往壓/放三郎

2006_天保異聞妖奇士,[!],[R18]

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火傷

紅い唇が品よくすぼめられるのを、ぼんやりと眺めた。
熱い粥を吹いて冷ます姿さえ、色香を感じさせるのはさすがというほかない。
「はぁい往さん、あーん」
「…………」
元閥が、ひどく楽しそうな顔で匙を突きつけてくる。手が使えないから、拒むことは叶わなかった。
おとなしく与えられた粥を一口食べ、そしてむせる。
「あらあら、だいじょうぶかいおとっつぁん」
「おう、いつもすまねえなあ……」
乗ってやってから睨みつけると、目をそらして粥の椀をかき混ぜている。ただ楽しんでいるだけなのは明らかだ。
「江戸っ子のくせに猫舌かい?」
「くせに、は余計だ。こちとらいっぺん焼かれてんだよ。また火傷増やしたかねえ」
異界の炎に灼かれた両腕は、それなりに快方へ向かってはいる。並みの火ではないから、己の持つ力でいくらかは防げたのか。それは、おそらくだれにも知り得ぬことだ。往壓自身にも。
「ああ腹へったな、そばでも食いてえな」
「無茶をお言いでないよ、往さん。ほら、あーん…」
元閥がなおも匙を口元へ近づけてくるのを、諦めの境地で受け入れようとしたとき。
「入るぞ」
凛とした声とともに、障子戸が開いた。
「あらあ、お頭……」
「おう、小笠原さん」
元閥が往壓に粥を食べさせようとしているのを見ても、とくに驚いたようすはない。
「なにか事件でも?」
「いや。ようすを見に来ただけだ」
そう言いながら障子を閉める彼を見て、元閥はなにに思い至ったのか、大仰に声を上げた。
「そうだ、アビも見舞ってやらないと! お頭、申しわけありませんけどねえ、往さんをお願いしますよ」
「おっ、おい……」
隣に座った上司に粥の椀を押しつけると、そそくさと立ち上がって部屋を出ていく。
いきなりのことに、残された二人は呆然と軽やかな足音が遠のいていくのを聞いていたが、やがて困り顔を見合わせるようになる。
往壓は苦く笑い、肩をすくめた。
「アビ……まだ臥せってるのか?」
あの修羅場で、最後の力を振り絞ってアビの漢神を奪い返し、彼の中にもどしたまでは覚えている。だが、その後のアビがどうなったかは見届けられなかった。
「そんなはずはない。毎日蛮社改所にも顔を出しているぞ」
「そいつぁよかった」
とすると、元閥はなにかの目的でこの場から逃げたのだ。わからないでもなかったが、いらぬ気遣いだとも思う。
「おまえこそ、大事ないか?」
「あ? ああ……」
両の手から肩までを白布で覆った姿は、己が思っているよりも痛々しく映るのだろう。
「小笠原様に案じていただけるとは、勿体なくて身がすくむってもん……」
「茶化すな!!」
おどけて肩をすくめかけたところに一喝され、びくりと身を震わせる。本気らしいと口をつぐめば、青年はほうっと息をついて覗き込んできた。
「こちら側で、生きていてくれるのだな」
「……ったりめえよ」
あちら側には、力を持つ者の心をつかんで離さない魔力がたしかにある。その恐ろしいほどの誘惑から逃れるのは、決してたやすいことではない。
力を持たぬ彼には永遠に知りようもないことだが、彼は彼なりに案じていたようだ。
「おまえの力は……宰蔵たちとも異なる気がしていた。より、あちらに近いような……おまえがあの男に負けるとは思っていなかったが……」
自ら、そちら側に足を踏み入れることはあるやもしれぬ、と。
めずらしく顔を曇らせた青年に、往壓はそっと微笑みかける。
「あっちがどんなに追っかけてきても、俺ぁ逃げてやるよ。なんたってこっちには、あんたがいるからな」
「……そうか」
なんの確証もないのに、彼は往壓の言葉を誓約のように信じて笑みを見せる。この笑顔を裏切ることなどだれができようか。
彼はふと目を落とし、手にしていた椀にようやく気づいたようだった。
「食うか?」
椀ごと差し出され、思わずため息が洩れる。ぐるぐる巻きの両手を掲げて、現状を示した。
「な? だから、食わしてくれよ」
「む……」
彼は暫し椀と病人を見比べていたが、匙に山盛りで粥をすくうと、往壓に突きつける。
「……火傷しろってか……?」
湯気の立つそれは、いかにも熱そうだ。そう言うと彼は小首をかしげ、自ら匙を一舐めした。
「たしかに熱いが、それほどではないぞ」
旨いな、と呟きながらなおも匙を口に運んでいる。誰のために作られた食事か忘れているようだ。
「やれやれ」
痛む腕をむりやりに持ち上げて、彼の肩を引き寄せた。
「りゅうど……」
怪訝そうな声で問う口を、己の口でふさぐ。そして、食糧を返してもらおうとした。
「……熱ぃ!!」
舌を差し入れたまではよかったが、口の中の粥は存外熱かった。驚いてすべてを飲み込んでしまった若侍は、軽くむせたあとで、ほうっと息をつく。
「……それだけ騒げれば、大事ないな」
「口ん中まで火傷しちまった」
熱さにやられた舌はひりつき、余計に動いたおかげで腕の痛みは増している。それでも。
「腹ぁへったよ、小笠原さん……」
布団から身を乗り出して、きっちりとそろえられたひざの上に頭を乗せる。
彼は少し驚いたように動きを止めたが、さして動じることもなく椀を下に置いた。
「冷めるまで待て」
「ああ」
冷めるまではこのままでいいと許しを得て、往壓は満足げに目を閉じる。
ひざの上を占拠されて置き場を失った手が、暫しさまよってから、横たわった男の肩に置かれた。

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