竜魔/劉鵬

2007_風魔の小次郎,[R18]

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癒合

 劉鵬は硬い板張りの床を背中に感じながら、まっすぐ上を見ていた。
 天井は見えない。そこにあるのは、苦痛にゆがんでいる端正な顔。にじむ汗は今にもしたたり落ちてきそうだ。
 肩に食い込んでくる指も尋常でない力で、その気になれば劉鵬の骨を砕けるのではないかと思うほどだった。
「竜魔」
「……………」
 黒い長髪と絡まり合った白い布の帯が申しわけ程度に左眼を覆い隠していて、見下ろしているのは右眼だけ。
 これでいい、と思った。彼をこんな状態にした責任の一端はこの自分にある。ならば背負えるものはすべて背負ってやろう。
「……いいぜ。おまえに全部やる。好きにしろ」
 笑みすら浮かべて目を閉じた劉鵬に、隻眼の獣は容赦なく襲いかかった。

 その古びた庵で竜魔が日々を過ごすようになってから、半月が経っていた。
 庵の傍らには小さな温泉があり……というよりは湧き出す熱湯のそばに庵が建てられたのだが、深い傷を負った者だけが療養に訪れる、隠れ里の中でもさらに知る者の少ない処だった。
 戦いで左の眼だけでなく満身に傷を負った竜魔は、医者の手が離れてすぐにここへ籠もった。他人と接するのを恐れるかのように。だが一人きりになることは叶わなかった。竜魔の身を案じた劉鵬が、夜ごとに庵を訪れていたからである。
 竜魔は不機嫌を隠さなかったが、劉鵬は努めて気にしないことにしていた。案ずるそぶりすらあえて見せず、ただ彼の生活の不便を助けることに専念した。そうやって庵に泊まり込み、朝になると里へ下りる。それをなんでもない日常のように淡々とくり返した。
 もとより口を開くのを億劫がる竜魔は、最初の数日で拒絶の言葉を使い果たしてしまう。それすらも計算の上で、劉鵬は強引に彼の独居へ割り入っていったのだった。
 今夜も劉鵬は湯気が立ちこめる岩場に座り込み、竜魔が脱ぎ捨てた着物を畳む。一人で生きる訓練は受けているが、こんなところにまでは気が回らない……だから自分を強く追い返さないのだと思い、劉鵬は微笑んだ。
「劉鵬」
 白い湯気の中から、低く通る声が呼びかけてきた。「なんだ」と返事をしてやれば、言葉を選ぶような暫しの沈黙。不要なときには数日でも口を開かない男が、用もないのに声をかけてくるとは思えない。らしくない、と眉をひそめると、その顔が見えたかのように声が返ってくる。
「……霧風はどうしている」
 視界を覆うこの湯気から連想したのだろう。言いよどんだのは、それが二人にとってひどく深刻な、痛みを伴う問題だからだ。
 畳んだ着物をていねいに籠へ入れ、劉鵬は言葉を返す。
「あいかわらずだ。おまえに会いたがっている」
 そう言ってから、息をつかずにはいられなかった。彼の顔を思い出したのだ。自身も傷つきながら、竜魔だけを案じ、自らを責め……毎日がそのくり返しで、霧風の苦痛も並みではない。
「……だが、合わせる顔がないとも言っている。つまりまだ整理がついていないのさ。あいつはまだあの日で止まったままだ。おまえが無事な姿で現れるまでな」
「そうか……」
 ため息混じりの呟きは、湯気に溶け込んでいく。
「では、なおさら今は会えんな」
 着衣ならば、目立つ傷はない。だがその真っ青な瞳と、こめかみや頬にまで走る傷跡は隠しようもなかった。なにより、今の竜魔は霧風と同じくらい、あるいはそれ以上に心が弱っている。毎日この隠れ家と里を行き来し、二人を等しく見つづけている劉鵬には、それが手に取るようにわかっていた。自分がそれに対してなにもできないことも。
 水音がして、竜魔が湯の中を動きこちらへ顔を出した。
「……おまえは入らんのか」
 ぼんやりと岩に腰かけていただけの劉鵬は、驚いて眉を上げる。
「……どこも怪我はない」
 ここは薬湯だ。ただの湯浴みなら里へ下りればいい。元気な者は入ってはいけないとさえ、劉鵬は思っている。だが竜魔は真顔で答えた。
「俺が傷つけた」
「…………っ」
 ひざに置かれた手に思わず力が入る。
 すべてを受け入れたつもりでも、やはり心構えなしにあの記憶を突きつけられるのは慣れていないらしい。わずかでも震えた自分を軽く嘲笑した。
「……あまり俺を莫迦にするな」
「……………」
 竜魔はそのまま黙り込む。二人は言葉も視線も交わさず、ただ木々の揺れる音だけを聞いていた。
「劉鵬」
「ん? なんだ?」
 湯の中から腕を伸ばされ、なにも考えずにその手を取る。彼が手を握ったと思った次の瞬間、腕を強く引っぱられていた。
「わっ……」
 静寂の中に激しい水音が響きわたる。
「おまえ……」
 着物のままで湯に落とされ、劉鵬はひたいに張りついた前髪のあいだから竜魔をにらみつけた。竜魔はといえば常になく楽しそうな顔で、ずぶぬれの男を眺めている。
「ゆっくり浸かれ」
 そう言いおいて湯から上がった竜魔は、乾いた着物に袖を通すとさっさと庵の中へ入ってしまった。
「くっそぉ……」
 残された劉鵬は、熱い湯の中に鼻まで沈む。まちがいなくびしょ濡れになった着物をどうすればいいのか。
 だが同時に、心が浮き立つのを感じていた。竜魔がやわらかい表情を見せるまでに、余裕をとりもどしたのだ。あの顔が見られるなら、湯に叩き込まれるくらいはなんでもなかった。

「まったく! らしくない悪ふざけなどするな!」
 髪を拭きながら部屋に入ってきた劉鵬を、竜魔は静かな笑みで迎える。
「それは……すまんな」
 そう言いながらも、とくに反省している様子はなかった。本気で怒っているわけではないとわかっているからだろう。なにもかもあきらめて、劉鵬は生乾きの髪をかき上げる。
「着替えを借りたぞ」
「ああ。好きにしろ」
 毎日里からやってくる劉鵬の着替えは、ここには置いていない。仕方がなく竜魔の着物を借りた劉鵬は、だぶつく袂や袖を持てあましながら竜魔の前に座り込む。彼はいつもと変わらず毅然とした美しい姿勢で正座していたが、ただ左頭部を覆う包帯だけが雑に巻かれゆるんでいた。
「だから、自分でやるより俺に頼めと言っただろう」
「こんなものは一人でできる」
 そっけなく言い放つ竜魔に、劉鵬は苦笑しながら手を伸ばした。慣れた様子で包帯を外していく手に、一度は口答えをした竜魔も目を伏せおとなしく従う。
 左眼のあて布を外すと、瞬きもしない青い瞳がまっすぐに劉鵬をとらえた、ように見えた。
「見えるか?」
「いや。なにも」
 実際はその青はなにも映してはいない。なぜ見えないのか、なぜその色に変わったのか、医者も答えられなかった。
「痛みは?」
「今はない」
 的確な答えだ、と劉鵬は思う。だが全てを語ってはいない。
 ひとたび痛みが襲ってくれば、何者の力をもってしてもそれを鎮めることはできない。初めてこの庵を訪れた劉鵬が見たものは、ずたずたに引き裂かれ砕かれた調度だった。その対象が山の狐や雉鳩に及ぶに至って、劉鵬は覚悟を決める。
 忍びとして生きてきた者にとって、それはさほど難しいことはない。一族の長兄の前に命を投げ出すと決めたあとは、なにひとつ恐れるものはなくなった。その常人離れした力で着物を裂かれ、女のように手ひどく犯されようとも。むしろ、命を奪われないことに拍子抜けしたほどだった。
 快楽もない代わりに、屈辱や怒りもない。己の身を目的のために捧げるのが忍びの役目だと心得ていたせいか。ただすべきことをしている心持ちで、暴れる竜魔を抱きしめていた。
 だから今、包帯を解き終わった腕をふいにつかまれても、ことさらに驚きはしない。
「竜魔?」
「あとでいい」
 ひそかに深呼吸して、おとなしくその手が頬に触れるのを受け入れる。
 彼が意味もなく接触を求めるのは、行為を望んでいるときだけだ。腹をくくってしまえば、あとは戦いと同じ。相手の気迫に飲み込まれないよう、致命傷を負わないよう、注意を払いながら受け止められる。今回は、肩に噛みつかれるか、喉をつかんで床に押し倒されるか……。
 だが、竜魔は静かに微笑んだだけだった。
 大きな手が、劉鵬の肩をそっと抱き寄せる。なにが起こったのか一瞬理解できなかった。
 甘さを含んだ低音が、耳のすぐ近くで聞こえる。
「俺は正気だ……正気のままで、おまえがほしい」
「…………!」
 劉鵬の顔が目に見えて朱に染まる。
 つまり竜魔は、劉鵬を抱こうというのだ。犯すのではなく、痛めつけるのでもなく。愛しい者として。自分にも理解できない感情が、喉元まで迫って劉鵬の息を止めようとしていた。
「なっ、ちょっと待て、待て待て……」
 ひざを進めてくる相手に劉鵬はじりじりと後ろへ退いたが、狭い庵の中である。逆に布団へと追い込まれ、後悔する羽目になった。
 あわてふためく劉鵬を、竜魔はいつにない優しさで、だがいつもどおりの強引さで布団へ押し倒す。
「や、必要ないだろう、いつものは非常事態で……」
「その詫びもさせてくれ」
「いやいや、俺はまったくかまわんぞ、おまえの役に立てれば……」
 上ずった声は、竜魔の口に飲み込まれた。柔らかい唇のあいだから、熱い舌が這い込んでくる。中をかき回される感触には、久しく覚えがなかった。
 この男と唇を重ねたのが初めてだと気づき、あらためて耳が熱くなる。あれほど幾度も身体を重ね、犯し犯されていたというのに。口づけさえ、二人のあいだにはなかったのだ。
「ん……っ、竜魔……」
 拒絶ととられないように苦心しながら身をよじり、努めて優しく相手を押しやる。竜魔は左眼を大きく見開いて、劉鵬の顔を覗き込んだ。そのまっすぐな視線までもが今は気恥ずかしい。
「なぜいやがる」
「いやなわけじゃないが……」
 目をそらし、劉鵬はひたいに滲んでいた汗を拭った。そう、いやなわけではない。しかしなぜか余裕を持って受け止めることができなかった。
「どうも……こういうのは苦手でな」
「ではただ身を任せていればいい」
「え、そういうことじゃ……」
 反論もなにもあったものではない。再び唇をふさがれ、着物を剥がされていく。もともと身体に合っていなかった着物は、引き裂くまでもなくゆるゆると肌からすべり落ちていき、どうにも言い訳のつかない有様になってしまった。
「んふ……っ」
 息の長い竜魔に解き放たれたときには抵抗する気力もなく、首筋や胸元を吸われるたびに身をよじるくらいのことしかできなかった。
 鋭い牙を突き立てられるのではなく、濡れた唇と舌に優しくなぶられる。竜魔だけではなく他のだれからもそんなあつかいをうけたことがなかったから、劉鵬は戸惑うばかりだった。竜魔が唐突にこんなことをはじめた理由もわからない。
「なあ、どうしたんだ竜魔……」
「おまえこそ」
 たしかに、いつになく動転しているのは自分でもわかる。だがそれは竜魔のせいなのだ。当人はそれを自覚しているべきだと劉鵬はめずらしく腹を立てた。だからといって、反撃や拒絶ができるわけでもないが。

 なにかが引きずられる音に目を向けると、酒の入った瓢箪がたぐり寄せられているのが視界に入った。
 己を律しようとしている今の竜魔は酒を飲まない。彼の番をしている劉鵬も飲まない。純粋に怪我の治療用に置かれているものだった。その栓を竜魔は口で開ける。
「こら、それ、どうする……っ」
 かたむけられた容器から零れる冷たい液体が、劉鵬の胸を伝って下肢に流れていく。湯上がりと一連の騒動で火照った身体は、敏感にその冷たさに反応していた。あらぬ声を出さぬようにと唇を噛みしめた刹那、相手の指が肌の上をなぞる。濡れた指は勃ちかけた中心にはぎりぎりで触れず、後ろの蕾へと触れた。
「おっ、おぃ……ぅうっ!」
 硬い指がねじ込まれて息が止まる。そのまま腹の中を探られ、こらえようとしても声が上がってしまう。こんな準備さえ野獣の竜魔はしなかった。器用とは言いがたいが、どこか優しいその愛撫に、劉鵬はなすすべもなく身悶える。
「劉、鵬……?」
 名を呼ばれてもなんと答えていいのかわからない。
 酒への耐性は充分にあるはずなのに、その香りだけで世界が揺らぎはじめていた。切れ切れになる思考を必死にかき集めて、それが腹の中へ直接染み渡っている酒精のせいなのだとかろうじて理解する。治療用だから普段口にしているものより純度が高い。だから……。
「竜魔、もう……」
 もうまともに考えられない。酔っているのだ。竜魔の指がひどく淫らに動いているように感じるのも、それに煽られ、さらなる刺激が欲しくなっているのも、酒のせいなのだ。
「早く……」
 劉鵬は助けを求めるように竜魔の着物に縋りついていた。竜魔も息を切らせながら覗き込んでくる。
「いいか?」
「聞くな……いつもどおりにしろ……」
 幾度も劉鵬の身体に打ち込まれた楔が、質量はそのままに、だがゆっくりと侵入してくる。いっそ強引に押し入って、引き裂く勢いで犯してくれればいいのに、と劉鵬は思う。強い酒のせいか痛みは鈍い。なのに入ってくるかたちがわかるほどに感覚は鋭敏になっていて、なんとも落ちつかなかった。
「くぅうう……っ」
 息苦しさと圧迫感に喘ぎながら、ふと目を上げる。そこにはひそやかに呻く竜魔の顔があった。
「あぁ……」
 劉鵬はつかの間、その表情に見惚れた。
 我を失った彼に犯されているときには、顔など見ない。終わるまで目を閉じているか、冷静に相手や周囲を観察しているか。どちらにしても己の存在を意識の外に追いやっているから、こんな顔は見たことがなかった。
 その顔に思わず手を伸ばしかけると同時に、腰を深く穿たれる。
「はぁ……んっ」
 奥歯を食いしばって腹の中から駆け上がってくる衝撃に耐えようとする。痛みではなく、直接的な快感をやり過ごすほうが苦しい。
「耐えるな……」
 竜魔は腰を使いながらこちらを見下ろしていた。目が合ってしまうのがひどく気まずくて、顔ごと背けた。それでも彼の強すぎる視線はいやでも感じられ、顔の上で腕を交差させる。だが竜魔はその腕をつかんでじゃまそうにどけてしまった。
「見るなよ……」
「見せろ」
 その言葉にはっとする。
 竜魔はいつも劉鵬を見てはいなかった。眼はこちらに向けられていても、自らの衝動を昇華させることしかできなかったのだ。あの、青い瞳のように。
 胸に沸き上がってきた激しい思いに突き動かされるまま、劉鵬は相手の首を抱き寄せていた。硬い胸と肩がぶつかって汗が散った。
 竜魔の荒い息を耳元に感じ、それがむりやりに押し殺されたものだと気づく。
「むり、するなよ……」
 長兄として弟たちの前に立つことも叶わず、迸る力で友を犯すことしかできない。それが彼にとっては目を衝く痛みよりも堪えるのだと、最も近しい自分は最初から知っていたはずではなかったか。
「むりなど……」
 傷つけるのではなく労りたいと願った彼の心ごと、劉鵬はその身に受け止める。薬湯に叩き込んで湯治をさせようとしたのも、身体を重ねて同じ快楽を分かち合おうとするのも……その不器用な優しさが、いじらしくて愛おしい。
「俺は、なにがあってもおまえと……だから、おまえは好きなように……」
 己の身を己以外の者に捧げるのが忍びの役目。それがだれよりも大切な存在であれば、これ以上の僥倖はない。
「…………っ」
 竜魔の大きな手が劉鵬の背中を強く抱きしめた。
「すまない……劉鵬……」
 その声は、苦しげにすすり泣いていた。

 その温泉は、里でも知る者が少ない薬湯だ。
 劉鵬は白く濁った湯にゆっくりと身を沈める。爪痕や細かな痣は、こうして裸でくつろぐときでもなければ気づかないだろう。だがこれだけの傷で薬湯を使うとは、贅沢すぎると内心で思う。
 立ちのぼる湯気の向こうに、人影が揺らいだ。着物はいつもどおりに脱ぎ捨てたのだろう、と劉鵬が考えているうちに、竜魔は湯の中へ足を踏み入れる。
 男二人でもとくに窮屈さは感じない広さだったから、劉鵬は気にせず岩場にもたれかかっていた。
「……痛むか?」
 予想もしない言葉が相手から飛び出すまでは。
「いいや?」
 劉鵬は思わず湯の中で跳ねるように背筋を伸ばす。こうしてあらたまって気遣われるのも妙に照れくさい。
「……他人のことより、己をまず治せ。それが長兄のつとめだ」
 わざと説教めいた口調で言ってやるが、相手は笑っただけだった。
「ああ……そうだな」
「そうだ」
 心なしか、湯の温度が上がったように感じる。風呂釜ではあるまいし、と思いながら、劉鵬はのぼせかけた顔を空へ向けた。白い湯気が灰色の空に溶けていくさまを眺めていると、時間を忘れられそうだった。
「……劉鵬」
「うん?」
 長い沈黙を破るように、低い声が呼ぶ。
「ありがとう」
 まっすぐすぎる言葉と、視線と。彼らしくもない穏やかな微笑み。劉鵬はしばらくぽかんと口を開けたまま、相手の顔を眺めていた。
「……おう」
 ようやくそう呟いて、劉鵬は白い湯の中に沈み込む。先ほどよりも数段、湯が熱くなったような気がした。

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