七海/伊地知

2024_呪術廻戦,[!],[R18]

【終.残存価値】

 ◆

 特定の個人に微量な呪力を与えつづけるだけの、毒にも薬にもならない、冗談のような術式。
 発動するまでずっとそう思っていた。いや、発動後も、認識は変わらなかった。今ではただのきっかけにすぎず、縛りなどあってないようなものだと思っていた。

 相手が先にいなくなった場合はどうなるか、だれも教えてくれなかった。

「七海さん……」
 意識が戻ったときにまず悟ったのは、七海の死だった。
 嘘だと叫びたかったが、初めて経験するその感覚は、まちがいなく「対象者の死」を実感させる。見てもいないのに、もうこの世のどこにもいないのだという確信しかない。
 それまで彼との「繋がり」など意識することはなく、呪力の流れも感知できなかった。自分は呪力が低すぎるから、相手は呪力が高すぎるから。
 自分の縛りを初めて意識できたのが、縛りが切れた瞬間だとは皮肉にもほどがある。
 だから、駆けつけた家入に向かって最初に洩れた言葉は、自分のことではなかった。そのあと知ることになる渋谷の惨劇や、最も重要な懸案である五条悟の封印に関する問いでもなかった。
「七海さんが、亡くなりました」

 体中が痛む。生きている証拠だ。
 重傷者が多いため、家入の反転術式も全員に手が回らない。時間操作や空間操作系の術師に傷の悪化を止めさせながら、彼女は休みなく治療を続けている。
 そんな家入を前に、口から洩れたのは惨めな泣き言だった。
「私が死ねばよかった」
 生き残ったのは自分だ。七海は伊地知を家入の元に運び込み、現場へ戻ったという。
「私じゃ誰も救えない……」
 最後に接触してから、数時間しか経っていない。死の瞬間まで、七海は伊地知の「缶コーヒー1本分の呪力」を保持していたことになる。
「役に立たない縛りは、無意味です……」
 伊地知の口から嗚咽とともに洩れる言葉に、家入は静かに答えた。
「意味のない縛りなんてないよ」
「じゃあ罪ですか!」
「伊地知」
 家入が珍しく声を張った。
「七海の死を目撃したのは虎杖だけだ。虎杖だって正気じゃない時間のほうが長かった。つまり宿儺の嘘って可能性もあった。強制解呪による断定がなければ、皆が七海の生存をあきらめきれず、今も無駄な捜索をしていたよ。無数の遺体と残穢が入り乱れる現場で、それがどんなに厄介かわかるだろ」
 想像を絶する殺戮がくり広げられた渋谷の様子は、断片的にしか知らされていない。それでも前代未聞の異常事態であることは理解していた。まだ渋谷一帯が封鎖されていることも。
 だが感情が状況を受け止め切れていない。
「人の死を確信するための能力なんか……」
 体が干からびるほど泣いたのに、まだ涙は止めどなく溢れてくる。何もできない自分が目を覚ました瞬間から、視界には絶望しか映らない。
「五条さんもいなくなって……私は何のために生き残ったんですか……」
 この人生は、五条悟によって敷かれた道も同然だった。その五条が封印されるなど、目の前の地面が崩れて崖っぷちに立たされたにも等しい。
 五条なしの自分にどれほどの力が残っているか。いや、何の役割が残っているのか……。
「そうだな……灰原も夏油も五条も七海もいなくなった。私も世を儚んで消えようか」
 ぽつりと、家入が呟いた。
「あ……」
 親友二人の対立が、大量殺戮の原因となった。現場に残っている直接の後輩は、今や伊地知だけだ。感情を表に出さない彼女の心中は、誰にも推し量れない。
 しかし涙どころか眉ひとつ動かさず、家入は伊地知の前に立っている。
「私は誰がいなくなろうとここに残るよ。私の役目だからな」
 伊地知はどうする。
 言外に問われ、嘆く暇などないことにきづいた。

 東京校は今、圧倒的に人手が足りない。京都校からの応援でなんとか最低限の機能を回している状態だ。他の補助監督も、多かれ少なかれ負傷している。自分だけが寝ているわけにはいかない。
 まだ外見上の傷は治っていないが、内臓と筋肉が修復された段階で現場へ戻った。
 各方面との連絡・交渉・手続き……ただの人間にしかできない業務が山ほどある。上層部からは「五条派」と見なされている身でも、必要とされる場はまだ残っていた。
 忙しく動いているあいだは、自分のことを考えずに済む。後悔も不安も割り込む余地がないほどに働けばいい。気絶するまで休まなければいい。
 長い電話連絡の最中に声が掠れ、喉が渇いていることを初めて自覚した。
 電話を切ってから、ふらふらと屋外の自販機に向かう。
 いつのまにか日が暮れていた。日付も時間も認識しているが、今が夜だという感覚はなぜかなかった。
 煌々と灯りを放つ自販機の前に立っても、何を飲みたいのか判断できなかった。思考が感覚に追いついていない。順番にラベルを眺めながら、ぼんやりと立ちつくす。
 自分は、何が欲しいのだろう……。
「伊地知さん」
 ふり向くと、虎杖悠仁が立っていた。
「大丈夫?」
「おかげさまで、生きてます」
 目立つ顔の傷痕だけではない、体から立ち上る雰囲気が、以前の無邪気な彼とは別人のようだ。
「……新田ちゃんは?」
「まだ治療中です。峠は越えたとのことで、もうすぐ復帰するでしょう」
「よかった。ゆっくり休んでって伝えてよ」
「ええ。彼女も君達を心配していると思います」
「俺と伏黒はぜんぜん元気だからって言っといて」
「承知しました」
 生死が明らかになっていない、他の仲間のことは触れなかった。一晩で大人びた顔立ちに変わってしまった彼も、まだ整理がついていないことは山ほどあるのだろう。
「俺さ」
 少年は伊地知をまっすぐ見据える。
「ナナミンがあんな状態で俺を待ってられたの、伊地知さんの呪力のおかげだと思ってる」
 伊地知が七海の死を悟った理由を、家入から聞いたのか。虎杖は特殊な術式だと誤解しているに違いない。
「そんなんじゃないんです、私は……」
 だが虎杖は、伊地知の弁明を遮る。
「俺が最期に会えたの、伊地知さんのおかげだと思ってる」
「……!」
 そんなことあるはずがない、と返したいのに、声が出なかった。
『因果は重要です』
『意味のない縛りなんてないよ』
 術師たちがくり返し伝えてくれたその事実から、ずっと目を背けていた。自分に価値がないと主張することで、「縛り」が持つ責任から逃れようとしていたのだと今さらながらに気づく。
「何……飲みますか?」
「コーヒー。ホットの、無糖」
「かしこまりました」
 取り出し口にボトルが落ちてくる音が、やけに大きく響いた。
「どうぞ。私の奢りです」
 受け取った虎杖はその熱を両手で握り込むと、ぱっと笑った。
「ありがと」
 七海が護り、この世界に託した笑顔だった。

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