侘助/理一
【大勝負】
「コイコイです」
「やるじゃないか」
目の前の相手が洩らした感想に、小磯健二は思わず顔を上げていた。
「……なに?」
「いえ……なにか、いろいろ思い出しちゃって」
座布団を挟んで座っているのは、背中を丸めた小汚い中年男。ぽかんと口を開けてこちらを見つめている。だが健二の頭に浮かんだのは、一年前に勝負した、凛とした老婆の顔だった。
「あの夏」からもう一年が経つ。彼女はもういない。健二をこの場所へ受け入れてくれた主は、あの夏にいなくなった。
だが健二は再びここへやってきた。そして、この男……侘助も。
彼が栄の一周忌に合わせて帰ることは知っていた。他でもない彼自身から聞いていたから。この一年、頻繁にではないが、健二と侘助は連絡をとり合っていた。
最初にコンタクトをとったのは健二のほうだった。世界中に素性を晒した男にメールを出すのは難しくない。なにか具体的に言いたいことがあったわけではないけれど、ただ気になったのだ。あの騒動のあと、いつのまにか姿を消した彼のことが。
とくに用事もない、時候のあいさつのようなメッセージに対して、驚いたことに侘助は返事をよこした。
二人でぎこちなく他愛もない世間話をしているうちに、話を聞いた夏希が加わり、友人の佐久間も入り、多忙なチャンピオン・池沢佳主馬までが顔を出すようになって、とても小さくささやかなコミュニティが自然にできあがっていった。
それでも、アバター同士で会話するのと、直接向かい合うのとではまるでちがう。一年ぶりに再会してようやく、親子ほどに歳が離れていることを思い出したほどに。
「おまえさ……」
「はい?」
札を出しながら侘助が呟く。何事かと身を乗り出した健二に、男はにやっと含みのある笑みを向けた。
「夏希といっしょに入ればよかったのに。風呂」
「え……えええええ?」
彼が言ったことの意味を理解したとたん、顔に血が上る。
健二をここへ連れてきた先輩は今、子どもたちと入浴中だった。手持ち無沙汰で部屋の端に座っているところを、同じく暇そうだった侘助に誘われ、こうしてゲームにつき合わされている。だが考えてみれば、彼女は今……。
「ほら、おまえの番」
「は、はい!」
トリップしかけた頭であわてて適当な札を出し、震える手で山をめくる。情けない表情になった健二を見て、侘助は待ちかまえていたように自分の札を放り出した。
「はい、おれの勝ち」
「あ……」
がっくりと肩を落とす健二を、侘助がにやにやと笑いながら眺める。
「そんなんじゃあ、いつまで経っても夏希と結婚なんてできねえぞ、婚約者?」
悔しいが、未だに手をつなぐ以上のなにがあるわけでもないこの状況は、たしかにそうとしか言えない。
健二は落ち込みそうになる気分を奮い立たせ、ぐっと目の前の侘助……が拾い集めている花札を睨みつけた。
「ぼく……今年、受験なんです」
「ん?」
「受かったら、ぼくから言おうと思ってるんです」
「なにを? 一発ヤらせてくださいって?」
「ちがいますよそんなわけないじゃないですか!」
どうしてこの家の男たちは下ネタに走りたがるのか。大人の男といえば父親と教師くらいしか知らない健二には、それが一般的かどうかもわからない。
「婚約……のこと、です。なりゆきだったけど……今は、本気ですから」
笑われるのが怖くて、顔は上げられなかった。だが、意地悪な笑い声は聞こえない。
健二が目を上げると同時に、侘助の重そうなまぶたがふっと伏せられる。
「もう一回、やるか」
「望むところです」
この一年、OZのカジノステージでも部室でもかなりやり込んだのだ。それなのにまだ侘助には一度も勝っていない。負けっぱなしでは済ませられなかった。
そんな健二の決意を知ってか知らずか、侘助はとんでもないことを言い出した。
「おれに負けたら、受かろうと落ちようと夏希へのプロポーズは認めねえ」
「ええ?」
なんの権限でそんなことを、と言いかけた健二の口は、不敵な笑みと言葉で封じられてしまう。
「そのほうがおもしろいだろ?」
その言葉に、栄の顔を再び思い出す。血はつながっていないらしいが、彼はやはりあの人の子であり孫なのだろう。
「じゃ、じゃあ、ぼくが勝ったら……そうですね、えっと……」
なにしろいきなり言われたことだから、こちらの条件などそう簡単には思いつかない。必死に考え込んでいると、札を配っていた侘助がぞんざいな口調で呟いた。
「おれがするわ。プロポーズ」
「はい? まさか、夏希先輩にですか?」
「んなわけあるかよ。今おれがプロポーズしたいやつにしてやる。おまえの目の前でな」
言っていることは相当にドラマティックなはずなのに、札を配る彼の表情には少しの変化もない。
「え、侘助さんそんな人いたんですか? ていうか、今この家にいる人……」
「ほら、はじめるぞ」
健二はあわてて札を取った。さっきと同じように、撹乱作戦のひとつかもしれない。ならば余計なことは考えずに勝ちを取りにいくしかない。なにしろ、自分と彼女の将来がかかっているのだ。
しかし数手で侘助の元に役ができ、血の気が引いた。彼なら、ここでいつも……。
「コイコイだ」
「え……」
予想外の展開に驚いたが、今はそれどころではない。健二は必死で札をめくる。
「あれ……」
狙いどおりの役がそろった。侘助の役よりも強い。
「ぼくの勝ち……ですね?」
あまりにもあっさり負けた侘助は呆然と札を見つめていたが、ちらりと健二を一瞥するなり頬をゆがめた。
「……ははっ」
手札を放り出したかと思うと、声を上げて笑いはじめる。
唖然とする健二と笑う侘助の姿は、さすがに親戚たちの注意を引いたらしい。台所の片づけを終えてきたばかりの理香が、「あんまり初心者から巻き上げんじゃないわよー」と声をかけてくる。あとから来た万理子も、花札を前にした二人を見て顔をしかめた。
「まああ、賭け事はだめよ!」
おじいさんもそれで身を滅ぼしたんだから……とつづく小言を遮るように、侘助は声を張り上げる。
「一銭も巻き上げてないし、勝ってもねえよ」
「え……」
近寄ってきた理香が侘助の手札を覗いて、バカにしたような声を出した。
「雨四光狙い? おっきく出たわね、侘助のくせに」
「くせには余計だ」
彼がいたって正当な抗議の声を上げたところに、布団を敷いてもどってきた理一もたたみかける。
「めずらしいなあ。小さな役で卑怯に勝つのが侘助の常套手段なのに」
「手堅いって言うんだよ」
へらず口だけは達者な男が、ふとうつむいて声を落とした。
「たまにはいいだろ、大勝負仕掛けても」
どこかいじけたようなその呟きを拾った理一は、ふっと小さなため息をつく。
「たまにならな。で、なに賭けたんだ?」
侘助は手招きをして、顔を寄せた理一に何事かを耳打ちした。
すぐ横では、花札を手にした理香が直美を呼んで勝負をはじめようとしている。だから彼がなにを言ったのか、健二には聞こえなかった。ただ、理一が呆れた顔で侘助の後頭部をすぱんと叩いたところを見ると、きっとくだらない冗談だったにちがいない。そもそも侘助が賭けたのは……。
「あ! 侘助さん、ぼくが勝ったらプロポーズって……」
相手はこの屋敷にいるのだろうか。しかしさすがに目の前では気恥ずかしい。いや、それでも……健二のささやかな好奇心を打ち砕くように、侘助は口角を上げる。
「だから、したぜ今。なあ?」
「今……理一さんに?」
意味がつながらない。首をかしげる健二を、侘助はにやつきながら指さした。
「受験生、proposeを和訳してみろよ」
「和訳? ……あ!」
プロポーズとは、なにかを提案すること。なにも結婚とは限らない。どんな提案でも相手がだれでも、「プロポーズ」になる。
「やられた……」
アメリカ帰りの男は最初からそのつもりだったのだ。力が抜けた健二は思わず床に手をついていた。勝負には勝ったしなにも損はしていないが、この敗北感はなんだろう。
いかにもしてやったりといった表情の侘助から目をそらして、傍らの理一を見上げる。
「あの……侘助さんに、なにを提案されたんですか?」
わずかに目を見開いて健二を見下ろした理一は、しかしすぐに肩をすくめて微笑んだ。
「ちょっと言えないこと」
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