侘助/理一

2009_サマーウォーズ,[PG]

【ふたりごはん】

 一日遅れる、とメールが入った。
 海の向こうにいる侘助とはめったに顔を合わせることはなくて、数ヶ月に一度くらい衝動的に「来週そっち行くから」と連絡が入る。彼なりの「帰省」のつもりなのだろう。
 まだいろいろとわだかまりの多い実家には行きづらいようだが、そのぶん理一に会うことで済ませているようでもある。
 その彼が、今日の飛行機には乗れないと言ってきた。
 ネットを覗いてみると、彼が携わっているシステムがダウンしたとちょっとした騒動になっていた。これはたしかに休暇どころではない。復旧するまでは解放されないだろう。
 理一は携帯電話を握りしめたまま、ぼんやりと宙を見つめる。
 丸一日、空いてしまった。
 一日といっても、今夜空港まで侘助を迎えに行き、なにも食べていないにちがいない侘助に食事を与え、二人でホテルに泊まり、夜が明けたらぶらり東京観光、という予定などあってないような日だ。
 ゲーム、買い物、トレーニング、バイクいじり。代わりにできることはいくらでもある。それらをすべてOZの中でこなしたっていい。いくつかのコミュニティをまわっているだけで、一日くらいあっという間に過ぎるだろう。
「……………」
 思ったより落胆している自分に、単純に驚く。
 ということは、それなりに楽しみにしていたのだ。実家への帰省が急な仕事で叶わなくなったときくらいには、気を落としていた。
 少なくとも、今夜から明日の昼まで、三食は一人で食べることになる。侘助の都合しだいでは明日の夜も一人かもしれない。もちろん普段どおりの日常だが、最初から一人と決まっているのと、だれかと過ごす予定だった三食が一人きりになるのとでは、ずいぶんと気持ちがちがう。
 理一は少し考え込み、再び携帯電話を開いた。

 よく晴れた土曜日に、カジュアルだがそれなりに高めなレストランでランチ。
 親戚の女子大生は素直に喜び、店に入るときには腕まで組んでくれた。理一もつい頬がゆるむのを抑えられない。
「えへへ、理一さんと二人ってなんか新鮮!」
「近くなんだから、もっと会ってもいいんだけど。なかなか忙しくてね」
「そうだよね。いつも日本の平和のために、ごくろうさまです」
「いえいえ、職務ですから」
 少女のかわいらしい敬礼にまじめくさった顔で本式の敬礼を返し、笑い合う。
「健二くんは元気?」
「うん、でも予備校ってけっこう授業多くて忙しいみたいで……OZでは毎日会ってるんだけど、リアルで会えるのは週四くらい」
 つまり週の半分以上は会っているわけだ、とはたぶん禁句なのだろう。毎日でもいっしょにいたい、そういう時期らしい。
「そうか、仲よさそうでなによりだ」
 ご両親にはもう会ったのかな、卒業したら結婚するのかな、もしかして婿に入ってくれたりしないのかな、などなど喉まで出かかったおせっかいな親戚発言を全て笑顔で飲み込んで、ナイフとフォークを動かす。
「理一さんは? そろそろ結婚しないの?」
「あー……」
 親戚連中の攻撃とはちがう、年ごろの女の子の無邪気な問いだからこそ、不意打ちをよけきれない。
「ひとりでいるのが好きなんだ。気楽だし」
 本音半分、言い訳半分。だがそれ以外に理由らしい理由はないのも事実だった。
「そうなの? さびしくない?」
 冗談めかして尋ねられた言葉に、みぞおちを突かれた気分になる。
「……さびしくなったら、夏希を呼ぶからだいじょうぶだよ」
「じゃあ、今さびしいんだあ」
「そうかもね」
 噴き出す夏希に合わせて笑い声を上げるが、彼女を呼び出した理由がまさにそれであることを、自覚はしていた。
 オンラインでつながっている趣味の仲間や、それなりに近場で会える友人もいないわけではない。しかし今はそういう気分ではなかった。今の理一が求めているのはもっと別のつながりで、それはOZにログインしても満たされる類のものではない。
 孤独と空腹は不幸だと、祖母は言っていた。今、自分は幸せだなと理一は思う。一人の食事がつらくなっても、明るくて朗らかな姪が相手をしてくれるのだから。彼女の楽しいキャンパスライフと年下の恋人のノロケを3対7くらいの割合で聞かされながら、平和なランチタイムを過ごす。そんなささやかな幸せがすぐそばにあるとわかっているから、ひとりでもいられるのだ。
 ポケットの中で携帯電話が震えた。ハート型のアバターが、簡潔なメッセージを運んでくる。
『成田着いた ざまーみろ』
 なにが「ざまーみろ」なのかはわからないが、予定より早く日本にたどりついたことで彼なりの達成感を味わっているのだろう。もしかしたら理一を驚かせたつもりなのかもしれない。くるくる回るハートのプレートも、どこか誇らしげに見える。
 夏希と食事をしていることを知らせ、店の位置情報を送ってやった。侘助はそれをタクシーのナビに伝え、駆けつけてくるはずだ。
「今から来るって」
「だれが?」
「侘助おじさん」
 その名を聞いたとたん、夏希の表情がぱっと明るくなった。
「ホント? 日本に帰ってきてるの? なにしに?」
 そのテンションになぜか理一のほうがほっとしていた。無反応だったら、侘助の立場がない。彼はまだ「憧れのおじさん」の地位からは転落していないようだ。その後、侘助を待ちながらのティータイムはなかなかに盛り上がった。
 彼をどこへ案内するかを二人で指折り数えて挙げていたとき、今度は夏希の携帯電話が鳴った。
「あ、ちょっとごめん……」
 メールにざっと目を通した夏希の表情が、見ていて気恥ずかしくなるくらいにとろけていく。相手がだれかなど聞くまでもなかった。理一は頬杖をついて、窓の外に視線を逸らしてやる。
 若者特有の早打ちですぐに返事を送った夏希は、携帯電話を閉じた手を顔の前で合わせて頭を下げた。
「ごめんなさい、ちょっと急用ができて……」
「へえ?」
 笑みで促してやると、彼女もはにかみながら白状する。
「健二くんがね、模試終わったからこのあとごはんでもどうですかって」
 今食べたのに、と理一は思うが、なにしろ毎日でも会いたい相手だから仕方がない。
「ここに呼べば? そろそろ侘助も来るし。夏希はデザート食べればいいじゃない」
「あ、その……ほら、予備校遠いんだ。疲れてるとこ呼びつけるの悪いから……」
「……そっか。そうだね」
 上目遣いと歯切れの悪さに、自分の失敗を気づかされる。
 せっかくのデートに親戚同伴などもってのほかだ。しかも二人。気の利かない叔父だと夏希も呆れただろう。そんなわかりやすい気持ちもくんでやれなかったとは、ずいぶんと余裕がなくなっているらしい。
 アイスティーを一気に飲み干して、席を立とうとした夏希はふと理一の顔を覗き込む。
「だいじょうぶだよね?」
「ん?」
 意味がわからず曖昧な笑顔で問い返すと、彼女もどこか照れたように微笑んだ。
「侘助おじさん来るもんね、ひとりじゃないからさびしくないよね?」
「ま……それはそれでさびしいかな、別の意味で……」
 恋愛中で幸せいっぱいの女の子、しかも血縁の子に心配されてしまったことのほうが、四十路男にとってはよほどさびしく残酷な事態なのだが、そんなことを口にしても意味がない。
「だいじょうぶだよ、ありがとう。健二くんによろしく」
「侘助おじさんにもよろしくね、あとでメールするからって! それじゃあ、ごちそうさまでした!」
 夏希が足取りも軽く店を出ていき、さてどうしようかとコーヒーのおかわりを頼んだところへ、侘助がやってきた。
「よぉ」
 言いながらも視線は理一に向いていない。二人ぶんの席を見て、それから店内をぐるっと見まわしている。
「夏希は?」
 理一は笑いを噛み殺し、大仰に肩をすくめてみせた。
「栄光は過去のものとなったよ、侘助おじさん」
「ぁあ?」
「おれ一人で我慢しろ」
「……………」
 夏希が帰ってしまった、という状況だけは理解したらしい侘助は、仏頂面の下に落胆を隠して崩れるように椅子に腰を下ろす。
「……みやげ」
 いかにも空港で買ったらしいクッキーの袋が突き出された。
 いつもは手ぶらでやってくる男が、今日は夏希にいいところを見せようと思ったのだろうか。だが慣れないことはするものではない。外国帰りなのに成田みやげで済ませようとしている迂闊さには気づいていないようだ。
「ありがとう」
 苦笑して袋を受け取り、ウエイターにメニューを頼んだ。
 ひとりでいるのと、おなかがすいているのはよくないことだから。まずは二つの大きな不幸を追い払ってしまおう。
 侘助がメニューを開きながら、思いついたように顔を上げて理一を見た。
「あ、ただいま」
「おかえり」


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