往壓/放三郎
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枯芙蓉
雪見酒、というほどにしゃれた場ではない。
あまりの寒さに雨戸まできっちりと閉ざされ、あとは雪も月も関係ない無礼講。仕事を終えた奇士たちは、なじみの店で慰労の宴を開いていた。
しかし全員で楽しく騒いでいたのも、一刻以上前の話だ。
宰蔵はすでに火鉢の傍らでうずくまって寝息を立てている。アビが半纏をかけてやったのも気づいてはいないだろう。アトルはさすがにしゃんと座って酌の真似事などしているが、すでに目は据わっている。禿の姿ではないせいか、気もゆるんでいるようだ。
そして、起きてはいるが厄介な酔っぱらいが一人……
「おい、飲みすぎじゃねえのか?」
「これくらい、どうということはない!」
真っ赤な顔で猪口をあおる男に手を焼いて、往壓は助けを求め仲間のほうを見る。
「お頭、そろそろ……」
腰を浮かしかけたアビを目で制して、元閥が煙管を紅い唇から離した。
「往さん、隣の間に連れていっておあげよ」
「なんでおれが……」
「なんでもなにも、往壓さんがいちばん近いからさ」
なるほど、放三郎は往壓の肩にもたれるようにして酒を飲んでいる。顔は真っ赤で、着物の裾もだらしなく乱れている姿は、とてもきまじめなお武家には見えない。
「江戸に下戸と化け物はいねえはずなんだがなあ……」
往壓がぼやくと、元閥がふっという笑いとともに煙を吐き出した。
「化け物がいるんだ、下戸がいたってなんの不可思議もなかろう?」
「ちがいねえ」
その化け物退治を生業にする彼らに、不可思議も変異もない。この始末に負えない下戸も、そのひとつと思えば得心がいく。
往壓は肩を落としてため息をついた。寄りかかっていた放三郎の身体がずるりと倒れ込んでくる。ひざの上に落ちた頭を見れば、険しい表情のまま目を閉じていた。なにやら呟いてはいるが、すでに意味を成してはいないようだ。
「おいおい、そこは枕じゃないぜ、お頭……」
往壓の情けない声に、元閥とアビは顔を見合わせてくすくすと笑った。
あまりの寒さに肩をすくめる。朝というには日が高くなりすぎているが、それでも真冬の寒さは和らいではいない。
「寒いから、富士がよく見えるな」
遥か遠くに霞んだ山が見える、その名も富士見坂を下りながら、彼らは黙って白い息を吐いていた。
少女が二人、競うように駆けていく。その後ろを、少しふらついた放三郎と往壓がゆっくり歩き、さらに坂の上あたりで、元閥とアビが立ち止まって富士を眺めていた。
「往壓!」
坂の下でアトルが手を振る。愛らしい少女の姿に頬をゆるませて手を振り返すと、彼女はちがうちがうと首を振って、自分の前にあるものを指さしている。
四人の大人たちは、少し歩みを早めて彼女の元へと下りていった。
「これ!」
きらきらと目を輝かせて、アトルは雪をかぶった枯れ草を指さした。どうやら、いいものを見つけたと言いたいらしい。大人たちは困惑して枯れ草を覗き込む。
「こりゃあ……」
「……芙蓉の実か」
「ふよう?」
首をかしげる異国の少女を見て、男のなりをした少女が得意げに鼻を鳴らす。
「なんだ、知らんのか。芙蓉というのは大きくてきれいな花のことだ。夏にはこれくらいの花が咲く」
宰蔵が両手で丸を作って大きさを示してやると、アトルは碧眼を輝かせて実を眺めた。
そんな少女を眺め、往壓はふっと苦笑する。
「若いころはきれいでも、枯れちまえば、そんな珍妙な姿になる……花も人も、同じだ」
往壓は手にしていた枝で、傍らの若者を指した。
「ほら、これが酔芙蓉」
枝はすっと弧を描き、往壓自らを指して止まる。
「そして、これが枯芙蓉」
そう言ったとたん、横で宰蔵が勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「学のない年寄りめ! 芙蓉とは、女の顔を褒めるのに使うのだ!」
「そうかい」
子どもたちを追い越した元閥が、低い声で呟く。
「酔芙蓉……朝は白く、夕になると赤くなる芙蓉のことですねえ」
放三郎の顔がさっと赤みを増した。
「酔っているのが私だけだと言いたいのだろう?」
「いえそんなつもりは……」
「おい小笠原さん、あんまり暴れるなよ……」
江戸元へ抗議の拳を振り上げた放三郎は、よろめいたついでに往壓を巻き込んで転んでしまう。あわてて助け起こそうとする大人たちを尻目に、少女二人は芙蓉の実を摘んではしゃいでいた。
屋敷へと放三郎を送った面々は、気の利く用人に茶など出されてそのまま居座っていた。
さすがに武家屋敷で迎え酒というわけにもいかず、元閥とアビは庭を眺めながらおとなしく熱い茶をすする。
「往壓さんは、いつもどってくるんだろうな」
ふと奥の間へと視線を向けたアビに、元閥は詰るような流し目を向けた。
「野暮はお言いでないよ」
わかったのかわかっていないのか、アビはうむとうなずいて黙り込むと庭を見やった。真っ白な庭先には、少女たちの軽やかな声が響いている。
「なにをしてる?」
「かわいいだろう」
宰蔵は手を真っ赤にして雪うさぎを作り、アトルはなぜかその横に芙蓉の実を立てていた。故郷の国にはなかったのだろうか、よほど気に入ったらしい。
「こんなに寒いってのに」
アビが肩をすくめて呟く。江戸よりさらに寒い土地からやってきたはずの男は、もうすっかり江戸の空気に慣れきっていた。元閥はそれを知っておかしくなり、くっくっと笑う。
「だが、おかげであんなに美しい芙蓉が見える」
「芙蓉? あの実か?」
少女の足元を見るアビに、元閥は笑って、煙管で空の向こうを指した。
「ああ……富士か」
盃を伏せたような山が、遥か遠くに見える。
「あの人は、最初からそのつもりで言ったのだろうねえ」
煙管の雁首が、こんと軽妙な音を立てて火鉢に当てられた。
「己もお頭も、日本一だとさ」
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