映司/アンク
【本音とシャンプーと契約関係】
いなくなって初めて気づく、存在の大きさ……
というと妙にロマンティックに聞こえるけれど。
連れ去られるアンクを見て真っ先に思ったことは、彼を守らなくてはならない、ではなかった。
彼がいなければ、オーズになれない。
「どうしたんだよ、目の色変えて……」
かつての友人が詰るように言うが、平静でいられるはずがない。
アンクがいないということは、映司がだれも守れないということだ。
手元にあるメダルは二枚。ベルトがあっても用をなさない。アンクがいなければ……
「失いたくないんだ」
比奈や後藤、伊達に対する「助けたい」という思いとはちがう、全く別の感覚。
映司はそのとき、自分の欲望を自覚していた。
「映司、風呂に入らせろ」
「え……」
なにを言い出したのかと眉をひそめた映司の眼前に、包帯の巻かれた手が突きつけられる。
骨に異常はないが手のひらに軽い裂傷ができていた……から、あんまりオイタできないように少し大袈裟に巻いといたわ、とは手当てした医者の言葉。おかげで指も動かしにくいらしい。
「……ついでにごはんも食べさせてあげようか?」
「そりゃいいな」
なにがあっても悪びれない相手だが、今回は完全に映司が悪いと思っているから尊大さにも拍車がかかっている。営業中のクスクシエでほんとうに「あーん」とやってやったらどんな顔をするだろうかと考え、それは自分も楽しくないことになるなと思いなおし、映司は知世子に浴室を利用する許可をもらいに下りていった。
「おまえさあ、ホント何様?」
風呂場でアンクの髪を洗いながら、映司はため息混じりに問いかける。アンクは悪びれもせず、ビニール袋を被せた右手を掲げてみせた。打ち身や擦り傷程度ならいざ知らず、さすがに伊達の温情でもある包帯を外してはまずいかな、と思った末の応急処置だった。
「だれのせいでこうなったと思ってる」
「ここまでするとは思わなかったんだよ」
だれかの身体を傷つけてもいいなどと思ったことはない。たとえそれがアンクの腕であっても。
「嘘つけ」
だがアンクは映司の言葉をばっさり切り捨てた。
「ここまでしなきゃ止められないっての、わかってたよな?」
たしかに、紫のメダルをまともに制御できるとは思っていなかった。それでも映司は確信していた。暴走したオーズから映司を引きずり出してくれるのが、アンクだけだということを。
「……アンクこそ、おれがどんな手使ってでも助けにくるって思ってたんだろ?」
映司が来る以外に助かる道はなかったというのに。身動きできない状態で敵に囲まれ消滅の危機に瀕してなお、アンクはたったひとつの道を疑いもせず、傲然と映司を待っていた。
信頼ではなく、確信で二人はつながっている。
「あたりまえだ。おまえは俺がいなきゃ変身もできない役立たずだからな」
映司の真意をわかっているのかいないのか。だがどちらにしても、映司とアンクは相手がいなければ目的を果たせない。
「おまえだって、おれがいなきゃ一人で風呂にも入れないじゃないか」
「く……」
言葉に詰まったアンクの頭に、沈黙の口実を与えるべくシャワーを浴びせた。映司に世話をさせているときの彼は意外におとなしい。ずっとおとなしければ、こんな苦労はないのに。
「はい、終わり。入っていいよ」
浴槽に入るよううながすと、アンクは濡れた髪をかき上げながら映司を睨みつける。
「まだだろ」
コンディショナーのボトルを指さすグリードを、映司は呆れて見下ろした。
「……意外に細かいよね」
二人で肩をくっつけて押し寿司よろしく湯船に詰まっていると、だいたいのことはバカバカしく思えてくる。
ぼんやりと湯気を眺めていた映司は、ふと頭に浮かんだことをそのまま口に出してみた。
「ねえアンク、おれのこと好き?」
向けられたのは、未知の危険物を見るような目だった。
「はぁあ? 頭おかしくなったか?」
「だよね」
予想どおりの反応に苦笑して、ひざをかかえる。
「別れ際にさ、北村くんが言ってたんだ。あいつはおまえが好きなんだなって……あ、好きってもべつにそういう意味じゃなくて、友だちってことだと思うけど」
「友だちぃ?」
「そのへんの微妙な感じが通じるとは思わなかったから、あえて訂正はしなかったよ」
「しろよ、しておけそこは」
北村に説明しなかったのと同じ理由で、つまり面倒だったので、凄味を効かせた合いの手は無視した。
「はたから見たら、アンクっておれのこと好きだからくっついてるように見えるんだなーって」
本気で怒り出すかと思ったが、彼は天井を仰いで鼻で笑っただけだった。
「はっ、ふざけんな。ずっといっしょにいるだけで好きってことになるのか? 同じ敵と戦って、利用し合って、いっしょに風呂に入ったら大好きか?」
「ああうん、お風呂いっしょは否定しづらいかも……」
狭い浴槽におとなしく並んでいるこの図は、客観的に見てとても仲良しと言わざるをえないだろう。
剣呑な流し目がちらりと映司を見る。
「セックスしたら、愛し合ってることになるのか?」
「まあ、一般的には……」
言い終わらないうちに、アンクが身体ごとこちらを向いていた。肩に手をかけられ、凶悪な顔が近づいてくる。
「アンク……」
腕が絡んできて、裸の肌が不自然に密着する。映司は至近距離でその澄んだ瞳の奥を見つめた。
そして無言で彼の肩に手を置いて……ビニールのかかった右手首をつかむ。
「おいっ!」
「はい残念ー。右手使えないからなんにもできないよね。また次の機会にどうぞ」
「……ちっ」
たちの悪い悪戯を仕掛けようとしたグリードは、映司を睨みつけたまま舌打ちする。
目を逸らしたからあきらめたのだと思ったら、いきなり映司のひざのあいだに割り込んできた。狭い湯船に逃げ場はなく、アンクの右手をつかんで高く挙げているのもあって、すぐには対応できない。
「わっ、ちょっと……」
左腕で抱き寄せられ、耳を噛まれる。身を引こうとしたとたん、背中がすべって二人で湯に沈みそうになった。片腕で浴槽の縁につかまり、もう片手はアンクの手をホールド。動けない映司の耳を、アンクが喉の奥で笑いながら舐め上げる。
「なんにもできないのはそっちだろ?」
裸の状態で正面から抱きつかれると、さすがに焦らざるをえない。
「わーっ、わかった、出よう! つづきはベッドで!! ね!? お湯汚れるから……」
必死に彼をなだめる作戦に出たが、アンクはなぜか動きを止めた。
「……こんなに汚れてんのにな」
「え?」
まだ湯は汚れていない。きょとんとする映司の肩に、アンクは細いあごを乗せて呟く。
「あの北村ってやつ、おまえを妙に信奉……いや、崇拝か? 清く正しく美しい人間だとか思ってたんだろ。取引に自分の身体使うような人間だって知ったら、あんな顔で別れなかっただろうぜ」
あのあとの彼はひどく決まり悪そうではあったが、どこかふっ切れた顔をしていた。少なくとも映司を不安にさせる表情はなかった。だから。
「そんなことないよ」
北村もだったが、アンクも大概読みちがえている。
「おれ、北村くんにホントのこと言っちゃったもん」
「ああ?」
「おれは、アンクが好きだからいっしょにいるわけじゃない、って」
自分のために彼を失いたくない。言い訳のしようもないエゴを晒して、彼の協力を求めた。
たしかに彼の中の映司は、純粋に夢を見ていた高校生のころのままで止まっていたかもしれない。だがその幻想も壊れただろう。かつて映司が世界に対して抱いていた幻想のように。
アンクが怪我をした手を眺めながら呟く。
「愛してるからセックスしてるわけでもない、か?」
「言えるわけないでしょそんなこと」
「言ってやりゃよかったんだ。そうすりゃあいつも完全に目が覚めるだろうさ」
吐き捨てる声には露骨な敵意がある。もともと人間丸ごとを敵視している節はあるが、ここまで個人攻撃したがるのは久々に見た。
「なんでそんなに北村くんを目の敵にしてるわけ?」
「当然だ、あいつは俺を罠にかけたんだぞ!? この俺をあんな原始的なトラップで……」
どんなトラップかは聞いても答えないが、あの北村にそれほど姑息なことができるとも思えない。たとえば、つっかえ棒がしてあるザルの下にアイスが置かれているとか……想像して笑いそうになった。
「そんな原始的な罠に引っかかったんだ、グリードのくせに」
「うるさい!」
アンクは湯を跳ね飛ばして立ち上がり、高慢そのものの表情で映司を見下ろした。
「つづきはベッドで、だったな?」
その言葉どおり、パンツ以外はろくに服を着る間も与えられずに、映司は部屋まで引きずられていった。アンクに至ってはバスタオルを腰に巻いているだけだ。あとで風呂の掃除をしなくちゃと思いながら、なんとかドアだけは閉める。
しかしベッドに投げ出された映司は、アンクがすでに醒めていることを見てとった。
彼は決して気の長いほうではないが、同時にとても冷静で合理的だ。この流れで映司をいかに抑え込んで自分の優位を示すか、のほうに意識が向いている。だとすれば、気を削ぐことができればあきらめさせることもできるかもしれない、と同じくらいに醒めている映司は思った。
「アンク」
悪びれもせず腰の上に跨がった相手を、まっすぐに見上げる。
「『愛してるわけでもないのに』、どうしておれたちこんなことしてるのかな。ムダじゃない?」
「……っ」
アンクは一瞬言葉を失ったように見えたが、気のせいだったかもしれない。そう思うほどにあっさりと、彼の顔から険が消えた。
きちんと乾かしていない髪から、雫がしたたり落ちる。
「アイスと同じだ。好きなだけ食っていいって契約だから食ってる」
「そんな約束してな……」
思わず反論しかけて口をつぐむ。
他のだれも抱かない、抱かれないのなら、この身体を好きにしていい。かつて映司自身が言った。泉信吾を傷つける責任を負うのは、映司だけでいいと。妥協とはいえ、アイス一年分と同じで契約にはちがいない。
「……………」
映司は目を閉じ、大きく息を吐き出した。
それから彼の左腕を引く。右手を庇う彼は自分を支えきれず、映司の胸に倒れ込むことになる。
「なにすんだ……」
文句を言いかける顔を両手で挟んで、鼻を突きつけ目の奥を覗き込んだ。
「今日はおれがやる」
「なに?」
怪訝そうに睨みつけてくる相手に、あえて笑いかけてみせたのは、自分への言い訳も含まれていたかもしれない。
「手、使えないと不便でしょ。だからおれがやるよ」
彼は目を細めてこちらの真意を探ろうとしていたが、やがてその目を伏せた。
「……くだらんことは考えるなよ」
「はいはい」
もちろん「くだらないこと」はいつでも考えている。どちらにしても逃れられないなら、自分に主導権があったほうがいい。本番なしで消耗させて、強制的に眠らせることだってできるはずだ……とか。
映司は彼の頬に唇を押し当て、さてこのあとのアクションをどうしようかと考えながら、濡れた金髪を指で梳く。
「……っ」
内側でなにかがざわりと動いた。腹か胸かよくわからないが、あの制御しきれない力が、映司の中で蠢いている感覚。
離したくない。この力を離さないためには手段など選んではいられない。
そんな映司の欲望を見抜いているかのように、片腕のグリードが意地悪な忍び笑いを洩らした。
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