丈瑠/十臓

2009_シンケンジャー,[!],[R18]

夜桜

闇にのしかかるように咲く満開の桜を、提灯の明かりが下から照らす。
規模は小さいが美しい夜桜に、丈瑠は感嘆のため息をついた。

「盃」の文字が、中空でくるりと回転する。
十臓は手の中に落ちたそれを、目を細めて見つめた。
丈瑠は筆を置き、代わりに酒壷を取った。かたむけた壺からは液体が流れ出るが、それはほんとうの酒ではない。盃と同じ、「文字」なのである。それを言うなら目の前の男も、文字の力によって人のかたちをとっていられるのだった。
丈瑠は自分の盃には本物の酒を注ぎ、彼に向かって掲げた。
「今年の桜に」
「……………」
十臓は黙って盃を干す。
そしてしばらく丈瑠を見つめていたが、やがてもそりと口を開いた。
「何故だ」
短い問いにこめられた戸惑いを、丈瑠はたしかに感じとる。彼の気配を感じるのに似ていた。
「さあ……おまえを忘れないためかな」
微笑みながら答える丈瑠に、十臓は感情のない目を向ける。
「俺はおまえを忘れぬ。だがおまえが俺に縛られている必要はない」
かつての彼なら決して口にしなかった言葉だ。あれほど激しく丈瑠を求めた欲望は、もう存在しない。丈瑠は胸の奥にかすかな痛みを感じる。十臓の中からは滅びようとも、丈瑠の中にはまだ十臓の残していった火種がくすぶっていた。
「忘れたくないんだ、おまえを」
互いの盃にもう一献。
「それに、おまえと酒を飲みたかった」
理由など、とくにないのかもしれない。もし剣士として違う出会い方をしていたなら……そんな幻想を見ているだけなのかもしれない。
「味はどうだ」
「……味もなければ、酔えもせぬ」
「不満か?」
「満たされぬ心さえ、残っていないのだ」
虚ろな目が、はらりはらりと舞う花びらを追う。
「だが」
十臓は再び文字の酒をあおる。今一度丈瑠を見据えた目には、闇ではなく柔らかな光が宿っていた。
「おまえが望むなら、何度でも現れよう」
丈瑠は黙って微笑んだ。

門にも玄関にも黒子はいない。ほっとして部屋に戻る。しかし自室の前で立ち止まらざるをえなかった。
「おかえりなさいませ、殿」
流ノ介が廊下の真ん中に正座している。月明かりで表情はよく見えないが、笑ってはいない。
「あ……」
丈瑠が気まずさに目を背けたとき、部屋の障子が静かに開いた。
「おかえり」
「おう、ゆっくりだったな」
茉子と源太が顔を出す。
春先はこの屋敷に集まって花見をすることになっていて、久々に全員が揃った夜だった。いちおう全員が酔いつぶれたころを見計らって出てきたつもりだったのだが……
「おまえら……」
流ノ介がすっと手を挙げる。
「なにも、おっしゃいますな」
言い訳も許されないのかと肩を落としかけた丈瑠に、源太が苦笑いしながら歩み寄ってきた。
「責めてるわけじゃねえよ。丈ちゃんにだっていろいろあるってことくれえ、わかってるのさ」
大人びた幼なじみには返す言葉もない。
「心配かけて……すまん」
頭を下げると、茉子が苦笑しながら手を振った。
「いいのよ。信じるって決めたんだから。ね、流ノ介?」
返事をしない流ノ介と、その肩を小突く茉子の表情から見て、一悶着あったのだろう。
それでも流ノ介は最終的に丈瑠を信じることを選んだ。
「殿に枷をはめるのが我らの仕事ではありませぬ。殿のお心に従うことこそが我らの本懐なれば……」
感極まったのか声が大きくなる流ノ介に、茉子が人差し指を立てて黙らせる。
「二人が起きちゃうでしょ」
丈瑠は部屋の中を覗き込んだ。
部屋の隅では千明が毛布をかぶって転がっているし、ことはは奥の間で丈瑠の布団に入って寝ている。丈瑠が出ていったときのままだ。
つい頬をほころばせた丈瑠は、起きている三人をふり返った。
「明日の朝、皆の前で話す。それまで待ってくれないか」
三人は驚いたように互いの顔を見て、それでもすぐに三者三様の返事をよこしてくる。
「合点承知!」
「いいわよ」
「殿の仰せの通りに!」
「じゃ、それまで……」
源太が障子のそばに置いてあった一升瓶を取り上げる。
「大人だけで飲みなおすか?」
「ウーロン茶でいいなら、つき合うけど」
「朝まででもお供いたします!」
下戸の二人までもが縁側に座りなおしたのを見て、丈瑠は無性に泣きたくなった。もっと酔えば、泣いても許されるだろうか。
三人のあいだに座布団が敷かれ、「殿」は普段どおりにそこへ座る。
「ありがとう」
十臓に向けたのと同じ笑みを、仲間たちに向けて。
今は見えない夜桜に、もう一献を捧げた。

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