丈瑠/十臓

2009_シンケンジャー,[!],[R18]

空蝉語(うつせみがたり)

由緒正しい武家の血筋と伝統を受け継いできたこの志葉家には、今でも山のような古文書がある。
外道衆に関する史料から、今では廃れた儀礼や作法のマニュアル、日々の覚書に個人的な日記まで。黒子たちが日々の仕事の合間に少しずつ整理し、電子化の作業をつづけているが、あと何年かかるかわからない。
戦いを終えた丈瑠は、だれから言われたわけでもなくその手伝いをするようになっていた。薄暗い土蔵にこもり、手の中で崩れ落ちそうな本の頁をめくるのは、精神統一の修行のようでもある。
ある日、土蔵の二階で、埃が積もった棚の上に薄っぺらい粗末な包みを見つけた。長身の丈瑠だから見つけられたようなものだ。大判の紙をくるんでいるらしいそれを、注意深く下ろして広げてみる。
褪色してはいるが、暗い場所では充分に鮮やかな色の図版が目に飛び込んできて、なにが描かれているかを頭が判断するまでには数秒を要した。
「!!」
それがなにかを理解した瞬間、丈瑠は慎重な取り扱いも忘れて包みを乱暴に閉じていた。どうしてこんなものがここにあるのだろう。
埃を吸わないように鼻と口を覆っていた布を剥ぎ取る。ばくばくと騒ぎ立てる胸を押さえ、上気した頬をこすり、「これは単なる史料」と自分に言い聞かせながらもう一度開いてみた。
それは、申し訳程度の着物をまとった男女が局部もあらわに絡み合っている絵だった。衝撃的ではあるが、落ちついて見ればなんということはない。どこか滑稽ですらある。何枚めくっても、そんな絵ばかりだった。とはいえ、女同士が絡んでいる図には、さすがに顔が熱くなった。男同士の睦み合いまであって、そこに大した区別がなかったことを思い知らされる。
これが千明の言っていた「オヤジの部屋でエロ本見つけてどうしていいかわかんなくなった瞬間」だろうか。ただし自分の場合は、何代前かわからない血もつながっていない先祖だが。
冷静さをとりもどした丈瑠は、ていねいに包みを直し、元の場所へ置いておくことにした。黒子に渡すのも気まずいし、彦馬に見つかってあれこれ言われては敵わない。
そこまで考えて、今までこれを見つけた者全員がそうしてきたのかもしれないと思い当たる。先代も、彦馬も、あるいは丹波も。そう思ったらおかしくて、一人でくすくすと笑ってしまった。
階段を上ってくる気配がして、はっとふり向く。
黒子は目立たぬよう音を立てず、だが家の者を驚かせないようにさりげなくその存在を示さなければならない。普段は気にも留めないが、こんなとき彼らの技量に気づかされる。いつのまにかそこに立っていられたら、心臓が止まっていたかもしれない。
丈瑠は、埃よけの布に気まずさを隠して、主らしく胸を張った。
「なんだ」
黒子は丈瑠がここでなにをしていたかなど追求はしなかった。ただこれを知らせるのが重要なのだとばかりに、一巻の巻物を差し出してきた。
表には冨和家系図とある。
「冨和?」
口に出してはっと気づいた。
「……十臓の家か!?」
確証はないと前置きした上で、黒子は巻物を床に広げる。そして系図の端を示した。
「これは……」
冨和十蔵。それが、人であった彼の名。
見れば兄弟姉妹もいたようだ。しかし親類縁者に至るまで同じ世代で線は途切れ、系図は終わっている。
「まさに、お家断絶だな」
春画を見つけたときの浮ついた気持ちはすっかり吹き飛んでしまい、丈瑠は沈痛な面持ちでその名前を見つめた。

庭先の桜が揺れるたび、ざあっと音を立てて風を薄紅色に染める。花見も終わり、あとはもう散るばかりだ。
あたたかな春の風の中、丈瑠は青空と桜のコントラストを厭きもせず眺めていた。
「そろそろ八重桜が咲くころですなあ」
「そうだな」
こうして縁側で彦馬と並んで茶をすすっていると、あまりに和やかすぎて隠居に入ってしまったかのような気分になる。千明に年寄りくさいと詰られるだろうか。
自分の想像に一人でむっとして、丈瑠は立ち上がった。
「ちょっと出てくる」
「どちらへ」
「散歩だ」
屋敷の門をくぐり外へ出る。掃除をしている黒子に散歩だと告げ、屋敷を離れた。
裏山の階段を上りきったところで立ち止まる。ここにも桜が植わっていて、あたりを白く染めていた。日当たりのいい庭よりは小ぶりで開花も遅いが、おかげでちょうど満開だった。
「いるんだろう?」
どこにともなく呼びかけたが、返事はない。
予想はしていたことだ。丈瑠は今はもう使うこともない筆を取り出した。
中空に「現」の文字を書く。
文字が宙に躍ったかと思うと、満開の桜の下に一人の男が忽然と現れた。なにもないところから引っぱり出されたといった様子の彼は、どこか戸惑ったように自分の身体を見下ろしている。
「成仏したと思っていたぞ、十臓」
こちらを見据えた彼は、無言で首を振る。
「十臓?」
もしかして、口がきけないのだろうか。丈瑠は少し考えて、もう一度筆を握りなおした。
今度は「聲」の文字を与えられ、男は大きく息をつく。
「……傀儡のようだな」
最初の言葉が意味不明で、説明を待ったが彼はそれ以上なにも言わない。あきらめて、彼に歩み寄る。
「このところずっと、おまえの気配を感じていた。屋敷のそばをうろついていたな?」
「あの屋敷には結界が張ってあるからな」
桜の花びらが、十臓の胸のあたりを突き抜けていった。それを目にして、彼がもう人間でも外道でもないものになってしまったことを悟る。この姿も実体ではない。
「なぜ呼び出した。もう斬り合いはできぬぞ」
「なぜということもないが……」
ただ彼がいるのが気になっていた、存在を確かめたかった。そんなところだ。
丈瑠は融通の利かない男を前に、小さくため息をついた。
「屋敷の蔵で、おまえの家の系図を見つけた」
「……そうか。そんなものがまだ残っていたとはな。さすが志葉家だ」
彼の表情に変化はない。まるで他人事だ。二百年前に捨てた家などもう興味はないのかと、あらためてさびしい気持ちになる。
だが彼を責めても仕方がない。彼は自ら身を滅ぼしたのだから。
「なぜ冨和家の系図がうちにある」
世間話のつもりで気になっていたことを尋ねると、「なぜだろうな」と彼も不思議そうに首をかしげた。
「たしかに、十代目の当主とは懇意にしていたが」
なんでもないことのように明かされたのは、初めて聞く事実だった。
しかし無縁仏となった十臓の一族が、志葉家ゆかりの寺で弔われていたのは、ただの偶然だろうか。
「おまえも、志葉の家臣だったのか?」
そんな記録はない。たとえそうだったとしても、外道に堕ちた裏切り者だ。記録になど残らないにちがいない。だが、なぜか家系図だけは残った。十臓が人であったことを記すかのように。
「いや……念友だったのよ」
そっけなく告げられた言葉を、丈瑠は耳にしたことがなかった。
「ねんゆう……?」
首をかしげる青年を、二百年前の男はため息混じりに眺める。
「志葉の当主もずいぶんと物知らずになったものだな」
「もったいぶらずに教えろ」
焦れて尋ねれば、十臓は呆れたように頭上の桜を仰ぎ、それから丈瑠に歩み寄った。
実体があったならば息がかかるほど口を寄せ、丈瑠の耳元で彼はぼそぼそと何事かを呟く。
最初は意味がわからずに眉を寄せていた丈瑠の顔が、しだいに赤くなっていく。
「……!」
冨和十蔵であった男が、当時の志葉家当主となにをし、どんな言葉を交わす間柄だったか。現代に生きる丈瑠にもわかるように、十臓は淡々と語った。
だれに聞かれるでもないのに小声で耳打ちしてくるのは、彼が時折見せる人間くさい礼儀だろうか。だがその声が秘め事の淫靡さをさらに強調する。
「もう……もういい、わかった!」
時代のせいか、土蔵で見つけた枕絵を否が応でも思い出してしまう。名も顔も知らない十代目に自分自身を重ねて、在りし日の十臓と睦まじく触れ合えたかもしれない日々を空想してしまう。
耳まで赤くなってうつむく青年を、男はいつのまにかにやつきながら眺めていた。
「初心は変わらずか」
「う、うるさいっ!」
自分が禁欲的であることすら気づいていなかった丈瑠の禁欲を破ったのは、十臓だった。いくつかの意味で十臓は丈瑠の「初めての相手」であり、未だに「唯一の相手」でもある。なにかにつけて彼と結びつけて考えてしまうのはむりからぬことで、しかもそれが本人の体験談となれば生々しいことこの上ない。
こうしているあいだにも、かつて触れた唇の感触や舌の味、筋肉の動きなどが勝手に思い出されてしまう。それ以上は危険な気がして、ぶんぶんと頭を振った。蔵で枕絵を見つけたときのほうがまだ冷静だった。
だが恋人の思い出語りをした十臓のほうは、虚ろな目で桜の枝を見上げている。
「もう顔も覚えていない。あれほど身体を重ねたというのに。妻よりも想っていたというのに……」
丈瑠にはまだ男女の関係はよくわからない。二百年も昔のこととなればなおさらに。
二百年。想像するには遠すぎる、外道でも愛した相手を忘れるほどの期間だ。
「俺のことも……忘れるのか」
舞い散る花びらをぼんやりと追っていた目が、まっすぐ丈瑠を見据える。そこには死してなお消えない意志があった。
「忘れるものか。俺を満たしたのはこの二百年でおまえだけだ。満たされた感覚も今はもうないが……おまえだけは忘れぬ」
「俺は……」
丈瑠は思わず目の前の男に手を伸ばしていた。なにひとつ手応えもなく彼の胸を突き抜けた手に、桜の花びらが舞い落ちる。
向かい合っているのに、もう二度と触れることはできない。
十臓は全てを失った。人間としての己も、外道の肉体も、果てない欲望も、満足感さえも。丈瑠だけが未だに持っている。斬り合った手応え、激しい快楽、高揚感。思い出しただけで火がつく肉体……
十臓がこの世に残していったものを、全て抱えて生きていけというのだ。若い丈瑠には、外道衆の復活に備えるよりも先の見えない、気の遠くなりそうな話だった。
「……ずるいな」
呟いて、桜の花びらを握りしめる。
十臓が滅び、丈瑠が生き残る、それ以外の結末は許されない。だが彼が人であったころの話など聞かされては、二度と触れられない歯がゆさが募るばかりだ。
深いため息をつく青年を一瞥し、男は再び桜の木の下へと歩いていく。草の葉一枚も動かさず、舞い散る一片の花びらのように静かに。
「これからどうする、影武者よ」
影武者、と言ったのは挑発だろうか。苦笑しながら、丈瑠はポケットに手を突っ込む。
「生きていくさ」
それしか答えようがない。
自分の代で外道衆と戦うことはもうないかもしれない。しかし、外道衆は滅ばない。ドウコクの残した言葉どおり、いつかまた現れる。丈瑠は常に待ちかまえていなければならない。生きているかぎりずっと。志葉家の当主が何代もそうしてきたように。
「おまえは? 成仏させてやろうか?」
そう声をかけると、彼は諦めとも嘲りともつかない笑みを浮かべた。
「できぬよ。もう三途の川を渡るだけの力もない。この世を漂うだけだ」
それは彼にとって赦免だろうか。罰だろうか。
だが、この状態がいいはずはない。人は死ねば三途の川を渡るもの。渡れずにこちらへとどまるのは自然の理に反する。今は無害だが、再び外道としてよみがえる可能性がないとは言いきれない。
あとでそれとなく彦馬か黒子に聞いてみようか。いや、あの土蔵の中にその答えがあるかもしれない。もっと気を入れて古文書整理を手伝おう。
そんなことを考えながら、丈瑠は十臓を見つめた。
「仕方ないな。これからは俺のそばにいろ」
この世にとっても、彼にとっても、それがいちばん安全だろう。だが十臓は丈瑠の言葉を鼻先で笑った。
「残りの命などせいぜい五十年程度ではないか。おまえが死んだら、子に取り憑けばよいのか?」
「な、冗談じゃない!」
自分のせいで、志葉家が子々孫々十臓に祟られるようなことがあってはならない。
「そのときは、俺がおまえを三途の川の向こうへ引きずっていく!」
「……………」
十臓は口を開け、彼らしくもない無防備な表情で丈瑠を見つめていたが、やがて目を伏せて微笑んだ。
「楽しみにしているぞ」
その声の遠さに気づけば、彼の姿はかなり見えにくくなっていて、ほとんど背後の桜に溶け込んでいる。
「十臓……!」
「おまえが早死にするように願うとしよう」
笑み混じりの声が遠のいていく。
「縁起でもないこと言うな」
丈瑠は手の中で筆をくるりと回す。
力を失った文字の切れ端が、桜の花びらとともに舞い散っていった。


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