侘助/理一

2009_サマーウォーズ,[!],[R18]


   02 おじさんと私

 狭くて暗い階段を上がると、その両手に部屋がある。右手にあるのが理一と理香の子ども部屋、そして向かいが母の部屋だった。
 だがもう一人の子どもがやってきて、状況は一変する。
 自分の部屋を持ちたがっていた理香はここぞとばかりにその権利を主張し、ついに母の部屋を獲得したのだ。母は一階の部屋へと移った。
 理一は侘助と同室になるところを必死に抗議して、あいだに襖を入れてもらった。部屋は狭くなったし母や姉と離れるのは不安だったが、見ず知らずの打ち解けない少年と同じ部屋で暮らすよりはましだと思った。自立を重んじる祖母も、心配する母をなだめて新しい部屋割りを推奨してくれた。
 幼い少年にとって、一人きりの夜は恐怖以外の何物でもない。ただ侘助への意地が、向かいの姉の部屋へと駆け込むことを理一に許さなかった。響く家鳴りの音に怯えながら、布団の冷たさに震えながら、理一は孤独に耐えた。
 だが、朝起きると侘助は隣の部屋にはいなかった。
 朝の食卓に、祖母の後ろに隠れるようにして現れた侘助を見て、理一は思わず彼に率直な気持ちをぶつける。
「弱虫」
 暗くて怖いのは、同じなのに。彼だけが我慢もせずに、祖母の布団へともぐり込んでぬくぬくとあたたかい夜を過ごした。不公平だ。
「弱虫」
 もう一度、くり返す。うつむいていた侘助はようやく顔を上げた。険しい、怒りを込めた目つきを相手に向けて。
「理一、よしなさい」
 食事の支度をしている母がおざなりに諫める。朝は忙しいのだ。母の手伝いをして皿を運ぶ姉も、朝から険悪な雰囲気の弟たちにかまっているひまはないようだった。
「だってこいつ……」
「汚い言葉を使うんじゃありません」
 逆に怒られて、理一は諸悪の根元を睨みつける。
「理一、侘助はお母さんを亡くしたばかりなんだよ」
 そう言いながら、侘助だけを甘やかす格好になった祖母もどこかきまりが悪かったのだろう。継子の前へひざをつくと、目線を合わせて諭す口調で語りかけた。
「侘助。おまえは強い男の子だ。今夜は、一人で寝られるね?」
「……うん」
 侘助は従順にうなずく。
 だが理一にはわかっていた。侘助は今夜も枕を抱えて祖母の部屋へ行くのだ。
「ほら、席に着きなさい」
 急かす母の声で、二人はそれぞれに食卓の椅子へとよじ登る。
 隣り合って座っているというのに、同じ年の少年たちは口をきくどころか、視線すら合わせなかった。

  二〇一二年 夏

 夕食も終わり、風呂から上がった子どもたちが階下で駆けまわっているのが聞こえる。
 理一は不規則にばちばちと瞬く蛍光灯の下で、布団を敷いていた。あわただしさに紛れて蛍光灯を替え忘れたのだ。理一が帰省したときにしか使われない部屋だから、替えるのも理一しかいない。学生のころからそうだった。それ自体に不満はない。
 だが、布団を敷こうという場所に人間が寝転がっているのは気に入らなかった。
 いるなら手伝えばいいものを、横になっていてはじゃまになるだけだ。布団を抱えながら、細い腰につまずいた、ふりをする。
「ぐえっ」
「どけよ踏むぞ」
「踏んでから言うな!」
 芋虫のようなほふく前進でずりずりと畳を這って逃げた侘助は、襖にぶつかってそのまま投げ捨てられた雑巾のように丸くなる。
 理一は雑巾を視界に入れないようにして、二組の布団を敷いた。
 侘助の部屋は、長く家を空けているあいだに物置になっていたから、「あの夏」以来、二人そろって帰ったときには理一の部屋で寝ることになっていた。いやだと言うのも大人げないから文句は口にしないが、もっと大人げない男が妙な気を起こすのには毎度閉口する。布団から蹴り出すのも一苦労だ。
 今日はもっと厄介なことに、これから宴会がはじまるという今の時点でその気になっているらしかった。
 枕を放り投げて寝床のセット終了、と見た芋虫が再び這ってきて、スラックスの裾をつかむ。理一はわずかに足を引いて、芋虫というよりはミミズに近い細長さのそれを無表情に見下ろした。
「……ここじゃ、しないぞ」
 侘助の動きが止まる。
「わかってるよな?」
 たたみかけてやると、きまり悪そうにもそもそと体を起こす。
「バイク出せよ、18号線のホテル行こうぜ」
 あきらめきれないらしい。どうして実家で布団を敷いたそばから、他の宿泊施設へ行こうと思えるのか。理一には理解不能だった。
「さっきビール飲んだから乗れないよ」
 しかし侘助はまだ裾をつかんだままだ。子どもか、と罵倒して蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、ぐっと飲み込んで眉を寄せ、ひざをついた。不機嫌そうな顔と目を合わせる。
「さかる歳でもないだろ……」
 顔を近づけると、口元が勝利を確信した笑みを作る。その唇をふさいで、布団の上に押し倒した。挑みかかってくる舌をいなしながら、四肢を縫い止め体重で押しつぶす。
「……!」
 抵抗が弱いのは、彼がそれを望んでいるから。そこにつけ込んで押さえつけ、息苦しさに逃れようとする唇を何度でも追って、声を出させないようにふさぐ。
「んぅ……んん、ん……!」
 やがて侘助が本気で暴れはじめた。必死に手足を動かそうとあがき、身をくねらせて理一を押しやろうとする。もちろん、非力なデスクワーカーが重力を味方にした現役自衛官に敵うはずもない。
「ん、は……っ!」
 ようやく理一が唇を離したときには、喘息持ちのような呼吸しか聞こえなかった。殴ろうとしたのか宙を切った腕も、動きがのろすぎて理一には当たらない。
「てめ……」
 布団から起きあがれずに肩で息をしている男の腰を、理一は立ち上がりながらダメ押しで軽く蹴飛ばす。
「頭冷やしてから下りてこい。じゃなかったら、もう寝ろ」
「……っ」
 ひたいに滲んだ汗をシャツの裾でぬぐって階段を下りると、ちょうど走ってきた少年とぶつかりそうになった。頼彦のところの真悟だ。
 風呂上がりでまだ完全に乾いていないつむじを見下ろし、真上から声をかける。
「今日、おじさんの部屋で寝るか?」
「マジで?」
「マジで」
 客の出入りが多い家ではあるが、それでも家族の個室はプライベートな空間だった。台所や風呂場とちがって用もないから、住人以外は親戚といえどめったに立ち入ることはできない。つまり幼い子どもにとっては未知の領域であり非日常の空間であり、理屈抜きでテンションが上がってしまう場所なのだ。
 理一はだめ押しでさらにつけ加えた。
「ラブマシーンもいるぞ」
 狙いどおりに、真悟の目が輝きを増す。
「ゲームしていい? 祐平も呼んでいい?」
「おう、いいぞ。騒ぎすぎないようにな」
 十年ものあいだ失踪していた侘助を、真悟たちはあの夏まで知らなかった。いきなり現れた男のことを、子どもたちは「ラブマシーン」と呼んで未だにおもしろがっている。あの夏の大事件についてはなにもわかっていないにしても、その不審人物と唯一つながりが理解できた単語なのだろう。「侘助だ」と本人が訂正したところで、「ワビマシーン」という残念な愛称が増えただけだった。
 真悟は仲良しのいとこを呼びに、風呂場のほうへ駆けもどっていく。
「おーい、今日ワビマの部屋で寝ていいってー!」
 略されてさらに残念になってしまったあだ名に苦笑しながら、理一は階段を見上げた。
 予防線は少しでも多いほうがいい。侘助が自分の立ち位置をきちんと理解するまで、甘やかしてはいけない。
 それでも、こんな小細工に頼ってしまう甘さを自覚はしている。
 ため息をついて頭を振り、理一は叔父や従兄弟たちが待つ宴席へと向かった。

 中学三年になった池沢佳主馬は、以前よりは親戚の大人たちに心を開くようになった。人の来ない納戸に閉じこもることはなくなったし、ノートパソコンにかじりついて一夏を終えることもなくなった。食事の後も、歩きはじめた妹を見守るのに忙しい。
 それでも、愛機を取り上げられるとなれば話は別だ。
「ねえ、まだ?」
 佳主馬は彼のノートの前に集まっている伯母たちを眺め、ため息をついた。
「まだいいじゃない」
「あんたも夏希と話す?」
「……いい」
 佳主馬はあきらめたのか、廊下に出ていこうとする妹を捕まえて抱き上げる。母親まであの輪の中に入っているのだから強く言えないのだろう。苛立ちは、たまたまそばにいた理一にぶつけられた。
「健二さんなら、だいじょうぶだって!」
 万助叔父のくり返される話に、隅のほうから適当な相づちを打っていた理一は、妹を抱えた少年に向きなおった。
「そんなことわかってるよ。だれも二人が別れるなんて思ってないし」
「じゃあほっとけばいいじゃん!」
「だって、おもしろいじゃないか」
「悪趣味!」
 青少年のもっともな感想に理一が苦笑しかけたとき、佳主馬の上に影が差したかと思うと、ひょろりと長い男が横に座り込んだ。「ワビマ」目当ての子どもたちから、どうやってか逃げてきたらしい。
「たまにはいいじゃないか、キング」
「あんたが貸せばいいじゃん。持ってるんでしょ?」
 エンジニアの端くれならノートパソコンくらいはあたりまえに持っているはずだ、という佳主馬の的確な指摘に、しかし侘助はにやにやと笑っているだけだった。
「OSがちがうから素人さんにはあつかえません」
「なにそれ」
 佳主馬がなおも侘助に突っかかろうとしたとき、アメリカと通信中の一団から声がかかった。今度は佳主馬にではない。
「侘助、夏希と話すー?」
『おじさん? 来てるの?』
「ほら、侘助おじさん、夏希姫が呼んでるわよー」
「なんだよ、めんどくせえな……」
 ぶつぶつ言いながらも畳を這っていく姿は、まんざらでもないといった様子だ。
『おじさん!』
 理一と佳主馬のところにも、うれしそうな声が聞こえてくる。侘助ははしゃぐ姪にさわやかさのかけらもない笑みを返しながら、開口一番こう言った。
「健二と別れたら、おれと結婚するか?」
『な……』
 愛らしい顔が赤くなっていくのが、モニタの前にいない者の目にも浮かぶ。
『なに言ってんの! できるわけないじゃないそんなの!』
「できるよ、四親等だし。それにおまえ、小さいころ……」
『むっ、昔の話でしょ、昔の!』
 わあああ、と妙な悲鳴を上げながら、女子大生は勢いで通信を切ってしまったらしい。
「ちょっとあんた、なに余計なこと言ってんの!」
 姉や従姉妹たちに小突きまわされ、侘助は這々の体といった様子で理一のところまで逃げてくる。佳主馬が冷淡に呟いた。
「完全に変質者あつかいだったね」
 空のコップを取ってテーブルの上を見わたしている侘助に、理一は瓶を差し出して注いでやった。ビールにありついた男は、中学生を見下ろして品のない笑みを浮かべる。
「ちがうだろ、まだ気がある感じだろアレは」
「あったからなんだっていうのさ」
 横からさらりと投げかけられた理一の言葉は、侘助の息をわずかに止めた。
「……ごもっとも」
 彼はゆっくり息を吐き出しながら、もさもさと髪を掻いて庭を眺める。理一もつられて暗がりに目をやった。
 気があったからといって、その先になにがあるわけでもない。二人ともよくわかっているはずのことだ。
 佳主馬が、ぐずりはじめた妹をあやしにかかっている。もうすぐパソコンは返ってくるだろうが、今度は佳主馬がそれどころではない。
「あこがれの侘助おじさんは健在か……」
「なんだよ」
 夏希がまだ無邪気に侘助にまとわりついていたころから、もう十五年も経っていた。

  一九九八年 春

 転んでひざをすりむいた少女を背負い、青年は裏山から下る道をゆっくり歩いていた。
 さっきまでぐすぐすとしゃくりあげていた夏希だったが、今はおとなしくなって理一の背中で揺られている。
 ふと、彼女が呟いた。
「……わびすけおじさんと、おなじにおいがする」
「そうかあ」
 たぶん、タバコの匂いだなと思う。夏希の両親は吸わないから印象に残るのだろう。
 それにしても、この子は口を開けばすぐ「侘助おじさん」だ。なにがいいのか、もうすぐ三十になる無職の叔父を、小学校にも上がっていない少女はいたく気に入っている。
 いつでも屋敷にいて相手をしてくれるからか。いや、侘助はそこまで子どもに親切ではない。現に今日も夏希の相手を理一に押しつけて街へ逃げ出してしまった。見てくれに関しては自分も負けていないはずだし、と理一はいつも首をひねっていた。
「侘助おじさんのこと好き?」
「……………」
 返事がない。その代わり、夏希は理一の背中でもぞもぞと動いてしがみついてきた。思いきり照れているらしいのが微笑ましい。
「どんなところがいいの?」
「……かっこいいとこ」
 たどたどしく、かすれた声で、おませな女の子はこっそりと秘密を打ち明ける。小さな頬は真っ赤になっているにちがいない。
「……そう」
 五歳の少女に、納得できる説明を求めたのがまちがいだった。なんとも返しようがなくて、自分で訊いておきながら理一は新緑の合間から覗く真っ青な空を見上げていた。
 夏希はまだ照れているのか、しばらく落ちつかない様子で、理一の首にしがみつきなおしたり足をぶらぶらさせたりしていたが、やがて小さな小さな声で理一の耳に囁きかけてくる。
「なつき……おじさんと、けっこんできるとおもう?」
 おっと。
 理一は笑いをこらえるのに必死で、すぐには返事ができなかった。
 法律的には……ぎりぎり四親等だから可能だ。年齢的には多少難ありだが、侘助の両親だって親子くらい離れている。客観的な意見を言うならば「できるよ」が正しい。
 しかし冗談でもそんなことを言っていいものか、と根がまじめな理一は思った。
 なにしろ、セールスポイントが見あたらない男だ。むだな学歴は現状の前では逆にマイナスにしかならない。それでなくても怠惰で、ひがみっぽくて、ひねくれていて、体力もなくて、未だに親のすねをかじっていて、しかも実の甥と……。
 ああ、これはよくない。
「早まらないほうがいいよ」
「はやまる……?」
「いや……」
 夏希が知らない単語の意味を解説するのは面倒だった。重くなってきた身体を背負いなおして、肩越しに優しく話しかけてみる。
「おじさんより、もっとステキな男の人と出会うかもしれないじゃないか」
 返事は早かった。
「そんなひといないもん! わびすけおじさんがいちばんだもん!」
 なにを根拠に、と本気でため息をつきたくなる。同じ年ならどう考えても自分のほうが好物件なのに。
「夏希、代わりに理一おじさんと結婚するっていうのは……」
「いや! わびすけおじさんがいい!」
 緑の木々のあいだに、少女の声が元気よく響きわたった。

 屋敷に帰り着くと、パチンコ屋かどこかへ避難していた侘助が帰ってきていた。
 今まで「歩けない!」とぐずっていたはずの夏希は、「侘助おじさん」のところへ一目散に走っていく。
 縁側に放置された理一を見やって、通りすがりの理香が呟いた。
「理解できないわねえ」
「まったくだよ。どう考えてもおれのほうが条件いいのに」
 夏希が脱ぎ捨てたサンダルを拾いながら真顔でそんなことを言い出す弟に、理香は心底あきれ返ったような目を向けた。
「そう思うなら、その条件でさっさとだれか捕まえてきなさいよ」
 やぶへびだった、と思わず屋根の向こうの青空を仰ぐ。
「姉ちゃんが先だろ」
 もともと女系の陣内家で、しかも理香のほうが年上となれば、婿をとるほうが自然だ。それが弟側の一見正当な論理だった。ところが姉には姉の主張がある。
「わたしは家のためじゃなく、自分のために生きるの。婿取りなんて冗談じゃないわよ。本家を継ぐのはあんた」
 そこまできっぱりと言ってから、彼女は意味ありげに眼鏡を押し上げて、縁側に座っている弟を見下ろした。
「相手、いるんでしょほんとは。まだ結婚したくないとか言ってると逃げられるわよ」
「……いたら連れてきてるって」
 嘘ではなかった。
 母や祖母を安心させてくれそうな相手はいない。
 出会いもそれなりにないことはないのだが、なぜかつづかなかった。とくに見合いはふしぎなくらいに気が入らず、すべて先方から断られていた。
 いや、なぜもふしぎもなく、理由はわかっている。わかっていてもどうにもならない。少なくとも、姉には言えない。
「おれはまだいいよ。もうちょっと遊びたいし、それに……」
「それに?」
「どこかにまだ見ぬ運命の相手が……」
「男ってバカねえ!」
 気丈な姉にばっさりと切り捨てられ、立場の弱い弟は広い肩を落とす。
 現実主義の女とちがって、男はみんな運命の相手を探しているものなのだ。目の前にいる相手がそうであってほしくないと願っているときには、なおさらに。

 部屋の蛍光灯が切れかけている。
 明日替えよう、と思いながら、理一は自分の布団を敷いていた。
 空間があり余っているこの屋敷には、就職して久しい理一の部屋がまだ残っている。今は見覚えのないものもいくらか置かれているが、それでも箪笥や机は高校生のころのままだった。
 襖の前に古いパソコンや電子機器の箱が積まれているのを見ると、領域侵犯の主犯は隣の部屋の侘助にちがいない。無職のドラ息子の部屋はまだ現役で、だがその混沌は十年前とは比べものにならないほど進行している。
 階段を重い足どりで上ってくる音が聞こえた。住人の少ないこの家では、足音だけでだれが来たかわかる。
「入るぞ」
 返事をする前に襖が開いて、侘助が入ってきた。手にはビールを二缶持っている。
「逃げてきたな」
「ガキの無尽蔵なテンションにつき合ってられるか」
 缶を押しつけながら座り込む侘助に、布団の上で飲むなと言おうとしたが、彼はすでに缶を開けて、しかもいくらかこぼしながら口をつけていた。
 自然発生的に、布団の上での晩酌がはじまる。
「夏希が、侘助おじさんと結婚したいって」
 昼間の話をすると、侘助はおもしろそうに眉を上げた。
「夏希、今いくつだっけ」
「五歳」
「二十三歳差か……あっちが適齢期のころには四十過ぎだなあ、おれたち」
「複数形にするな」
 とはいえ、同級生なのだから仕方がない。リアリティがなさすぎて逆にぞっとする。
「四十過ぎても、夏希となら結婚できるんだな」
 いっそいちばん楽な跡継ぎ問題解決方法かもしれない、と思いながら呟くと、侘助がにやりと笑った。
「妬いてんのか?」
「……おまえって頭いいくせにほんとバカだな」
 笑みを収めムッとした顔で睨みつけてくる侘助に少しだけ気分をよくして、理一はビールを飲む。なにが悲しくて親戚内で三角関係を展開しなければならないのか。侘助も少しは冷静になって考えればいいのだ。
 そういえば、侘助はこの関係をどう思っているのだろう。どうするつもりなのだろう。何度も頭をよぎった疑問が、再び首をもたげる。
「なあ……おれたち、いつまでもこんなでいいのかな……」
「なにが?」
 缶を逆さにして落ちてくる雫を舐めていた侘助が、ちらりとこちらを見た。半眼の目がすでにその気になっているのを見て取り、単純に「まずいな」と思う。
「だから……」
「こういうことしてていいのか、って?」
 手から軽くなった缶をさらわれ、悪戯っぽい目がすぐ近くまで迫ってくる。
「侘……」
 濡れた唇が触れたかと思うと、理一の唇をこじ開けて舌がすべり込んできた。
 今ここではじめるのは問題があると頭では考えているのに、抗うには強すぎる誘惑に気持ちが引きずられていく。
「ふ……っ」
 後ろに手をついて身体を支え、体重をあずけてくる侘助に対抗する。しかし時間の問題だろう。侘助があきらめなければ、むりやりにでも押し倒されてそのあとはなし崩しだ。
「ぅん……」
 甘ったるい喘ぎを洩らしながら、侘助が理一の肩に手をかけたとき。
 どたどたどたっ、と賑やかだが軽い足音が階段を駆け上がってきて、二人はあわてて身体を離す。
 勢いよく襖が開けられたときには、布団の上で行儀悪く晩酌をしている男二人がいるだけだった。
「おじさん、みいつけたっ!」
 笑顔で叫ぶ夏希に、理一も笑みを返してみせる。
「どっちのおじさん?」
 少し年下ならぐらついてくれそうな笑顔も、かなり年下の女の子には通用しない。
「おじさんっていったらわびすけおじさんにきまってるじゃない!」
 そう言いながら彼女は侘助に飛びついていった。
 体当たりされて後ろに倒れてしまった侘助は、それでもなんとか少女を抱え上げて、勝ち誇ったような笑みをこちらに向けてくる。
「決まってるそうだ、理一おじさん」
「くそぉ……男のシュミ悪いぞ……」
 自分を棚上げにして、理一は幼子をなじりながら残りのビールをあおった。火照りかけた身体がすっと冷えていく。
 叔父だろうと大叔父だろうと、こんなふうに無邪気に「好き」でいられたらいいのに。いっそ、これくらい小さなころに淡い初恋として終わらせてしまえば、こんなことにはなっていなかったのに。
 スタートをまちがえてしまった自分たちは、今やゴールどころかルートすら見えていない。どんなに「好き」でも、夏希のように夢見る未来も存在しない。
「夏希ぃ、ぜったい理一おじさんのほうがいいって……」
「もう酔ってんのかよ」
 呆れたような侘助の声が、やたらと癪に障った。

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