侘助/理一

2009_サマーウォーズ,[PG]

【喫煙所】

 蝉が鳴きわめく夏の庭。
 屋敷の裏手にある栗の木の下で、陣内翔太はしゃがみ込んでタバコをくわえていた。
 親戚が集まって客間も台所もほぼ女性陣に占拠されている今、祖父や大叔父クラスでなければ堂々とタバコも吸えない。この木陰は翔太にとって避難所のようなものだった。
「……暑ぃ」
 思わず口に出して、煙を吐き出す。
 目を細めて宙を見つめていると、だれかが揺れる陽炎の向こうから近づいてくるのが見えた。
「!」
 それがだれなのかわかったとたん、翔太はしゃがんだまま背筋を伸ばしていた。
「一本くれよ」
 目の前までやってきた侘助は遠慮もなく手を差し出す。翔太は少し緊張しながら、タバコの箱から一本出してやった。
 長くて器用そうな指でそれをさらっていき、侘助は大儀そうにしゃがみ込む。
「ふもとまで買いに行くの面倒でよ。このへんまだコンビニねえのな。自販機はカードがなきゃダメとか言うし。ジジイどもはクソ重いの吸ってやがるし」
 気持ちはよくわかる。翔太も祖父から一本もらって、激しく後悔したことがあった。
「直美おばさんもマルボロだぜ」
「くれねえよ、あいつは」
 昔から相性悪ぃんだ、と愉快そうに言って、侘助は尻ポケットからライターを出す。裸の美女が原色でプリントされたそのライターは、火をつけるとライトが明滅する作りになっていた。
「イケてんな、そのライター」
「ほしけりゃやるよ」
 ぽんと放り投げられ、あわてて受け取った。
「……あざっす」
「安い外国土産で悪ぃな」
 にやつきながら、侘助は煙を吐く。
 翔太はまだこの男との距離をつかみかねていた。
 去年ここへやってきたときには、侘助は陣内家の「敵」だった。しかも翔太の決して安くはない愛車を乗り逃げしたあげく、見事なまでの廃車にしてくれた。
 だが、結果的に彼は「味方」になり、「家族」にもどってきた。車の件はうやむやになって、翔太は不承不承ではあったが、他の親戚と同様にこの男を受け入れることにした。たまにしか会わない親戚が一人増えるなど、実際はそれほど大したことではない。新しい車は、祖父と父がいくらか出資してくれてなんとかなった。だが一年ぶりの再会を果たしても、未だこの男から謝罪の言葉はない。
 悪い男ではない、と思う。でも善人にも見えない。とりあえず今翔太の前にしゃがみ込んでいる男は、悪事に手を染めているようには見えない、というだけだった。
「いつから吸ってんだ?」
 煙とともに吐き出された問いに、ぎくりとして息を止める。
 今は警官なんてやっているけれど、警察学校に入る前は相当やんちゃだった。もちろん酒もタバコもデビューは早かった。だがほとんど面識のないこの親戚に、なぜわかったのだろう。翔太は自分が他人に与える印象など気にしたことはなかったから、真剣に考え込んでしまう。
「……だれにも言うなよ」
「言ってどうすんだよ」
 十五の春だとこっそり明かすと、侘助は「やっぱりな」とけらけら笑った。
「あんたこそ、どうなんだよ」
 ものすごく頭がいい男らしい、というのは翔太にもなんとなくわかっていた。東大を出て、それからアメリカのなんとかいう有名な大学にも行って、OZをひっくり返すほどのなにかすごいものを作って、しかもそれを自分で壊してみせた。
 あの夏、侘助がなにをどうしたのか、翔太には未だに理解できていなかったが、とにかく「頭がいい」というイメージだけは深く刻み込まれていた。
 なのに目の前にいるのは、ただの「親戚のうさんくさいおじさん」だ。若いころ翔太のようにバイクを乗り回して暴れていたと聞いても驚かない。
 案の定、侘助はにやついてタバコをくわえなおす。
「いつだったかなあ……学ランに匂いついてバレたのは覚えてんだけどなあ」
 昔を思い出したのか遠い目になった侘助の背後から、不意に別の声が割り込んでくる。
「高二の秋だ」
「あ……」
 ポケットからタバコを出しながら近づいてくるのは、理一だった。彼もこの屋敷では翔太と同じさすらいのスモーカーで、そもそも翔太をこの木陰に招いたのが彼なのだ。
「混ぜて」
「やだね」
「どうも」
 侘助の返事を無視して栗の木に寄りかかり、理一は使い込んだ風合いのオイルライターで火をつける。見上げた侘助が、つまらなさそうな顔で呻いた。
「まだそれ使ってんのか」
「物持ちがいいから」
「マニアックなだけだろ。だいたい今どきエコーとか吸ってるやついねえよ。ジジイか」
 コンビニ前で因縁をつけてくる不良と大して変わらない侘助から目をそらして、理一は翔太に微笑みかけた。
「昔からこうだ。口も悪いし性格も悪い。頭はいいけど詰めが甘い」
「詰めが甘いってなんだよ」
「制服のままでタバコ吸ったらバレるに決まってる、っていう話だよ」
「うるせえ」
 さっきまでにやついていた侘助が、今はふてくされて理一を睨みつけている。二人の明確な歳を翔太は知らなかったが、理一のほうが年上にちがいない。
 そういえば、侘助は理一と同じで本家育ちだった。兄弟のようなものかと、一人っ子の翔太は思う。
「おまえと同じだ、翔太。考えなしに動いて、騒ぎ起こして、親に迷惑かけて……」
「う……」
 耳が痛い。
 若気の至りとはいえ、ずいぶんと危険で無茶なこともした。親にも、本家にも迷惑をかけた。そこを突かれると翔太はなにも言えなくなる。
 だが理一は翔太を責めるつもりはないらしく、むしろその目は侘助に向いていた。ひざで肩を小突かれ、侘助は理一に向かって届かない煙を吹きかけている。
「どこが似てんだよ」
「……ま、心を入れ替えるのは翔太のほうが早かったかな。今や市民の安全を守る立派なおまわりさんだもんな。その点、侘助とは大違いだ」
 国民の安全を守る立派な自衛官に持ち上げられて、悪い気はしない。と同時に、妙な居心地の悪さも感じていた。理一の笑顔から顔をそむけ、侘助のほうを見る。
「で、でもさ、あんたすっげー頭いいんだろ」
「……さあな」
 自慢げな笑みでも返ってくるのかと思えば、侘助はいじけたようにうつむいて、吸い殻を地面に押しつけている。
 頭上から理一の小さな笑い声が聞こえた。
「翔太のほうがよっぽど利口だよ。侘助より……おれたちより、ずっとね」
「え、ちょっ、それってどういう……」
「そのまんま」
 そこまで言って、理一はふっと真上に煙を吐いた。
「ま、あんまり褒めすぎても太助さんに怒られそうだからな。謙虚な気持ちで職務に励みたまえよ、陣内巡査?」
「はっ!」
 軽く敬礼され、翔太も条件反射でしゃがんだまま敬礼していた。
 理一はかがんで木の根に吸い殻をこすりつけると、灰皿代わりに置かれているコーヒーの缶の中に放り込む。そして吸い殻を土に埋めようとしていた侘助にも、缶に入れるよう要求していた。だれが掃除させられると思ってるんだ、などと言いながら。
 だが翔太には吸い殻の処理などどうでもよかった。
 一人は防衛省のエリート、もう一人は東大卒で世界を混乱させるほどの天才。それが、高卒で不良上がりの翔太を「利口だ」と言う。
「なあ、意味がわかんねえんだけど……」
 侘助がひざを抱えてこちらを見る。
「おれも大学なんか行かないでおまわりさんになりゃよかった、って話」
「むりだ、おまえ体力ないから」
 まだいろいろ聞きたい翔太の口を封じるように、二人はほとんど同時に立ち上がった。
「ところでおまえ、翔太に謝ったか?」
「なにを」
「RX-7、廃車にしただろ」
 はるか高みにある濁った目が、ふらりと気まずそうに揺れて翔太を見下ろす。
「あ……あれ、おまえのだったのか」
「……そーだよ」
 今さら弁償しろとは言うつもりもないし、親に金を出してもらった手前きまりが悪くて言えない。しかし謝罪を受けるのはやぶさかではない、と翔太は思ったから、タバコをくわえたまま侘助の言葉を待った。
「そっか……」
 だがなにを思ったか、侘助はポケットに手を突っ込んで探りはじめた。じゃらじゃらと小銭の音がする。財布を持っていないのかと呆れていると、やがて折れたレシートといっしょにチケットのようなものが出てきた。
「これ、やる」
「どうも……」
 反射的に礼を言いかけた翔太は、皺だらけの紙切れがなんなのか認めるなり、つい握りしめていた。
「なんだよこれ!」
「どれ……」
 覗き込んだ理一が、いかにもこらえきれないといった顔で笑い出した。
 それはラブホテルのサービス券だった。所在地は山梨あたりだ。いったいどう使えというのか。いや、もちろん使う機会などないとは言わないが、そういう問題ではなく……。
「マハラジャでなくて悪いな」
 国道沿いにあるホテルの名前が出てきて、理一がまたも大笑いしている。
「行かねえよ! じゃなくてこれ……」
「頭金。あとは出世払いってことで」
「あた……!」
 悪びれず不敵な笑みまで浮かべる男に、ぶつける言葉も思いつかない翔太は真下から睨みつけるしかできない。
「ひどいな、おまえ」
 笑いを収めた理一が、それでもまだおもしろくて仕方がないという表情でタバコの箱をポケットに突っ込んでいる。
「出世払いだってさ。せいぜいふっかけろよ、翔太」
「出世なんかすんのかよ……」
 今の侘助がどこか海外の企業で働いていることは聞いた。だがどう見ても金を稼いでいるような風体ではないし、それほど義理堅い男にも見えない。そもそも、義理堅い男はこんなものをよこさない。
 翔太はクーポンを握りしめたまま、短くなったタバコを空き缶の中に押し込む。
「期待しねえで待ってるぜ、侘助おじさん」
 下から睨みつけられた「おじさん」は、にやついた顔で肩をすくめただけだった。
 きびすを返す侘助の背中を、追いかけた理一が乱暴に小突く。
「買い物つき合えよ。姉ちゃんに頼まれてる」
「いやだ暑い」
「アイス買ってやるから」
「小学生か。タバコもつけろ」
「それくらいは自分で買え」
 他愛のない言い合いをしながら遠ざかる背中を、翔太はまた目を眇めて眺めた。細長いシルエットがゆらゆらと揺れ、一人か二人かわからなくなる。
 翔太はとりあえずもらったチケットを眺め、指先で皺を伸ばした。そういえば、女っ気のない侘助がどうしてこんなものを持っているのか。さっき訊けばよかったと思うが、あとであらたまって尋ねるのも間が抜けている。
 もしかしたら今後使うこともあるかもしれないそれを財布の中に突っ込んでから、もう一本くわえた。
 そして、侘助からもらったライターで火をつける。
「意味……わかんね……」
 手の中で能天気に光るLEDが、昼間の晴天にそぐわなかった。


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