竜魔/劉鵬
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雨音響く夜・前編
雨樋の中を雨水が流れ、軒下からひっきりなしに雫が落ちては地面に小さな穴を穿つ。糸のような雨は屋根も壁も乾く間を与えず、昼間から庭を白く煙らせていた。そしてそのまま、月も星も見えぬ湿った闇夜をもたらす。
空気もが湿気を含んで重々しく感じる長雨の夜には、疼く古傷を抱える者も少なくない。
肌寒さに身をすくめながら、劉鵬は雨戸を閉め切った廊下を歩いていく。その足取りは急いではいなかったが、目的の部屋へと迷いなく向かっていた。
「入るぞ」
障子を開けると、燭台の炎だけが部屋の中にぼんやり浮かび上がった。闇に慣れた目には、その灯りだけで充分すぎるほどよく見える。
「やっぱり、泣いてたか」
燭台の傍らに背筋を伸ばして座っていた竜魔は、無表情にこちらを見上げる。
「……泣いてなどいない」
落ちついた声でそう言い切る彼の左眼からは、涙が伝っていた。常にその目を覆っている眼帯が、今だけは外されている。
「拭けよ」
正面に座り込むと、気丈な右眼がまっすぐ視線を向けてきた。
「きりがない。放っておけばそのうち止まる」
「だからってなあ……」
合理的というよりは、ものぐさに近い。思わず苦笑しながらも、竜魔が動かない理由を劉鵬は知っていた。
細いあごから水滴がしたたり落ちて、服に小さな染みを作っている。瞬きするたび、ひざの上に置かれた手の甲にも雫が落ちる。その指が腿に食い込み、力が入っていることが見てとれた。
「痛むんだろ?」
「……ああ」
かの隻眼による力の代償なのか、こんな夜には決まって、彼の見えない片眼は涙を流す。
その涙以外は普段どおりの無表情に見えるけれど、わずかに眉根が寄り、全神経を集中させて痛みと闘っているのだ。彼ほどの精神力の持ち主でなければ、泣きわめきのたうちまわるほどの激痛であることは想像に難くない。
手を伸ばし、指先で濡れた頬を拭ってやる。彼はわずかに目をすがめた。
「むだなことをするな」
言葉とは裏腹に、その口元は微笑んでいた。長い髪が肩から流れ落ち、首をかしげてこちらを覗き込んでくる。
大きな瞳で見つめられるのはいつものことだが、色のちがう両の眼と向き合うことはそうない。青いほうは視力を持っていないといってもだ。ふしぎな感覚につい動きを止めて見入ってしまい、はっと我に返って手を引っ込めた。
「どうした」
「いや……」
自分は畏れているのだろうか、と劉鵬は思う。その計り知れぬ苦痛を、苦痛に耐える彼を、そんな代償を要求する彼の力を。
不可解な思いを振り払うように、見えもしない外を見やった。
「止まんなあ……」
「そうだな」
先ほどよりは幾分か和らいだ声で、答えが返ってくる。と同時に気を緩めたのか、それまで堪えていた痛みを、深いため息のかたちで吐き出した。
「朝までは止まぬだろう」
湿気をはらんだ空気の重さや流れからそれを推し量るのは、一族の者なら幼子でもできる。だが天気そのものをあやつれるわけではない。いかなる風を以ってしても、雨雲を吹き飛ばすことはできない。
「朝まで泣きつづけるか。屋根の下にいながらずぶ濡れだな」
わざと軽く言ってやると、彼は無言の笑みで応えた。
相変わらずまっすぐな姿勢で、微動だにせず座っている姿は、威厳があって美しいのだけれど……いささか窮屈にも見える。これでは、たしかにどんな感情も内側へと封じ込めるしかない。
「少し、分けろ」
腕を引いて、倒れこんでくる身体を抱きとめた。その重みと勢いで、二人そろって畳の上に転がってしまう。燭台の炎が揺らめき、壁に映る影をも揺らした。
「劉鵬……」
彼は低い声で囁き、左の頬をこちらの肩に押しつけてきた。片眼だけの涙が染み込んで、上着の色を変えていく。
ため息というには大きく、そして切なげに押し殺された声が洩れる。長い指が痛いほどに食い込んできて、彼が耐えている苦痛の一端を知る。
「……竜魔」
止めどなく涙が流れていく頬に、唇を寄せた。感情の揺れや肉体の苦痛によって流れているのではない、単なる生理現象だと彼は言うけれど。
彼が殺してきた感情が、こうしてあふれてきているような気がした。ならば僅かな雫でも受け止めてやりたい。
「……っ」
静の内に自身を抑え込めなくなった竜魔は、衝動のままに劉鵬の唇へと噛みつく。
しばらく獣の勢いで貪ったあと、自分の頬さえ拭わなかった指が、濡れた相手の唇を撫でた。
「……すまない」
「いいさ」
暗い雨の夜に、晴天の色をした瞳が静かに泣く。
二人は身じろぎさえせずに抱き合って、降り止まぬ雨の音をただ聞いていた。
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