侘助/理一
【アブノーマル】
「……侘助」
半開きになった戸の中から聞こえてきた声に、佳主馬は思わず足を止める。
そこは納戸で、本来なら人がいる空間ではないはずだった。
「聖美ちゃんたち来たぞ」
佳主馬の母の名を口にする声は、本家の理一だとすぐにわかった。前にも、二人がここで昼寝をしているのに出くわしたことがある。だからさほど意外には感じなかった。
ぎしぎしと鳴る古びた廊下を、音を立てずに歩くのは佳主馬の癖、というよりは修行の賜物だ。そのせいか、二人の叔父はこちらには気づいていないらしい。前は驚かされたから、今度は驚かしてやろうと思った。
「だからなに……」
「佳主馬が来たら蹴り出されるだろうが」
名前を呼ばれてぎくりとする。だが気づかれているわけではないらしい。
「んー……じゃあ蹴られるまで寝てるよ……」
ただでさえ聞き取りにくいしゃがれ声が、眠そうにもそもそと答えるのを聞いて、佳主馬は戸口からそっと中を覗き込んだ。
床の上にうずくまる侘助の背中を、立ったままの理一が足でつついている。すでに蹴られているものをさらに蹴り出してもいいのか考えていると、侘助がひょろりと長い腕を上げて指先で理一を招いた。
「なに?」
理一が大儀そうにひざをついて、侘助を覗き込んだ。侘助は寝返りを打って理一のほうを向いたかと思うと、その両腕を上に伸ばす。
「ぅんん……」
眠そうな呻きとともに、侘助は真上から覗き込んでいた理一の首を抱き寄せた。理一が床に手をつき、二人の顔がぶつかりそうなくらい近づく。それは、まるで……。
「っ!」
驚いて身を引いた拍子に、床板がみしっと音を立てる。二人がこちらを向くのと、佳主馬が戸の陰に隠れたのは同時だった。
「だれ?」
理一の、のんびりとした声が問いかけてきて、佳主馬は潔く観念して戸口の前に立つ。
「あ……あの……コンニチハ」
起き上がった侘助とひざをついて座っている理一は、もう指一本触れ合っていない。
「来てたのか、佳主馬」
にやりと笑う侘助の顔は、からかっているようにも照れているようにも見えた。
「だから今おれが言ったじゃないか」
侘助の頭を小突いてから、理一は「よいしょ」と立ち上がり佳主馬に笑いかけた。
「ごめんごめん、今出てくから。こいつがなかなか起きなくて……」
少しもあわてた様子のない二人に対して、佳主馬のほうは鼓動の音が他人に聞こえるのではないかと思うほど騒がしい心臓を抱えている。あんなことをしておいて、しかも他人に、子どもに見られて、どうしてこんなに落ちついているのか。
「……いいよ、べつに」
「佳主馬?」
目を上げられない。どんな顔をして向き合ったらいいのかわからない。
うつむいたまま、佳主馬は部屋の中に叫ぶ。
「いいったら! 勝手にやってなよ!」
そして二人がどんな表情をしているかも見ずに廊下を駆け出した。怖いのか、恥ずかしいのか、自分でもわからない。
ただ見てはいけないものを見たという意識だけは、はっきりしていた。
大勢のにぎやかな夕食のあと、小さな妹を寝つかせた佳主馬は縁側で涼んでいた。いつもならOZにログインしている時間だが、今日はそんな気分にならない。
もともとそのつもりもなかった。この家に来てから、まだパソコンを開いてもいない。携帯電話でメールをチェックする程度だ。クライアントには休暇だと言ってあるし、たまにはネットから離れるのも悪くない。そんなことを思えるようになったのは、歳をとって大人に近づいたせいだろうか。
だから到着してすぐ納戸へ向かったのも、単にその場所を確認したかっただけだった。その空間が変わりなく、佳主馬を待っていることを確かめたくて。
それなのに……。
「佳主馬ぁ、スイカ食べる?」
後ろからかけられた声にぎょっとして身をすくめる。
ふり返れば、長身の叔父がいるのはわかっていた。だが昼以来ずっと避けていた相手からあっさりスイカを受け取るわけにはいかない。
「いらない」
冷淡な返事に、理一は「そう」と呟いただけだった。ほっと息を吐き出す従甥の横に、しかし彼は立ち去るどころか座り込む。
「ここ、置いとくね」
真後ろに皿を置かれる。すぐ隣には理一。
佳主馬は濡れ縁の端に腰かけた身体を、理一のいないほうにずらした。
「来ないでよ」
「なんで?」
スイカにかぶりつきながら、理一はわずかに驚いたような表情を見せる。白々しいというにはあまりにも普段どおりで、逆に佳主馬を苛立たせた。
ざっとあたりを見まわしたが、座敷のテレビに家事を終えた母たちが集まっているくらいだ。畳の上を駆け回っている子どもたちは数に入れないとして、自分たちの近くに人はいない。だれも、聞いていない。
胸の奥でざわついている嫌悪感をそのまま言葉にして吐き出す。
「……おじさんたち、ホモだったんだ。だから結婚しないんだ」
「……………」
黙り込んだのは図星かと横目で見れば、スイカの種を口から出しているだけだった。手に出した種を縁側の下へと落とした理一は、佳主馬のほうを見ようともせずに笑う。
「世の中の独身男はみんなホモか? たいへんだな日本。翔太兄ぃでも守りきれないな」
ただの巡査でしかない従兄の翔太より、ずっとずっと上の地位で日本を守っているはずの叔父は、緊張感のかけらもない顔でスイカを食べている。そして、毒にも薬にもならない言葉を付け足した。
「あ、ホモはよくないから、ゲイって言いなさいね。ま、使う場面になったらだけど」
「……………」
やっぱり理一はそっちの味方なのか。しかしまだ認めてはいない。でも否定もしていないから、やっぱり……ぐるぐるといろんな可能性が頭をめぐり、佳主馬はまた鼓動が激しくなってくるのを自覚する。
気持ちの整理がつかなくなって、立ち上がろうと片ひざを立てたとき、肩に大きな手が落ちてきた。
「スイカかぁ、一年ぶりだな」
最悪なことにもう一人までやってきた。しかも皿のスイカを勝手に取って。
「それ佳主馬の」
かぶりつく寸前に理一の声がかかり、侘助はわずかに動きを止めて佳主馬を一瞥する。
「食うぞ?」
「好きにすれば」
「好きにする」
あとはスイカをかじる音だけが両側から聞こえてきて、佳主馬は途方に暮れて夜の庭を眺めた。囲まれてしまった。ゲームなら二人くらいなんでもないが、現実の人間となれば圧迫感は充分だ。
また種を吐き出した理一が、口を開く。それは佳主馬に向けてではなく、佳主馬を挟んで反対側にいる男に向けられたものだった。
「おまえが寝ぼけておれに抱きついてくるから、おれまでホモあつかいだよ」
「へえ」
自分で諭しておいて平然と「ホモ」と言いきる理一もいいかげんだが、弁解どころか説明する気もなさそうな顔でスイカにかじりつく侘助もとらえどころがない。
もしかして、自分は思い違いをしていたのではないかと不安になる。佳主馬は遠慮がちに二人の顔を交互に見やった。
「……ちがうの?」
目が合った理一が笑いかけてくる。いつもの、優しくて茶目っ気がある叔父の顔で。
「なんでそう思ったんだ?」
「だって……」
侘助のほうを見上げるが、こちらはスイカを食べることに専念しているようだ。佳主馬は片ひざを抱き寄せた。
「なんか、普通じゃなかったから……」
結局、そうとしか言えない。
単に部屋の中が薄暗かったからだろうか。覗き見していた後ろめたさのせいだろうか。だんだん自信がなくなってくる。
「曖昧すぎてよくわかんねえ」
案の定、侘助にばっさりと切り捨てられた。
「……………」
それ以上なにを言っていいのかわからなくて口をつぐんだ佳主馬に、侘助はさらに嘲りを込めた言葉を投げかけてくる。
「仮におれらがそーゆー関係だったとして、おまえはなんか困るのか?」
開き直りにも聞こえて、佳主馬はぎっと相手を睨みつけた。
「キモいじゃん! 男同士だし、親戚だし、そういうのってアブノーマルだよ!」
どこから検証しても正しいはずの言葉に、二人は顔を見合わせた。
「アブノーマル」
「アブノーマル」
同じ言葉をくり返して、あろうことかくすくすと笑い出す。
「なんだよ?」
完全にバカにされているとしか思えない。
ごめんごめん、と笑いを噛み殺しながら手を振った理一が、初めて首をかしげ佳主馬と正面から目を合わせた。
「じゃあ佳主馬、ノーマルってなにさ」
「ノーマルってなに……って?」
質問の意味がわからなくて逆に聞き返してしまう。
ノーマルは、普通ということだ。普通ってなに? 普通は、普通だ。普通って……。
今、佳主馬の隣でスイカを食べている男二人に、どこにも異常なところは見られない。ただの鬱陶しい親戚でしかない。だが佳主馬が見たのは……。
わけもわからないまま言いくるめられてしまいそうな危機感を覚えて、思い出さないようにしていた切り札を出す。
「男同士で、きっ、キスするのはアブノーマルじゃないの?」
「え?」
今度こそ恥じ入って黙るだろうと思っていた二人から同時に見下ろされ、身がすくみかけた。佳主馬もずいぶん背が伸びたとはいえ、この二人にはまだまだ届かない。
「しようとしてたじゃん!」
「してた?」
佳主馬の頭越しに理一が問いかけるが、侘助は肩をすくめて果汁で濡れた唇を舐めただけだった。
「覚えてない」
「嘘……」
怒鳴りかけたところを、気の抜けた理一の言葉で押しとどめられる。
「佳主馬だって赤ちゃんのころお父さんにされてたよ。ちゅっと」
「うえ……っ」
初めて知る事実への衝撃と、生理的な不快感と、父親への軽い失望と、両側の二人に対する気恥ずかしさや怒りが同時に襲ってきて、妙なうめき声しか出なかった。
「おまえの父ちゃん、アブノーマル?」
癇に障る笑い声を洩らして、侘助は佳主馬の顔を覗き込んでくる。負けじと睨み返したが、自分が幼く思えてくる悔しさは増すばかりだ。
「そ、それはノーカウント! 大人の男同士とはちがうじゃん!」
思わず声が大きくなってしまったのが、座敷の奥にも聞こえたらしい。テレビ前の女性陣が、こちらに首を伸ばしてくる。
「ちょっとぉあんたたち、佳主馬いじめんじゃないわよー?」
「佳主馬、こっちにもスイカあるからねー」
ちらりと見れば、伯母たちが助け舟を出しているつもりなのか、笑いながら手招きをしていた。それが余計に男子中学生のプライドを傷つけることも気づかずに。
「いじめてねえよー、仲良くスイカ食ってるだけだって!」
言い返しながら、侘助は食べ終わった皮を庭に放り投げた。理一が「あー」と詰るような呻き声を上げる。
「皿にもどせよ」
「もう投げちまった」
侘助は悪びれずに二切れ目を手に取っている。身体の大きい二人だから、皿のスイカを食べつくすのにそう時間はかからないだろう。両脇で見せつけるように食べられ、佳主馬もだんだん食べたくなってきていたが、ここでおとなしく手を伸ばすのも癪に障る。
だいたいこの憂鬱な気分だって、のんきにスイカを食べている二人のせいなのだ。佳主馬は拳を板間に叩きつけた。
「そういうんじゃないんだったら、まぎらわしいことするのやめてよね! 二人とも独身なんだから!」
独身の二人はまた顔を見合わせる。三つ目を食べはじめていた理一が、困ったような笑顔で呟いた。
「それ言ったら直美おばさんと理香おばさんも独身で仲いいけど……」
「いや、おれらは仲良くないだろ」
「嘘でも仲良しってことにしとけよ。おまえ味方少ないんだから」
「少なくてけっこう」
頭上の会話はいつのまにか佳主馬を忘れていて、その独特の空気が腹立たしい。
子供あつかいされても悔しいが、大人の世界から弾き出されるのはもっと我慢がならなかった。外では大人相手にビジネスの世界で渡り合っているのに、ここでは相手にもされないなんて。
「つき合ってられない!」
だん、と床を踏みしめて立ち上がり、スイカの皿につまづきそうになりながらその場から逃げ出す。
結局、ただの見まちがいだった。なのに勝手に思い悩んで、見当ちがいの憤りをぶつけて、無用なからかいを受けて……。
休暇中のキング・カズマが鼻息も荒くバトルフィールドに現れたのは、それから数分後のことだった。
理一は、らしくもなくどすどすと足音を立てて立ち去った佳主馬の後姿を見送り、それから彼が座っていた場所にスイカの皿を引き寄せる。
「……まあ、誤解は解けたみたいだし、いいか」
「誤解って」
侘助はなにか言いたげに苦笑したが、それ以上は赤い果汁といっしょに飲み込んだ。
「アブノーマルか……」
ぼそりと呟く侘助に、理一も低い声で応じる。
「やらしいこと考えてるな」
「考えるだろ普通。漠然と単語だけ使えるのは意味よくわかってないうちだけだ」
二人は声を出さずに笑い合い、それからまたスイカの処理に専念した。
「……安直に、SMなんてどう?」
「痛そうだからやだ」
「そう、考えとく」
「やだって言ってんだろ!」
思わず大きくなってしまった声は、また座敷の興味を引いたらしい。
「なあに、今度はけんかぁ?」
理一はふり返って、女たちのほうへ声を張り上げた。
「単なる意見の相違ー」
それって要するにけんかじゃない、と理香が返してきて、いい歳してばかみたい、男ってこれだからいつまで経っても……などとつづき、どっと笑いが上がる。
女たちの散々な評価に曖昧な笑みを見せた理一は、また暗い庭に目をもどす。それから侘助の顔を見やって苦笑した。
「種、ついてる」
「ん……」
示してやったのと逆のほうに触れる指をもどかしく感じたのか、理一は手を伸ばして張りついている種を取ってやった。その種を庭に放り投げると、口元を舐めていた侘助が首をかしげる。
「毎年こうやって大量の種捨ててんのに、庭からスイカは生えないよな」
「ちゃんと草むしりしてるから」
「そっかあ……せっかくタネ飛ばしても、全部ムダになっちまうんだ」
下世話な笑みを洩らした侘助は、反応をうかがうように理一の顔を覗き込む。
「そういうのって、アブノーマルじゃねえか?」
「いや。普通のことだろ?」
縁の下からスイカって迷惑だし、とつづけて、理一は夜の庭へスイカの皮を放る。
さっき同じ行為に文句をつけられた侘助は口を尖らせた。
「自分も捨ててるくせに」
「教育上の問題だよ」
しれっとした顔で言われては、侘助もそれ以上食い下がる気力が失せたらしい。
「ガキをだまくらかすのは、アブノーマル?」
「それこそ、古今東西どこの大人もやってる普通のことじゃないか。中学生が思ってるほど、異常なことなんてそうそうないんだよ」
スイカを食べた日の翌朝、庭先に皮が転がっているのも。思春期の少年が目にしたものにいちいち動揺するのも。同い年の叔父と甥が未だに離れられずにいるのも。実際にはあくびが出るほど退屈な、ありきたりの光景でしかない。実家の縁側で並んでスイカを食べている、といった程度の。
「ほんっと、つまんねえな」
侘助は手の甲で口元を拭いながら、暗闇の中に皮を投げ捨てた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます