魁利/透真
『自分より大きくて力が強いっていうだけで、怖いって感じるものなんだよ。とくに女の子は……』
状況を理解したとたん、彼女の声が蘇った。
初美花を助けなくてはなどという義憤ではなくて、単純に腹が立った。自分の厨房へ勝手に入り込み、我が物顔でふるまっている魁利に。殴るだけでは気が済まなくて、明確に「わからせてやる」方法を選んだ。
魁利は必死に抵抗し、そして逃げ出すはめになる。翌朝戻ってきた彼は、酔いの醒めた顔で初美花に頭を下げた。心から反省しているようで、あれほどの荒療治は必要なかったのかもしれないと、明るい朝日の中で思った。
だが透真と目が合うなり、魁利は露骨に顔を背けた。気まずさを感じているだけにも、怒っているようにも見えなくはないが……。
階段を上って、自室のドアを開ける。
一人には広すぎるその部屋には、ベッドが二つあった。初美花だけが廊下向かいの小部屋で、透真と魁利は大きいほうの部屋を二人で使っていた。同室とはいっても、透真は一日の大半を階下の店で過ごしている。二人でいたところで共通の話題もなく、気を遣うつもりもないから、同居人という実感も薄い。
ソファに寝転がっていた魁利が、起き上がる。
他の家具と同様に元から部屋にあった長椅子は三人でも座れそうな幅だったが、一人が座っていたらもう一人は自分のベッドに腰を下ろすのが暗黙のルールになっていた。
だから透真が出入りしたところで、魁利は気にせず肘掛けに脚を乗せているのが普通で、こちらも無視できる、はずだった。
ところが今にかぎっては、どこか緊張した面持ちでクッションを抱えて座りなおしている。あきらかに透真が部屋に入ってきたのを意識しての動きだ。
それでも気にせず彼の前を通り過ぎようとして、ふと思い当たる。
「魁利」
ソファの前で足を止め名を呼ぶと、携帯端末に目を落としていた彼はゆっくりと顔を上げる。過敏に反応しないよう、自制しているのがわかった。それほどまでに神経を払わなければいけない状態だということだ。
ソファの正面に立ち、見下ろす。
「俺が怖いか?」
「……はぁ!? んなわけねえし!」
語気の荒さとは裏腹に、その表情は情けないほどにひきつっていた。
「おまえ……ゆうべの初美花と同じ顔してるぞ」
「……!」
クッションを抱きしめる腕に力がこもったのが見える。
「謝る気はないが……引きずるほど怯えるとは思わなかった」
「だからちがうって言ってんだろ!」
弱い犬が闇雲に吠えているようにしか見えない。
一発殴られてやればいいのか。それとも優しく撫でてやればいいのか。どちらも現実的ではないと考え、顔を上げる。
「安心しろ。おまえがまた妙な気を起こさないかぎり、俺もあんなばかなことはしない。楽しくもなんともないしな」
それだけ言い置いて自分のベッドへ行こうとすると、勢いよく立ち上がった魁利に腕をつかまれた。一発殴られるほうか、と反射的に身構える。それで気が済むならと奥歯を噛みしめた。できれば初美花に不審がられないよう、顔以外にしてほしいが……。
不機嫌な顔へシャツを引き寄せられ、そしてむりやり口づけられる。とっさに相手の体を押しのけようとしたが、思いとどまった。
「んっ……」
はじめ、ただ唇を押しつけてきただけだった魁利は、透真が抵抗しないのに気づくと今度は唇をこじ開けようとする。それにも逆らわず口を開けると、舌をねじ込んできた。そうきたか、と思いながらその舌をいなす。
「……っ」
透真を突き飛ばすようにして離れた魁利が、大きく息をついてこちらを睨みつけた。
「なんで……っ、逃げねえんだよ……」
濡れた口元を手で拭い、透真は彼を見返した。
「べつに、怖くないからな」
自分で言いながらふざけた理由だと思ったが、つまりそういうことなのだろう。それほど体格がちがうわけでも年が離れているわけでもないのに、魁利は透真を脅威と認識してしまった。だから必死に反撃しようとしてくる。
しかし今のやりとりで、その恐怖も無意味だと理解したらしい。
「……あーくっだらねえ! 男と二回もキスしちまったよ、なにやってんだ……」
髪をぐしゃぐしゃとかきまわして、魁利は大股に自分のベッドへと戻っていった。
「まったくだ」
憐憫にも近い感情がわずかによぎったが、敵意剥き出しの鋭い目つきを思い出して打ち消す。
壁を向いて寝転がったまま動かなくなった背中を数秒見つめ、透真は空いたソファへ腰を下ろした。
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