魁利/透真
明かりを消したはずの店から物音がしたので、初美花はおそるおそる下りていって戸口から覗いた。
厨房にだけ照明がついていて、いつもとは違う人物がいる。
「魁利?」
見ず知らずの男二人と共同生活を始めて少し経つが、役割分担はわかりやすく明確で、透真以外が厨房に立つことはほとんどない。
目を凝らし、彼の手にあるコップに気づいた。その横にあるボトルにも。
「お酒飲んでるの!?」
思わず声を上げた初美花に、魁利は眠そうにも見える顔を向ける。
「うるせえな……」
言いながらもさらにコップを口へ運び、ジュースのようにくいと飲み干した。
「ここワインしかねーの、つまんね」
ビール派なんだけどオレ、と呟いて、さらにボトルから酒を注ごうとする。初美花は魁利に駆け寄り、その手を止めようとした。
「お酒なんて飲んだらダメだよ、それに勝手なことしたら透真に怒られるよ……」
「はあ?」
こちらを見下ろした目が、今までに見たことがないほど冷たくて、思わず後ずさる。
「酒くらいでなに言ってんの? 透真がオレらよりえらいのかよ?」
口元に浮かんだ軽薄な笑みが、今は逆に恐ろしい。
「いや、だから……」
そのまま壁に追いつめられる。危険だとわかっているのに、わかっているからこそ身がすくんで動けない。
「おまえさ……」
長い指が初美花の頬に触れ、そして唇をなぞった。普段はきれいな顔だと思わなくもないけれど、こんな状況でときめきなんかあるはずもなく、緊張に息を止める。
その高い鼻がこちらの顔に触れそうになったとき、別の声が割って入った。
「そこでなにしてる」
あとからやってきた透真はすぐに魁利がワインボトルを開けたことに気づいたようだった。
「おい未成年、売り物には手をつけるなと言ったはずだ」
もともと低い声が、さらにすごみを効かせた声音になっている。初美花は魁利の陰で縮こまったまま、必死に視線を送った。
「透真、助けて……」
消え入りそうなかすれ声に、透真は片眉を上げて二人を見る。魁利のほうは気にもせず、相変わらずの薄気味悪い笑みを張りつけたままだ。
「二人きりで仲良くしてんだからジャマすんじゃねえよ。それよりさ、なんでビールねえの。大人じゃん、オレの代わりに買ってきてよ……」
透真の眉間がさらに深く寄せられたかと思うと、彼は魁利の胸ぐらを掴んで自分のほうに引き寄せた。壁に寄りかかっていた魁利は転びそうになって引きずられる。
「なにすんだ……」
「……………」
よろけて倒れ込んできた魁利のあごを大きな手で掴んだ透真は、有無を言わせず顔を近づける。
そして強引に唇を重ねた。
「え……!?」
初美花は呆然と二人を見つめる。
「……っ!」
もがく魁利が、透真の腕をふりほどいてその長身を押しやるまで、透真は獲物に噛みついた猟犬のように離れなかった。
「……なにすんだよ! 気色悪ぃ……」
袖で口を拭いながら、魁利は怒鳴る。透真のほうは眉をつり上げたまま、相手を睨みつけていた。
「されなきゃわからないかと思ってな」
「……!」
魁利が言葉に詰まった理由は、そのときの初美花にはわからなかった。だが彼は結局足下のゴミ箱を蹴飛ばしただけで、なにも言わず外へ飛び出していってしまった。
気まずい沈黙が厨房に満ちる。
なにか言おうと顔を上げたが、透真は不機嫌そうな顔で魁利が残していったボトルとグラスを片づけはじめた。初美花のほうは一度も見ないまま、それでも声だけはよこして。
「さっさと部屋に戻れ。念のため鍵もかけておけよ」
「う、うん……」
礼を言うのもおかしい気がして、それよりも魁利にあんなことをした透真も怖くて、鍵をかけろと言われた意味を考えたくなくて、逃げるように部屋へ駆け戻った。
パニックになった頭で、懸命に考える。
魁利が初美花にしたかもしれないことを、透真は魁利に「してみせた」のだ。
透真なりの助け船だったのかもしれないけれど、その方法はひどく乱暴で、そして魁利も必要以上に傷ついてしまったのではないかと思う。
彼だってきっと今の状況が不安だったにちがいない。悪いとわかっていても、好きでなくても、手を出さないわけにはいかなかった。
それはきっと透真も同じで、もっと穏やかな方法もあったはずなのに、ああやって嫌がらせのようなやり方でしか止められなかったのかもしれない。
「なんで……」
つきあいは浅いが仲間だと思っていた二人が、今夜だけは全く知らない存在に見えた。
怖くて、悲しくて、その夜は一睡もできなかった。
「昨日はごめん……酔ってて。もう二度としねえから。ホントごめん」
どこへ行っていたのか翌朝戻ってきた魁利は、開店準備をしている初美花にもそもそ謝った。
仕込み中の透真はなにも言わず、魁利も詰ったりはしなかった。
その後どちらかが謝ったのか、初美花は知らない。ただ自分よりも二人きりで過ごす時間が長いから、話をせずに済ませることはできないだろうと思った。
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