謙信/信玄
祭りの後・参
風呂上がりの火照った身体は着衣を拒む。
信玄はタオルを腰に巻いただけで、冷蔵庫からビールを出してリビングに向かった。
高校生の一人暮らしには贅沢すぎるそのマンションは、やたら広い居間に大きいソファまで備えつけてあって、ことあるごとに信玄を呆れさせていた。
もともと自宅にはあまり帰らず、仲間の家を渡り歩いていた信玄にとって、他人の部屋を我が物顔で使うことに抵抗はほとんどない。この部屋も驚きこそしたが、慣れてしまえばホテル感覚だ。あとは住人さえいなければ思う存分くつろげる。
しかし、今日に限っていえば部屋の主は在宅していた。
「んだよ……」
腰を下ろそうと思ったソファに、その主人が横たわっている。寒いのかジャケットを掛けて、横幅の狭いところで微動だにせず、熟睡しているようだ。
信玄はビールの缶を片手に、元宿敵の寝顔を見下ろす。
小柄なせいもあって、彼はときどきとても中性的に見えることがある。信玄に容赦のない蹴りを入れながら「死ね」「殺す」と物騒な罵声を吐いているときには決して思わないことだが。
信玄は謙信から視線を逸らすためにビールをあおった。
そして、冷たいアルミ缶を彼の頬に触れさせる。
「!」
びくりと身を震わせて、彼は目を覚ました。真上に信玄の顔を認めるなり、眠気にふやけた顔から一気に剣呑な目つきになる。
「……殺すぞ」
案の定、かわいげのない第一声が投げつけられた。だが今さらその程度では腹も立たない。寝起きの顔をにやにやと見下ろしながら、信玄は身を屈めて目を合わせる。
「どかねえなら、てめえのベッドで寝ちゃうぞコラ」
謙信は「うー」とうなってソファの上でもぞもぞと寝返りを打った。だが起き上がるのはやめたらしい。結局仰向けにもどって信玄を睨みつける。
「……連れてけ」
あまりに唐突な要請で、信玄はぽかんと口を開けてしまった。
「なんでだよ」
「ここは俺の部屋だ。俺の言うこと聞け……」
最後まで言い終わらないうちに謙信はあくびをして目を閉じる。いっそ蹴り落としてやろうかと思ったが、次の瞬間楽しい考えが浮かんでにやけていた。
「へいへい」
一歩も動く気のない人間を運んでいくのにはいろいろとやり方があるだろうが、最も楽で最も屈辱的な方法を取りやすい現状に、謙信は気づいていないらしい。
信玄は空き缶をテーブルに置き、ソファの正面に回って謙信を抱き上げた。
「軽っ!」
「うるせえよ……」
謙信は眉根を寄せたまま目を開けない。女のように横抱きにされているにも関わらず、おとなしく信玄の腕に収まっている。よほど自分で動くのが面倒らしい。
嫌がると思っていた信玄は拍子抜けして、黙りこくったまま謙信をベッドルームまで運ぶはめになった。
ベッドの前まで来て、手前で床に叩きつけてやろうかという衝動に一瞬駆られた。だが端正な寝顔を見下ろして別の考えが浮かぶ。
そっと、壊れものでもあつかうように痩身をベッドに下ろすと、さすがに驚いたのか謙信が目を開けた。その顔を真上から覗き込んでやる。
「着きましたよお姫さま?」
鼻が触れそうな距離で囁いてやれば、気持ちいいくらいに殺意のこもった視線が返ってきた。
「どけ、離れろ」
信玄は手を謙信の顔のすぐ両脇についていた。顔をそむけることもできず、謙信は信玄を見上げることになる。
にやつく信玄からむりやりに目をそらし、謙信は手探りで毛布をたぐり寄せた。なにがなんでも無視して寝る気らしい。そうはさせるかと、信玄はその手をつかむ。
「寒いんなら、俺があっためてやろうか?」
再び、冷淡な視線が向けられた。
「おまえ……ホモ?」
「ホモじゃなくてもてめえならヌケそうだし?」
「……!」
謙信が最も嫌がるのは、その容姿から女あつかいされることだ。今、信玄は謙信にのしかかるかたちになっていて、タチの悪い冗談を仕掛けるにはとても有利な位置にいた。実際その顔を女のように歪められるなら言うことはない。
謙信の眉間の皺が一段と深くなったのは一瞬で、彼は呆れたときの常でぐるりと上に視線を巡らせたかと思うと、気怠げに信玄を見上げた。
「……いいな、それ」
「は?」
虚を突かれたと気づいたときには、首を抱き寄せられていた。両手に体重をかけていたのが災いして、反応が遅れる。
「む……!」
謙信は迷いもなく、有無を言わさずに唇を重ねてくる。
それ自体は初めてではない。だからこそ、信玄は必死で謙信を押しやろうとした。彼の「キス」は冗談で済まされるレベルではないと、信玄は経験で知っていた。
抵抗しきれなかった唇の隙間に舌をねじ込まれ、歯を食いしばるが舌先でくすぐるように歯をなぞられて力が抜けそうになる。
髪をひっぱっても肩をつかんで引き剥がそうとしても彼のホールドは強固で、蹴りを入れようとしても距離と体格差の関係であっさり防御されてしまう。
「くぅ……ん……」
心構えができていなかったせいで、あっという間に息が上がった。ゆるんだ歯列のあいだからすべり込んできた舌が、粘膜を蹂躙していく。
だが今回は、それだけでは終わらなかった。
「……!?」
腰のバスタオルを掴まれてぎょっとする。今さらながら、自分だけが全裸であることを思い出した。
やめろ、と叫ぼうにも口はふさがれていて、声を出そうとすれば苦しげな呻きしか出てこない。
露わになった腰に室内の冷気が当たって震えたのも束の間、冷たい指が無遠慮に触れてきて、信玄の身体は一気にこわばった。
「んん……ん、っ!」
謙信のさほど大きくもない手が、信玄の中心をしっかりと握り込んでいる。比喩でもなんでもなく、急所を掴まれた状態だった。迂闊に動けばなにをされるかわからない。
「んぁ……はっ!!」
ようやく息をすることを許されたが、反撃はできなかった。
「ちくしょ……てめ、ガチで……」
悪態をついてやりたくても、声を出すのがやっとだ。シーツに両肘をついて喘ぐ信玄を、謙信は笑みも浮かべず、呆れたような顔で見上げた。
「おまえさ……女相手でもそんな声出してんの?」
「ど……」
どんな声だ、と問う前に、謙信は再び信玄の首を抱き寄せる。そして、耳にねっとりと舌を這わせてきた。
「ひ……ぁっ!」
不意打ちに妙な声が洩れ、あわてて自分の口をふさぐ。
「その声」
謙信の声に笑みはない。それが余計に不気味だった。相手の醜態を嘲るのが目的なら、高笑いでもしている場面だ。
「あれえ武田くん、硬くなってきてる?」
「なっ……てねえよ!!」
棒読みに近い問いかけに、とっさに怒鳴り返したが、みっともない見栄張りでしかないのは自覚していた。謙信は握った手でゆっくりとさすったり力を込めたりしていて、信玄のそれは律儀に応えてしまっていた。
腹立たしさと決まり悪さに、脇を向く。どうしてこんなことになったのか……
不意に、謙信が裸の肩に手をかけた。条件反射で身を硬くする信玄を、謙信はあっさりとひっくり返して身体の位置を逆転させる。
「おい上杉……」
今や形勢は完全に謙信優位だった。文字どおり急所を掴まれ、上から押さえつけられて、見下ろす敵に無防備な姿を晒している。信玄に残された手段は一つ、奥義「逆ギレで開きなおり」だ。
「くそっ、そんなんでイケるかよ、ちゃんとヤれちゃんと!」
怒鳴りながら、謙信の手ごと自身をつかんで、激しく動かした。謙信は驚いた顔で身を起こそうとする。させるかと、両手で包み込む。謙信の顔が不愉快そうにしかめられ、こちらが無理強いしているような図になった。息が荒くなっていくのと同時に、顔がにやけるのも止められない。
「どうした? 手でヤれねえなら口でもいいぞ?」
「つまんねーこと言ってると今度は息の根止めるぞ……」
毒づく声にも覇気がない。
ぐらりと謙信の身体が揺れ、倒れ込んでくる。そう思ったのは錯覚で、実際は信玄の耳元に口を寄せただけだった。その口から、苦しげな声が洩れる。
「武田……俺の、前開けろ……」
「ぁあ!?」
「いいから、早くしろって……」
せっぱ詰まった声に急き立てられて、ろくに考える間もなく彼のベルトのバックルを外し、やたらしっかりはまったデニムのボタンを外してファスナーを下ろす。ゆるいはずのジーンズが窮屈になっているのを、信玄はそのとき初めて気づいた。
謙信が焦り気味に引っぱり出した自身を、信玄のそれに押しつける。
「くぅ……っ」
「うぁっ……」
二人は同時に声を上げ、そしてどちらからともなく相手の熱に手を伸ばして、扱きはじめた。
自分のペースならばわかるが、他人の手となるとどう動くかわからない。しかも、同じように猛った性器を突き合わせているのだ。コントロールできない快感に振り回され、信玄は謙信の腰を夢中で抱き寄せていた。謙信のほうも、めったに見せない激情を隠そうともせず息を乱している。裸の胸の上で喘ぐ謙信は、艶めかしく腰を振っているようにも見えて、余計に信玄を昂ぶらせた。
「上杉……」
衝動のまま、シャツの胸ぐらを引き寄せて唇を重ねると、待っていたかのように舌が入り込んできた。今度は逆らわずに自ら舌を絡める。頭の奥が痺れていって、腰のほうも限界が近い。
ぎしぎしと淫らな音を立てるスプリングに、二人の男の咆吼が重なった。
呼吸が落ちついてきて、信玄はベッドの下に落ちていたバスタオルを拾い上げる。謙信はといえば、汚してしまったシャツがお気に入りだったらしく、タバコをくわえながらぶつぶつと文句を言っている。
その横顔を眺めていると、どうしてもついさっきの彼を思い出す。
どんなときでも大概しらけた顔と冷めた目をしている男が、単なる扱き合いであそこまで我を忘れるとは意外だった。自分も同程度の醜態を晒したことは、信玄の中から都合よく抜けている。覚えているのは、突き抜けるような快感と、甘い嬌声と……
「やべえ……」
「あ?」
ちらりとこちらを一瞥した謙信から、信玄はわずかに目をそらす。
「俺、今ならマジにおまえの顔でヌケるわ……」
自分自身にもかなりの衝撃だが、彼にも相当の屈辱にちがいない。ナメんなとかぶっ殺すとか、そんな言葉が返ってくるのを予想していた。
だが謙信は、考え込むようにゆっくりとタバコの煙を吐き出してから、信玄のほうを向いて微笑んでみせたのだ。
「今なら俺、おまえに突っ込めるわ。試してみるか?」
今夜初めて見せた笑顔がよりにもよってあまりにも優しげで、信玄は思わずベッドの反対側へにじり寄っていた。
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