七海/伊地知

2024_呪術廻戦,[!],[R18]

【四.刎頸莫逆】

 ◆

 担当の補助監督から待つように言われ、七海は応接用のソファーに座っていた。
 そういう時に限って、あの男はやってくる。出張土産などが置かれているコーナーを覗くのが日課らしい。
「おっ、かもめの玉子だ! 全部もらっていい?」
「全部は勘弁してください」
 年配の補助監督が苦笑気味に声をかけているのは、最強の特級術師。
 できれば関わり合いになりたくなかったが、彼は無情にも顔を上げて七海の姿を認めた。ところが今日は、目が隠れていてもわかるほどうんざりした表情を見せる。
「……おいおい、七海かよ」
「はい?」
 今さらこの男に挨拶などは期待していないが、顔を合わせるなり嫌な顔をされる覚えはない。こちらがするならともかく。
 菓子箱を持ったまま長い脚でずかずかと歩いてきた五条は、七海の横に腰を下ろす。そして、なんでもないことのように呟いた。
「アイツが術式使ってるから、対象者が気になってたんだ」
「……………」
 意味もなくサングラスを直す。
 まずい相手に知られた。
 七海が無表情の下で必死に返答を考えているのを知ってか知らずか、五条は無造作に菓子の袋を開けている。
「言っとくけどね、僕だって完全に忘れてたんだよ? あんな毒にも薬にもならない弱っちい術式なんかさ。でも視えちゃったら完全に意識の外ってわけにはいかないでしょ。見せてくるほうが悪くない?」
「わざわざ見せてはいませんよ」
 かの六眼には、何もかも「視えてしまった」のだろう。相変わらず忌々しいことこの上ない。
「いいでしょう、毒にも薬にもならないのなら、尚更アナタには関係ない」
「そりゃ関係はないよ? ただ目障りなだけで」
「無視してください」
 菓子を頬ばりながら、五条は七海の前に置かれた茶に何も言わず手を伸ばす。
「正直、あの術式にそんな価値があるとは思えないんだけど。オマエみたいな広いプールに、毎日一滴ずつ垂らしたところでさ、自覚もないでしょ?」
 その比喩は正しい。七海の呪力に対して、伊地知の呪力は知覚が難しいほど微量だ。それでも、今の自分にはその一滴が必要だと感じている。
「海のように規格外のアナタには、我々凡人の考えは永遠に理解できませんよ」
 自分がプールなら、彼は海……つまり果てがない。「最強」には、式神も呪霊も他の術師も必要ない。彼にとっては、本当に無価値なのだろう。
「凡人かぁ。脱サラ一級術師が、言うよねー」
 五条に何を言われても、皮肉にしか聞こえない。二つ目の袋を開けた五条は、さらに不機嫌そうな声で畳みかける。
「まあ公私混同にならない範囲なら……」
 公私混同が服を着て空を飛んでいるような存在がどの口で、と喉元まで出かけた。パブリックという概念を理解しているかも怪しい男が、七海に何を言う権利があるのか。
「口出しはしないけど。僕の手を煩わせないでくれよ」
「逆にアナタのお世話になる場面がありますか」
 価値のない、微弱な呪力。言及する意味さえなさそうなのに、五条は何故かこの縛りを気にしているようだった。
「アイツが僕以外を優先させるような事態になれば、それなりの対応はするかもね」
 七海の茶を飲み干した五条は、ふと真顔になってこちらを見やる。
「僕が気づいてるってアイツには教えないほうがいい」
「言われなくてもそうします」
 服を払って菓子の屑を落とし、五条は来たときのようにふらふらと去っていく。
 個人的な縛りを五条に知られているのは、あまりいい気分ではない。
 ただ、少し意外でもあった。自分よりもよほど長く行動を共にしている伊地知に対しては、気づいたそぶりすら見せていないらしい。根掘り葉掘りの尋問や、当てこすり・嫌がらせをためらわない男が。
 七海よりもよほどいじりがいのある後輩に、現時点でなにもせずにいるのが逆に不気味でさえある。
 何をしてもしなくても、常に他人を振り回す……。
 そう思いながら、彼が食い散らかした後を渋々片づけた。

 体感として、握手なら4日程度。
「最後の接触から6日。5日目の夜から急に睡眠が浅くなります。興味深いですね」
「もっと長く持続できればいいんですが……」
 毎日同じ職場に出勤するわけでもなく、定時外の業務も多い。自然と勤務外の時間に呼び出すことになる。伊地知にしてみれば益のない奉仕でしかないから、せめて食事なり酒なり奢らせてほしい、というのが七海側の理屈なのだが。
「私に、七海さんの貴重なお時間を割いていただいて大丈夫ですか?」
 伊地知側からはそういう印象になるらしい。今日も七海が選んだ店で、遅めの夕食をとっている。
「ここのアンコウ鍋は、二人前からの予約しかできないので」
「七海さんなら、お一人でも大丈夫でしょうに」
 基本的に一人で好きなだけ食べるのが好きだが、気疲れする相手でなければ他人との会食も嫌いではない。普段は入りにくい店にも入れる。
「折角の機会ですから、行きそびれていた店を制覇していこうかと思いまして。ご迷惑でなければ」
「いえいえ、光栄です!」
 伊地知は肝刺しをつまみ、しみ入るように「美味しい……」と呟いた。まともな食事は珍しいというから、日々の慰労という意味でも悪くはないだろう。こちらも気兼ねなく「二人分以上」を注文できる。人より少しばかり大きな体と相応の呪力を維持するためには、上品な食事量では間に合わない。
「でもこういう場は、その、おつき合いしている方などといらっしゃるはずでは……」
 空になった七海の猪口に徳利を傾けながら、伊地知は遠慮がちに尋ねてくる。
「ええ、以前はそういう機会もありました」
 さらっと答えたつもりが、相手を萎縮させてしまったらしい。
「すみません、プライベートに立ち入るようなことを……」
「かまいませんよ」
 徳利を受け取って伊地知の猪口にも酒を注ぐ。仕事の話を避けるとなると、共通の話題がなさすぎてこういう方向に逸れがちだ。
「君こそ、この時間を割きたい相手はいないんですか」
「いるわけないでしょう……」
 苦笑して肩をすくめた彼から、いつもの自虐的な言葉が出てくるかと身構えたのだが。
「明日生きているかもわからないのに、約束なんて怖くてできないです。情けない話ですけど」
「……………」
 呪術界から逃げ出した自分が、まさにそうだった。
 普通の人間として生きたい。普通の会社に勤め、普通に働いて、普通の相手と交際し、結婚して普通の家庭を……。今思えば、動機が不純だったのだろう。一般社会で生きていく覚悟も足りなかった。結局は呪いに囚われている自分を再認識しただけだった。
「とても……共感できます」
「え?」
 箸を止める伊地知の器に、煮えた肝を放り込む。1.5人前は自分が食べることになるのだから、野菜ばかりつついているのは勿体ない。そんな所帯じみた発想が出てくるのも、この話題が生活に食い込んでいる本質だからか。
「愛している、は呪いの言葉。結婚しよう、は縛りの言葉。自分が呪いをかけるのも、相手に縛られるのも怖かった。本気であればあるほど、続かないものです」
「七海さんも……」
 呪いの威力を知っているというだけで、呪言は使えなくとも迂闊なことが言えなくなる。いちいち躊躇っているうちに、真意を疑われるようになる。気づけばその手の話から縁遠くなっていた。
「でもそんなことを言っていたら、我々はずっと一人じゃないですか」
 空になった徳利をよけ、伊地知が力なく反論する。自分でも説得力がないと認めている顔だった。
「一人で不都合がありますか」
「ですよね……自分が約束を破らなければいいだけですし」
 日々「他人」の予定や気まぐれに振り回されていると、相手に約束を反故にされる分には構わなくなるのかもしれない。伊地知は自分が約束を守れないことを恐れるようだ。
「でも仕事以外で、誰かとごはんを食べるのはいいものですね」
 目の前の鍋を眺め、彼は竜田揚げをかじる。
「今は寮ですから、帰って同僚と会うこともありますし、知った人間の気配があるだけでも安心感はありますが。たまにすごく怖くなる時があるんです。ずっと一人だったらどうしようって。こういうタイミングで、人は婚活を始めるんでしょうね」
 二十も半ばを過ぎると、誰しもが感じる現代的な不安ではある。だが一人でなくなることも……誰かと約束を交わすこともまた、不安なのだ。
「その点、五条さんには感謝しています。寂しいとか怖いとか感じる暇がないくらい、仕事を増やしてくださるので。恋愛や結婚ができなくても、五条さんのせいにできます」
 乾いた笑いの直後、「これは絶対内緒ですよ」と真剣な顔でつけ足してくる。間違っても密告などしないが。約束をほとんど守らない、方々で秘密を作る、平気で嘘をつく……そんな男の下で誠実を保っていられるのは奇跡ではないか。
「ずっとあの人の下で働く気ですか」
「そうでないと困ります。私、もう『五条派』ってことになってるので。後ろ盾がなくなったら即クビです。たぶん、物理的に」
 気を抜けば本当に首が、命が消し飛ぶ。そういう立場にあることは、本人も五条も承知している。きっとそうなれば、伊地知は抵抗もせず黙って首を差し出すに違いない。七海が立ち入れない「政治的な」領域で。
「まあでも、五条さんが私より先にいなくなることだけはないでしょうから、そこは安心ですよね」
「君は……頼りないのか逞しいのか」
 独り身の心細さに怯えながらも、「最強」が自分の人生を保証することは確信している。何の口約束もなく、ただお互いの能力に全幅の信頼を置いている。並みの精神力なら、とっくに五条に使い潰されているだろう。
 決して目立たない彼の凄みを、今更知った気がした。
「すみません、私ばっかり、変な話してますね」
 彼はあわてたように眼鏡を押し上げた。
「いえ、こんな話はそうそうできませんから」
 実に貴重な相手だと感嘆の気持ちを込めて、彼の猪口に酒を足す。
「次回は何の店にしましょうか。食べたい物などあれば教えてください」
「えっ、食べたい物……ですか? えっと……」
 五条には不穏な釘を刺されたが、彼となら「継続して」「過剰な公私混同もなく」付き合っていける気がした。

「また、連絡します」
 握手をしてから、さっさと踵を返す。伊地知は七海が見えなくなるまでその場から動かないからだ。振り返ってもまた頭を下げられる。
 奇妙な名残惜しさに囚われながら、七海は歩みを止めず伊地知の残穢を握りしめた。

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