竜魔/劉鵬
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劉鵬竜魔
雲ひとつないさわやかな朝。
劉鵬は鼻歌混じりに朝食前の庭掃除をしていた。
風魔の里は今日も平和そのものだ。忍務に出ている者は何人かいるが、いずれも失敗とは無縁の手練ればかりだし、とくに案ずることもない。
先週出かけていった竜魔だって、今日明日中には戻ってくるだろう。
「!」
ふと剣呑な気配を感じて身がまえる。小鳥さえずる青空の下には似つかわしくない、この刺すような視線。おそらくはすぐ近くに……
「劉鵬」
「うわっ」
振り向きざま、思わず忍びらしからぬ声を上げてしまうくらいすぐ近くに、独眼竜の竜魔が立っていた。
「な、なんだ、帰ってたのか」
「今帰った」
泣く子も黙る風魔の長兄は重々しく帰還を告げ、しかし劉鵬の目の前に立ちはだかったまま動かない。念のため彼の身体を見回してみたが、怪我などしている様子もなかった。
「そうか、無事でなによりだ」
心からの笑みを浮かべ、ほうきを握りなおす。何事もなかったように庭掃除に戻ろうとする劉鵬の肩を、竜魔の大きく力強い手がわしづかんだ。
「どうした……」
わずかに高い位置にある隻眼が、怒りのような感情を込めて劉鵬を見下ろす。
「……ちゅーは」
「は?」
低い声が聞き取れずに聞き返すと、隻眼がさらに険しく細められる。
「おかえりのちゅーはないのか」
「……はい?」
今度は一言一句、完全にはっきりと聞こえた。だが意味がわからない。一言一句、完全に理解できない。
豆鉄砲を食らった鳩と化した劉鵬に、竜魔はなおも苛立った様子でたたみかけてくる。
「おかえりのちゅーもせずに俺のメルヘンを名乗れるか!」
名乗ってない。名乗ったこともない。
記憶するかぎり、「風魔の劉鵬」以外の名はないはずだ。
だがそんな言葉がこの男に届くとはとても思えない。ましてや「メルヘンってなに?」と尋ねられる雰囲気でもない。
場数を踏んだ忍びとはいえ、このような状況ではうっかり車道に出てしまった山のタヌキと同じ。逃げるのも忘れてその場に固まってしまう。
頭のなかが真っ白になった劉鵬を現実に引き戻したのは、廊下の向こうから聞こえてきた声だった。
「もうっ、いつもはなにしても起きないくせに、今朝はなんなのさ!」
「だって竜魔のあんちゃんが帰ってきたんだぜ!?」
「まだそんな知らせ入ってないよ、寝ぼけてるんじゃないの?」
「オレにはわかるんだよ、風がさ……」
末弟の小次郎と麗羅が、いつものように言い争いをしながらこちらへやってくる。
まずい事態ではあるが、逆に好機でもある。劉鵬はすばやく頭をめぐらせ、仁王立ちの竜魔に向き直った。
「そうだ、小次郎たちと朝飯を……」
笑顔で話題を変えようとした劉鵬に向かって、渾身の拳が高速でくり出された。
「竜魔!」
条件反射でその拳を手で受けた……と思ったら、ぶつかったときには拳は開かれていて、長い指が劉鵬の指としっかり組み合わされている。
「えええ!?」
組んだ手をぐっと押してくる、その力に抵抗するのを一瞬ためらったのがまずかった。後ろに倒れかけた劉鵬の腰を、頑丈な腕が抱き込む。踏みとどまる直前に、厚い胸板が容赦なく圧力をかけてきて、端正な顔が有無を言わさず眼前に迫ってきた。
力で押し負けることはないのだが、しかしこの迫力にはとても勝てそうにない。
このままいけば確実に自分だけが地面に激突することになるし、筋肉の塊みたいな竜魔の重みに耐えきれるかは自信がない。
そして、その現場をちょうど廊下の角を曲がってきた弟たちにばっちり目撃されるだろう。騒がしい彼らを納得させる言い訳は……面倒だから、サイキックの力がアレでアレしたから、みたいなことにしておこう。もうそれしかない。劉鵬にもこうなった経緯は全くわからないのだから。
一秒以下でそう判断した劉鵬は、なにもかもあきらめて目を閉じた。
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