相手は口元を手で拭いながら呆然と見上げてくる。言いたいことはあっても言葉にするだけの頭も気力もないのだろう。
「まだ痺れが残っているはずだ。快復するまでおとなしくしていろ」
「ふざける……っ」
なにか吠えかけた青年はまた咳き込んでうずくまる。水を吐いて最後の体力を使い果たしたのか、そのまま目を閉じて動かなくなった。
今度は息をしているのを確認して、再びぐったりした身体を担ぎ上げる。ここへ投げ捨てておいて熊にでも食われたら本末転倒だ。それに、アヤカシとちがって人間は風邪をひく。まったく、厄介な生き物だ。
自分がそんなことを覚えているのがおかしく思えて、口元をゆるませながら十臓は近くの洞穴へと向かった。
自身の濡れた衣を岩の上に広げながら、火の前に転がした青年を見やる。毒の後遺症でしばらくは動けないだろうから、目の前で武装を解除したところで支障はない。それでなくとも、彼は丸腰の相手に斬りかかれる性格ではない。
横たわる丈瑠に近づいて、十臓は静かにひざまずいた。
頬に張りついている髪をそっと指先で梳いてやると、幼さを残した顔が現れる。背丈こそ見上げるような長身だが、その顔立ちは少年のようにも見えて儚い。
だがこの儚げな青年が、二百年間待ちつづけた運命の男なのだ。
服も髪と同様に肌に張りついていて、細い身体の線を際だたせている。脱がしにくそうだと思いながら、濡れた布地を腹から引き剥がした。どうにも不自由なこの服を引き裂いたら、青年は怒るだろうか……
掌を冷たい腹から胸へと這わせていくと、彼はびくりと身を震わせた。小さな喘ぎが唇から零れる。
そして次の瞬間、丈瑠の腕が十臓の手首をつかんでいた。
「!」
目が覚めたのかと息をつきかけ、こちらをまっすぐ見据える瞳が虚ろに濁っていることに気づく。なにより、まだ痺れているはずの身体がこんな力を出せるわけがない。
「毒か……」
抜けきっていない毒が、思わぬ作用を及ぼしている。幻覚を見ているのか、それとも毒に意志を奪われたのか。どちらにしろ、正気でないことはたしかだ。
十臓はちらりと目を上げた。刀は火の向こうにある。油断したわけではないが、結果的にはそういうことになった。あの水から上がったばかりで乾ききっていないこの身体では、外道の力も使えない。
手首に強い指が食い込んだかと思うと、そのまま地面に叩きつけられる。
「が……っ」
痛みに呻きながらも、自分を押さえつけている青年を見上げた。目こそ開いているが、あの強い意志の力は感じられない。
「……畜生の顔をしているぞ」
返事はなかった。彼は口を開け、獲物に噛みつこうとしている。
たとえ錯乱していようと、牙もないただの人間に噛まれて死ぬことはない。多少の痛みは覚悟の上で、十臓は襲いかかってくる獣を睨みつけた。
「しっかりしろ、志葉の……」
言葉は最後まで発せられなかった。あどけない青年の顔をした獣が噛みついたのは、十臓の口だったから。唇に歯がぶつかり、それから強引に舌が押し入ってくる。
「んぅ……」
動きが予測できない舌に翻弄され、十臓は息を切らせていた。その舌を噛み切ってしまうのが最も手っ取り早いのはわかっていたが、自分にはこの男が必要だ。殺すわけにはいかない。
「……っは!」
あごをそらして大きく息をついた青年は、唾液が伝い落ちるのもかまわずに薄く口を開いたまま、十臓を見下ろす。彼がなにを求めているかなど、考えるまでもなかった。
ひざを立てて相手の股間に押し当ててみれば、低い声が苦しげに呻く。そこは、きつい衣服を裂きそうなほどに硬く質量を増していた。
「毒ごときに操られるのか。それとも、封じ込めていた欲望か?」
「……!」
苛立たしげに眉根が寄せられる。彼はひっかくような仕草で服の留め金を外し、焦った様子で下着の中から張りつめた欲望を引っぱり出した。幼い顔立ちと生々しい雄の存在がひどく不釣り合いに見えて、それがどういうわけか十臓の身体を疼かせた。
「志葉、丈瑠……」
志葉家の現当主、若き侍たちに慕われる主人。その青年が禁欲的な侍の仮面をかなぐり捨て、ただの獣と化して十臓を求めている。どれほど焦がれても、決してこちらをふり向こうとしない彼が。
「俺が欲しいか」
答える代わりに、丈瑠は再び噛みついてきた。今度は十臓も舌を差し出し、相手の舌をきつく吸い上げる。
理性を手放したこの青年を組み伏せるのは手間がかかりそうだった。押さえつけて、それからどうする? 初心どおり衣服を引き裂いて、そのまま犯してやろうか。でなければ……
「こちらへ来い」
丈瑠の背中を抱き寄せる。
そうだ、こちらへ引きずり込めばいい。ただ辱めるのではなく、外道へと落としてやるのだ。彼自身の行為によって。すました顔で侍たちを従えている彼の目に、夢や理想などではなくこの自分だけが映るように。
「快楽に……欲望に、身を任せろ……」
十臓は呟きながら自らの帯を解いた。外道に堕ちた身とはいえ、身体は人間のものだ。丈瑠と同じように色欲を貪ることもできる。
十臓のそれを目にするなり、丈瑠は自身を重ねてきた。
「ぅうっ……」
「ぁは……っ」
二人は同時に喘いだ。ぶつかり合うたびに熱は上がり、硬くなっていく。丈瑠は十臓を押しつぶすかのように強く激しく腰を押しつけてくる。
「んぁっ、あああっ……」
身体の中を駆けめぐる衝動を吐き出そうとして喘ぐさまは、溺れかけているときにも似ていた。それでも収まらないのか、十臓の首や肩に歯や爪を立てては熱く湿った息を吐きかけてくるのだ。あまりに激しく野生的な責めに、十臓は肌が粟立つのを感じていた。
時折、黒目がちな瞳がちらりとこちらを窺う。何度もぶつかり、交わる視線は、身体の接触と同様に二人の欲を煽った。
「あぁ……っ、来い、志葉丈瑠……っ」
自ら足を広げ、女役を買って出る。彼はためらいもせず、そこへ猛った雄をねじ込んだ。
「ぉお……ああっ!!」
上ずった喘ぎとともに、十臓が抱えていた細い腰がのけぞる。深く穿たれ、十臓は声も息も止めてただ丈瑠の端正な顔を見上げていた。
「…………っ」
迫りくる激しさは彼の太刀筋にも似て、十臓の心を貫く。
この細い身体のどこに、と思うような勢いで、丈瑠は十臓の中へ己の楔を何度も打ち込む。激痛をじっと耐えて受け入れていた十臓は、それでもうっとりと相手を眺める。
あの赤い仮面の下でも、彼はこんな表情をしていたのだろうか。汗と涙に顔を濡らし、助けを請うように苦しげな目で訴えかけて……
「うぁああ……っ!」
肩にぎりぎりと爪が食い込むと同時に、腹の中に青年の欲望が流れ込んでくる。丈瑠が、たとえ我を失っているにせよ、十臓を求めつづけた証だった。
「十臓……ぉっ」
名を呼ばれ、はっとして目線を合わせようと顔を上げる。だがそれは叶わなかった。
虚ろな視線が宙をさまよったかと思うと、そのくすんだ双眸が閉じられてしまったからだ。細い身体がどさりとと胸の上に落ちてきた。
今度は、たしかめるまでもなく己の肌に彼の息を感じた。ほっと息をつき、ゆっくり丈瑠の身体を着物の上に横たわらせる。
「志葉丈瑠……」
今度は水ではなく汗で頬に張りついた髪を、再びかき上げてやる。触れた程度ではもう起きないにちがいない。
その顔をしばらく眺めてから、己と彼の身体を拭き清めて服を元どおりにした。多少ならず手こずったが、時間だけはあったから。
「う……」
わずかに身じろぎしたかと思うと、丈瑠は目を開ける。
こちらに気づいたその目は、躊躇いなく十臓を見つめていた。後悔も羞恥もそこにはなかった。
丈瑠に、あの記憶はないのだ。最後に名を呼んだのも、錯乱なのだろう。
それならばそれでかまわない。今はこの己だけが知っていればいい。いつか彼が自分自身の意志で、その仮面を壊して向き合ってくれるまで。
彼自身が、十臓の元へ堕ちてきてくれるまで。
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