侘助/理一

2009_サマーウォーズ,[!],[R18]


   07 放蕩息子の帰還

 ランドセルの中からカビの生えたパンが初めて出てきたとき、万理子は悲鳴を上げた。
「侘助!」
 犯人は隠れ家の納戸へと逃げ込み、その日の夕飯は必然的に抜き。そんな日もめずらしくはなかった。
 理香も理一も、残さず食べるように幼いころからきちんとしつけられている。小食で好き嫌いが多い子どもに縁のなかった万理子は、給食も普段の食事も必ず残す侘助に手を焼いていた。大声で叱ろうが、なだめすかそうが、侘助は嫌いなものは頑として口に入れようとしない。それどころか気分しだいで食べられるものさえ残す。
「母さん、どうしましょうあの子……」
 少年が自分を連れてきた人間にしかなつかないことは、すでに家族のだれもがわかっていて、万里子も侘助は自分の担当ではないと思いはじめていたころだった。だから母の栄に相談というより事態を丸ごと押しつけたのも、むりからぬことだっただろう。
「おいで、侘助」
 栄は侘助を連れ、庭の畑へと向かった。面倒な肉体労働を手伝わされるのかと嫌そうな顔をした侘助だったが、大好きな「おばあちゃん」には逆らえない。
 だが少年が言いつけられたことといえば、野菜を入れるかごを持って祖母の後をついてくること。栄は野菜のひとつひとつを子どもに示してみせながら、「こっちのトマトはまだ青いねえ……」「芋はね、種芋からできるんだ。学校で教わったかい?」などと話しかけ、侘助の意識を少しも逸らさせない。
 祖母の収穫につき合ったあとは、台所で夕飯の支度を見学することになる。
「侘助、そこにいるなら手伝い……」
「いいんだよ」
 踏み台に腰かけてぼんやり調理台に頬杖をついている侘助を見とがめ、万理子が手伝わせようとするのを、栄は制止する。
「でも母さん……」
「見てるんだよ、侘助は。ねえ?」
「……うん」
 侘助はなにがなんだかわからないままに、二人が台所を動きまわるのを眺めていた。たまに祖母がこちらを向いて、「これがさっきとってきた茄子」と示してみせるのを、ただうなずきながら見ていた。
 万理子も手伝えと言うのをあきらめ、タマネギを切っているのを覗き込んだ侘助に「ほら、涙を拭きなさい」と笑いかけながら夕飯の用意を進めることに、すぐ慣れた。
 その日……その日だけ、侘助は出されたものを全て食べた。
 肉じゃがなど、おかわりまでした。
 理一と理香は驚いて祖母にその理由を尋ねたが、彼女は笑うだけでなにも教えてはくれない。ただ、いたずらっぽく目を光らせて謎かけのような言葉を告げただけだった。
「おなかをすかせて独りでいると、そのうち食べる気も起きなくなるのさ」
 その意味を侘助自身が真に理解するのは、何十年も先のことになる。

  二〇一二年 秋

 残暑も厳しい東京から帰ってくると、実家はもうどこか秋の気配を見せている。夜ともなれば肌寒いくらいだ。庭の野菜も今が食べごろだろう。
「そうだ、帰りにお茄子をもっていきなさい。今年は多すぎるくらいとれたから……」
 そう言いながら今すぐにでも台所へ立ちそうな母を、理一は苦笑しながら布団へ座らせた。
「思ったより元気そうで安心したよ」
 畑で倒れて救急車が出動する騒動になったと姉から聞いて、とるものもとりあえず駆けつけたが、とくに深刻な事態ではなくて理一も胸をなで下ろしたところだった。
「そうなのよ、夏バテを引きずってただけっていうのに、理香ったらわざわざ連絡するから……」
「だって、歳が歳じゃない! 最近よくふらふらしてるし、心配するわよそりゃあ!」
 照れ隠しで喧嘩腰になるのは遺伝だろうか。
「まあまあ、母さんの顔見に来る口実になったんだからいいじゃないか」
「夏に会ったばかりじゃないの」
 普段は用事がなくても帰ってこいと言うくせに、自分が弱っているときはつい強がってしまうものらしい。
「仕事はどうしたの」
「ちゃんと終わらせてから来たよ。明日は休みだし、なにも問題ない……」
 理一が言葉を切ったのは、がらっと玄関が開く音がしたからだった。
 いかにもあわてて靴を脱ぎ捨てた風の騒がしい足音は、廊下の曲がり角ですべりかけ、それでも立ち止まることなく走ってくる。
 この無遠慮さは親戚のだれかにはちがいないが、心当たりがない。
「翔太かしら、なにか起きて……」
 万理子が言い終わる前に、襖が乱暴に開けられる。
「侘助?」
 母子三人の声が重なった。部屋の前に息を切らしてひざをついたのは、アメリカにいるはずの放蕩息子だった。
「どうしたの?」
 目を見開いておっとりと尋ねる万理子を見つめ、侘助はしばらく動かなかった。
 が、やがて大きく舌打ちをした。
「くそ……っ」
 だまされた、と呻いて、ぺたんとその場に座り込む。
「なにがどうしたのよ?」
 説明を求める理香の顔も見ず、肩を大きく上下させて畳に手をついている。
「あんた危篤だって聞いたから……」
「ま……」
 万理子は笑い出した。つられて理香も噴き出す。女たちほど無遠慮ではないものの、理一も笑いを噛み殺すのに苦労していた。
「なんなんだよ、なにがおかしいんだよ!」
 理香は前に約束したとおり、侘助にもメールを送ったようだ。たしかにひどくあわてているのがわかる文面ではあったが、危篤とはどこにも書いていない。完全に侘助の早合点でしかない。
 姉からの連絡は朝、理一が出勤した直後だった。メールを受けてすぐに空港へ向かいでもしなければ、今日のうちに駆けつけてくることはできない。事実の確認もせずに思い込みだけでそこまで動けるのだから、勤務時間が終わるのを表向きは平静に待っていた理一には真似のできない瞬発力だ。
 万理子は笑いを収め、座り込んだままの侘助に優しく声をかける。
「私のために、はるばる海を越えて帰ってきてくれたのね。うれしいわ」
 侘助の顔が目に見えて赤くなる。怒り出したのだと見えなくもない。
「ちがっ……出遅れたら財産分与に間に合わないと思っただけだ!」
 あまりにも見えすいて子どもじみた言い訳に、理一は理香と顔を見合わせてにやつくしかなかった。
「分与するものも残ってないわよ、あんたのせいでね」
 理香の言葉にぐっと詰まった侘助は、なにかを言いたげに口を動かしたが、結局子どものように口を引き結んで黙り込んだ。
「……まだくたばってねえみたいだし、いいや」
 いいと言いながら、その目は探るように万里子を見ている。容態を知りたいのだと気づいて、理一は横から教えてやった。
「夏バテの後遺症だって。しばらく安静とは言われてるけど、大事はないみたいだよ」
「あっそ」
 低く答える侘助を、万里子は目を細めて眺める。
「あーあ、親孝行な子どもが三人もいて、母さんは幸せね」
 理香と理一は微笑み、侘助はふいっと横を向く。そして忌々しげに呻いた。
「泊まってくぞ」
「もちろんよ、ゆっくりしていきなさい。……そうだ、ごはんは?」
 侘助は初めて気づいたように、自分の腹を押さえた。ぐうぅ、と腹が本人の代わりに答える。腹こそ鳴らなかったが、サービスエリアにも寄らずにまっすぐバイクを飛ばしてきた理一も似たようなものだ。
「あ、おれもまだだった」
「あらあら、早く言いなさいよ」
 二人の言葉を受けて、万理子が立とうとする。
「いいから、自分たちでやらせるから! 寝てなさいってば!」
 必死に押しとどめる理香と、それでも食事の用意をしなくては、とくり返す母のあいだに、理一はいつものように割って入る。
「メシは自分たちで作るよ。姉ちゃん手伝って。母さんは、お茶入れてくれないかな」
「そうね……」
 思いがけず帰ってきた息子たちの世話を焼きたくて仕方ない母親に、なにもするなというのは酷だ。食事はしなくても、子どもたちと食卓を囲んで過ごしたいだろう。
「お中元で宇治茶をいただいたの。ちょっと贅沢だけど開けちゃうわね」
「眠れなくなっても知らないから」
 憎まれ口を叩く姉も、声は笑っている。
「侘助、台所行くぞ」
 へたり込んでいる彼に手を差し伸べると、少し戸惑ったような視線とともに、細い手がゆらりと上がった。その腕をぐいと引けば、あっけないほど簡単に侘助は立ち上がる。
「冷蔵庫に肉じゃがあるわよ。ごはんは冷凍してあるの、お味噌汁もあっためるだけでいいわ……」
 万理子の声が追いかけてきて、男二人は今度こそ同時に腹を鳴らした。空腹をまぎらわすために、理一は背中を丸めて後ろをついてくる男に声をかける。
「仕事は?」
「親が死にそうって言ったら、一週間休みくれた」
「すばらしい職場だな」
「福利厚生で選んだからな」
 冗談なのかと思ってふり向いたが、本人はにこりともしていない。
「……いい職場だ」
 二年以上前の侘助なら、少しも気にしなかった要素だろう。自分のやりたいことだけを追いかけて、周囲のことなど全く見ていなくて。与えられる愛を、あたりまえのように享受して……。
 だが今の彼は、それがあたりまえではないことを知っている。
「おばさんの肉じゃが、久しぶりだ」
 小さな独り言は、ひんやりとした廊下に落ちた。

 翌朝、いつもよりは早い時間に起きてきた侘助は、リビングで新聞を読んでいる理一を見つけてその向かいに腰を下ろした。
「おばさんと理香は?」
「病院。姉ちゃんはそのまま仕事行くって」
 新聞をめくりながら、理一はまだ目が開いていないらしい侘助を眺めた。あいかわらず寝癖はひどいし、何度もあくびはしているし、実に無様な寝起き姿だ。
「くそぉ……時差ボケでぜんぜん寝られなかった……」
 侘助は寝癖の頭を掻きながら、明るい中庭へ半眼を向けた。
 それは知っている。すぐ隣でやたら寝返りを打ったり苛々とため息をつかれていては、いやでも寝つけないのだとわかる。
 テーブルの上に置かれたもう一紙に、侘助が手を伸ばした。その指先を見て、理一はふと立ち上がる。そして、小間物がしまってある引き出しから爪切りを出してきた。
「また伸びてる。今のうちに切れよ」
「あ?」
 不機嫌そうに見上げる侘助に、爪切りを押しつける。
「朝だから、切れるだろ?」
 侘助の表情がわずかに変わったかと思うと、広げた新聞の上でおとなしく爪を切りはじめた。あとで、明日、などとは言わなかった。
「爪切ろうかって思うの、たいてい夜なんだよな」
 理一の言葉に、侘助は寝癖だらけの蓬髪を揺らした。
「べつに、信じてるわけじゃねえけど……」
 ぱちんと音が鳴る。
 夜に爪を切ると親の死に目に会えない。
 ただの迷信だとわかっていても、祖母の死に立ち会うことができなかった記憶は、まだ侘助の中に苦く残っているのだろう。
「ずいぶん、親孝行になったんだな」
 ぱちん、ぱちん。静かな居間に爪を切る音だけが響く。
 時差ボケのことも考えず、仕事も放り出して飛んでくるなど、以前の侘助には考えられないことだった。祖母の栄だけになついていたこの男は、逆にいえば他のだれに対しても興味がなさそうにふるまっていた。だれが死んだと聞かされても帰ってくるかどうか……そんなことさえ、当時の理一は考えていたのだ。
「悔しいだろ。もし二度目もって思ったらさ……」
 一度目は、言うまでもなく二年前の夏。
 最も大切な人を失ったあの夏、侘助は気づいたのだ。家族の存在に。決して早くはないが、まだ遅くはない。
 理一は侘助のすぐ隣に座る。
「おふくろ、おまえが帰ってきてすごく喜んでた。ゆうべも、あんなにはしゃいでたのは久しぶりだって、姉ちゃんが言ってたよ」
「……箸の持ち方がなってないって小言くらったことしか覚えてないな。盆のときも言ったくせに」
「親ってのは何千回でも同じこと言う生き物なんだよ」
「めんどくせえ」
 彼は興味のなさそうな顔で、切った爪にヤスリまでかけている。
 どこまでも素直でない叔父が、出来の悪い弟のように見えてきて、理一は目を細めながら思わずその肩を抱き寄せていた。
「え……」
 寝癖の髪をくしゃくしゃとかきまわすと、侘助が驚いた顔で見上げてくる。
「いいのか」
 上目遣いでこちらを窺う目は、もう完全に覚めているらしい。盆に帰省したとき、冷たくあしらわれたことを気にしているようだ。道理で昨日は、眠れないわりにちょっかいを出してこなかったわけだと納得した。
「二人ともしばらく帰ってこないし」
 顔を近づけて覗き込んでやると、やけくそのように口に噛みついてくる。首を横にそらすのがつらかったのか、身体ごとこちらに向きなおって体重をかけてきた。理一はクッションに背中をあずけながら、細い身体を受け止める。
 侘助の握りしめていた爪切りが、絨毯の上に落ちた。
 理一をソファに押しつけて、侘助は執拗に唇を吸い、舌を追ってきた。ベルトに手が伸ばされ、彼が本格的にはじめようとしていることを知る。
「おまえ、寝起きで……」
 口づけの合間に理一が洩らした苦笑への返事は、もう数秒経ってからだった。
「……寝起きだからだよ」
「若いなあ」
 だが、理一は止めなかった。侘助が下着の中へ手を突っ込んでくるのも、熱い息を吐きながら耳に噛みついてくるのも、逆らわずに受け止めた。陽光の射し込む明るいリビングで、息を荒くして重なり合っているのは妙な気分だったが、背徳感や罪悪感はふしぎとわいてこない。なにもかも麻痺してしまったのだろうか。
 自分の身体が熱を帯びてはじめていることを感じながら、理一は侘助の髪をつかんだ。
「なんだよ」
「最後までする?」
「しねえのかよ」
「いいけど、ゴム、おれの部屋だわ」
 すでに自分の下着をずり下げようとしていた侘助は絶望的な表情で理一を見下ろす。
「おい……今さらやめられねえぞ」
「じゃあ、上に行くしかないな」
 理一も中断する気はさらさらなかった。侘助を蹴飛ばす勢いで立ち上がり、二階へと追い立てる。薄暗い階段を上がりながら、侘助がもそもそと呟いた。
「結局いつもどおりかよ」
「なに、そんなにシチュエーションにこだわるタイプだっけ?」
「ぜんぜん」
 そうは言いながらも、どこか不満そうなのがおかしい。
 侘助が起きたときの状態で放置されている布団に、二人はもつれ合いながら倒れ込む。
「これって、二度寝?」
「似たようなもんだ」
 静かな笑い声が上がり、やがて消え、荒い呼吸と衣擦れの音だけが部屋に響くようになる。侘助の粗雑さには焦りさえ感じられたが、理一のほうも、さっきリビングで侘助に煽られた熱を持てあましていたところだった。だからつかみかかってくる相手と同じ程度には、息を荒くしていただろう。
 やがて理一の腹の上に跨った侘助は、見覚えのあるボトルを手にしていた。
「あのさ、それ……姉ちゃんの……」
「ああ……四十代からの基礎化粧品、ってやつ?」
「うわあ……」
 理一は思わず両手で顔を覆う。
 確認するまでもなく、洗面所にあった姉の化粧水だった。
 昔も侘助が勝手に持ち出して、見つかって怒られたことがある。彼がどんな言い訳をしたか、もう覚えていない。だがまさかこの歳になって、しかも同じ用途で使われているとは姉も思わないだろう。
 なにも知らない姉に心の中でかたちばかりの謝罪をして、あとは侘助の濡れた指が後ろへ這い込んでくるその感触に集中する。
「ん……」
 唇を噛んで声を殺してしまうのは、実家という空間による無言の圧力なのか。中を探られる感触に身をよじりながら、理一は自らの口を押さえていた。
「だれも……聞いてねえよ……」
 つまり声を聞かせろということなのだろうが、おとなしく答えてやるのも癪で、拒絶の意味を込めてかたく目をつぶってやった。
 視線の訴えを拒み、囁きの要求を無視し、口を押さえた指のあいだから吐息を逃がす。
「ふ……んぅ……っ」
 侘助の手が止まり、のどを鳴らすのがやけに大きく聞こえた。
「くそ……っ、エロ自衛官……」
 心外な罵声をぶつけられて理一が目を開けかけた瞬間、指を乱暴に抜かれてつい呻いてしまう。
「てめ……が、悪い……」
 意味不明な文句とともに今度は侘助自身が侵入してきて、二人の息が同時に止まる。
 喘ぎとも嘆息ともつかない音が侘助の口から洩れると、理一も強情を張って声を殺しているのがばかばかしくなってきた。
「ぅん……」
 口を押さえていた手を、シーツの上に放り出す。
 じゃまな腕がなくなったせいか、支えを求める侘助の手が肩をつかんできた。硬い筋肉に爪が食い込みかけたが、彼はためらうように指先から力を抜き、掌全体で背中をさするように包み込む。理一の背中に傷をつけたことを思い出したのだろう。
 ……爪は切ったのに。
 そう思ったらおかしくなって、つい笑みを洩らしていた。
「なんだ……よ……」
「べつ、に」
 妙な気遣いがくすぐったくて、だが悪い気はしない。
 結局、「悪い気はしない」というのが理一を動かす唯一の原動力らしい。特別にうれしいだとか、愛おしいなどとは思わなくても、ただ「悪い気がしない」だけで、理一は侘助を受け入れつづけた。
 今も、そしてこれからも、二人はその程度の理由で身体を重ねるのだろう。
「ぁ……っ!」
 腰を引いた侘助が、一気に最奥を突き上げる。
 背中とシーツが離れるほどに身をのけ反らせた理一は、張りつめて侘助の腹を突いている自身をつかもうとする。だがその手は骨ばった指に押さえつけられてしまった。
 仕方なく、理一は彼の身体を抱き寄せる。
「あぁ……んっ!」
 理一の中で侘助の角度が変わり、そして侘助の腹へ理一の屹立がこすりつけられ、二人はそれぞれに呻き声を上げた。すぐ目の前に待ちかまえる終わりを目ざして、互いにしがみつき肌をぶつけ合う。
 侘助の指が何度も理一の肌に食い込み、だが爪を立てそうになるとその手は開かれて力を逃す。撫でさすられる肩や背中がひどく熱くて、理一は仕返しにと侘助の肌をまさぐった。爪を立てないよう、掌を使って。
 そのうち、理一の中の侘助がひときわ大きくなる。
「うぉ……ああっ!」
 荒い息をつきながら、侘助がばったりと横に倒れた。ぜいぜいと息をついている。
 朝だからと言って挑みかかってきたはいいが、朝に弱い男がこの唐突な運動に負けないわけがないのだ。
 理一はため息混じりでちらりと腕時計に目を走らせる。母はあと一時間はもどらない。そして、理一は軟弱な叔父とはちがってまだ体力も気力も余っている。
 総合的な判断を下した理一は侘助の腕をつかんだ。
「え……?」
 うつぶせに押さえつけられた侘助は、首を反らして肩越しに理一を見上げる。
「マジかよ……」
「なにか?」
「や……バックって……」
 侘助は不満げにもそもそと呟いていたが、理一の耳には一単語も届かなかった。大したことではないのだろうと聞き流し、パジャマ代わりのTシャツをまくり上げて薄い脇腹に手を当てる。
 あまりに貧相な肉付きの身体が、どう触れるとどうなるか隅々までわかっているのに、二人はもう四半世紀も同じことをしているのだ。
 彼と同じように姉の化粧水をローション代わりにして、相手の準備をしてやる。侘助は理一の指がねじ込まれると、それだけで嬌声めいた喘ぎを上げた。
「ひ……ぁあっ!」
「おまえは、ちょっと声押さえたほうがいいよ」
 耳元に呟くと「うるせえ」と呻き声が返ってくる。彼の堪え性がないのは昔からで、どちらかといえば我慢強い理一が下になることが多かったのもそのせいだった。
 だが今はだれもいない。容赦なく指を増やして彼の中を押し広げる。
「ん、はぁ……っ」
 自分の腕に顔をうずめて、侘助は細い腰をくねらせ逃げようとする。その腰を押さえつけ、理一は彼の性感を探り当てた。汗ばんだ身体が大きく震える。
「や……っ! バカ、もう……早く……」
 はじめてもいないのに泣き声になっている侘助に苦笑して、指を抜く。
「わかった」
 完全にほぐれているとは言いがたいが、理一自身もすでに猛っている。互いのために早く終わらせたほうがよさそうだ。冷静なふりをしている頭でそう考え、もの欲しげにひくついている入り口へ半ばむりやり押し入った。
「んぁっ!」
「ぁああ……っ」
 細い背中がのけぞって中の角度が変わり、強く締めつけられた理一も同時に喘ぐ。
「手加減、しろ……っ!」
「してる……」
 だが実際、理一は侘助相手に加減したことなど一度もなかった。
「あぁうっ、り……りいち……っ」
 腰を打ちつけるたびに、背骨が軋むようにくねる。実際、どこかの関節が鳴るような音も上がっていて、わずかながら同い年の叔父への憐憫を抱いた。だが今まで壊れるようなことはなかったから、今回もだいじょうぶだろう。
 根拠のない断定をした理一は、さらに奥へと腰を進める。
「ぁ……っ、く……」
 布団から剥がれかけているシーツの襞をつかみ、侘助は情けない喘ぎを洩らしつづけていた。
 部屋は薄暗いが、開け放した窓の向こうには初秋の青空が高く広がっている。
 休みとはいえ平日の昼前から淫行に耽るなど、いい大人としていかがなものかと理一も思う。しかも実の叔父相手に。だれに迷惑をかけるわけでもないが、決して好ましい状態とはいえない。
 だが、これが二人をつなぐ行為なのだ。家族になることを拒みつづけてきた二人が、お互いを結びつけようとしたときに選んでしまった、たったひとつの手段。
 はじまりや経緯はどうでも、今現在そうなのだから仕方がない。侘助だけでなく理一も、このつながりを手放すことはできない。ただ「悪い気はしない」というだけの理由だとしても。
 理一のひたいからあごを伝ってしたたり落ちた汗が、侘助の背を打つ。だが彼がそれに気づく余裕はないようで、いつのまにか自らを握って愛撫している。先ほど自分がやろうとしたとき侘助に阻止されたことを思い出し、理一も後ろから手を伸ばして侘助の熱をつかんだ。
「やめ……」
「遠慮しないで……」
 言いながら握って愛撫してやると、喘ぎに悪態が混じりはじめた。
「くそ……っ、早くイけよ……」
「お先に、どうぞ……」
「なに意地張ってんだ……あぁっ!」
 最奥を突かれたのと手淫のタイミングが合ってしまったのか、侘助が身を震わせて精を吐き出す。

 理一が勝利の笑みを浮かべられなかったのは、その直後に自身も達してしまったせいだった。

 二人の携帯電話が、ほぼ同時にメールの着信を告げた。
「一括送信……?」
「スパムか?」
 先に服を着ていた理一がポケットから端末を取り出す。
「夏希だ」
 メールの本文は一行きり。
『ご迷惑をおかけしました』
 そして画像が添付されている。
「なにをにやついてんだよ」
「いや、添付画像が過激すぎて。これをばらまいたかと思うと……」
「どれどれ」
「自分の見ろよ」
 意地悪く携帯電話を閉じてしまった理一に、侘助は文句を言いながら自分の端末を探しはじめた。結局敷布団の下に入り込んでいたそれを見つけるまでには、少しかかる。
 タッチパネルに何度か指をすべらせて、侘助もへらりとにやけた。
「たしかに、過激だな」
 添付されていたのは、不細工なリスが愛らしい鹿耳の少女にキスをしている瞬間のキャプチャ画像。あまりにも微笑ましすぎて、どうしても顔がゆるんでしまう。
「万事解決ってことか」
「いやいや、これからだよ」
 そりゃそうだ、と侘助は肩をすくめて布団の上に端末を放り投げた。
「悩め悩め、若造ども」
 ひひっと意地悪く笑ったとき、腹から低い音が鳴る。ちらりと見やった理一を、侘助は気まずそうな表情で見返してきた。
「……今日、まだ食ってねえし」
 理一は笑いを噛み殺しながら、汚れたシーツを布団から引き剥がした。
「台所に、おまえのぶんあるよ」
「おう……」
 ようやく下着をはいたばかりの侘助は、もたもたと服を身につけている。
「早く着替えないと、おれが食うから」
「はぁ? てめえはもう食ったんだろ?」
「動いたから腹へった」
「ふざけんな……」
 侘助が毒づきながら服を引っかける。
 たとえ母が残してくれた朝食にありつけなくても、冷蔵庫を開ければ食べるものはいくらでもあるだろう。それでも侘助は、わざとらしいくらいあわててシャツのボタンを閉めている。理一も彼につき合って襖を開けながら急かしてやった。
「ほらほら、早くしないと食べちゃうよ、侘助の朝ごはん……」
「バカ、待て……」
 二人の大きな子どもたちは、狭い階段を先を争うように下りていった。

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