映司/アンク
【窓と遠出と冷たい手】
肌寒さに目が覚めた。
窓が開いている。見上げた「巣」は空だった。時計を見ると日の出まであと二時間はある。
「またか……」
映司は風に揺れるカーテンを眺めながら、布団を引き寄せる。窓を閉めたら、そこから出ていった彼が帰ってこられない。
近ごろ、アンクは映司のベッドに来なくなった。
前はなにかと理由になっていない理由をつけては、映司で暖を取る……ついでにいたぶりに下りてきていたのに。
寒さがゆるんだせい、だけではない。
映司にかまっている余裕がないのはあきらかだった。
お互いに体力や精神力を消耗しないのはいい。だが肩の荷が下りたと喜べないのはなぜだろう。
映司は自分の奥に火種があるのを感じていた。
欲望というほどに生々しくはないが、たしかになにかを求めている感覚。
手に入らないものを、映司は追わない。だいたいのものはあきらめるか、代替品を見つければ済む。今日はむりでも、明日手に入るかもしれない。そうやって余計なものを削り落としていくと、小銭とパンツさえあればなんとか生きていける、という結論に達する。
だが、この気持ちはなんなのか。義務感でも使命感でもない。
強いて言うなら、焦燥。
アンクが手を伸ばしてきたら、映司はいつでもその手を握るつもりだった。自らの欲望のために臆面もなく手を伸ばしてくる怪物と、今までずっとそうしてきた。
なのに今のアンクはこちらを向こうとさえしない。失った半身を求めて、一人で出ていく。そこに映司を入れたがらない理由は見当もつかない。
言いたくないのなら言わなくていい、とは頭では思うけれど、一方では知りたいと強く願う。事態の解決に必要だという理由とは別に、もっと感情的な部分がアンクのなにかを求めていた。
それがはっきりすれば、この不安もなくなる気がするのに。
窓の外で物音がした。
闖入者は勝手知ったる様子で窓枠を乗り越えて入ってくる。彼にとっては異常でもなんでもなく、ドアから出入りするのと同じことなのだろう。
そのまま部屋の奥へと行きかけた足音が、一瞬止まった。足音は窓辺へと戻り、そして木枠のきしむ音。
風の叫びがやみ、空気が静かになる。それだけで寒さが和らぐ気がする。
映司はたまらず飛び起きていた。
「アンク!」
「お……」
起きているとは思わなかったのだろう、彼は驚きを隠せずに硬直している。
しかしすぐに気を持ち直したのか、不敵な笑みを浮かべて「巣」へ戻ろうと足を踏み出した。
「なんだ? 説教なら聞かんぞ」
「うるさいよ……」
映司は目の前を横切るアンクの腕をつかみ、思いきり引き寄せる。
「なにすんだ、おい……」
突然のことで抵抗しきれなかったアンクは、大きくよろめいてそのまま映司の腕の中に倒れこんできた。
「どういうつもりだ!」
怒鳴るアンクを、映司は黙って抱きしめる。服も髪も冷たい。赤くなった耳に触れると、思わず手を引いてしまうくらい冷たかった。
「なんとか言え、おい映司!」
なにか言えと言われても、言葉などない。
さんざん迷ったあげく出てきたのは、まるで意味を成さない言葉だった。
「……おまえが毎晩窓開けて出てくのが悪いんじゃないか!」
アンクは動きを止め、首をひねって映司と目を合わせる。その顔は息をのむくらい透明な無表情で、映司は心臓をあの赤い手でつかまれたような感覚に陥った。
「……おまえが寒くて起きようが風邪ひこうが俺の知ったことか」
そうだ。アンクのスタンスはそれでまちがっていない。
「ああそうだよ、おれが眠れなくても風邪ひいてもおまえには関係ないよ!」
そんなことはわかっている。わかっているのに、気持ちがそれを認めたがらない。その理由だけがわからなくて、映司はさらにアンクをきつく抱きすくめた。
「だから、なんなんだ? 言いたいことがあるならはっきり言え」
露骨に迷惑そうな声にも、まともな答えは返せない。
「それがわかったら苦労しないって……」
ただ冷えた髪をかき上げ、冷たい耳に手を当ててくるだけの映司に、アンクは苛立ちを込めた嘆息を聞かせた。
「バカの相手は疲れるな……」
彼は映司の腕の中でもぞもぞと動いていたが、やがて床の上になにか硬いものが放り出された音がする。靴を脱いだのだとわかった。
靴のままベッドに上がるなとくり返し言い聞かせていたのが、ようやく効いてきたらしい。映司はこんなときなのに顔が笑ってしまうのを感じる。
律儀に靴を脱ぎ捨てたアンクは布団を引っぱり、あらためて映司の懐にもぐり込んできた。
「朝になったら起こせ。黙って放り出したら殺すぞ」
「はいはい……」
映司がそんなことをしないと知っていてわざわざ低い声で凄んでみせるのは、彼なりの照れ隠しかもしれない。勝手にそう思うことにして、映司は痩身に腕をまわした。
控えめに伝わってくる体温が心地よい。
さっきまでの焦りや不安が少しずつ薄れていく。
二人部屋に一人だけで、おまけに目を覚ますほど寒くて暗くて、だから心細かっただけなのだろう。大した理由でもない。自分なりに結論づけた映司は、穏やかな気持ちで目を閉じた。
夜明けまでは、まだ少し時間があった。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます