竜魔/劉鵬
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初夜
山奥の隠れ里よりもさらに奥まった森の中に、その庵はある。古びてはいるが、雨漏りもせず風にも耐える、仮の住処としては充分な場所だった。
片眼を失った竜魔は、己の中にくすぶる新たな力の萌芽を恐れ、里から離れようとした。療養と称してこの庵に籠もったのも、自分を他の者から遠ざけたかったからだ。この場所を知る者も少なく、身を隠すには好都合だった。
だが、そんな竜魔の意図を知っていながらここまで押しかけてくる者が一人だけいた。その男は、同じ修羅場をくぐり抜けながら、身体にも精神にもほとんど傷跡を見せず、それどころか他の連中の看病をしてまわっているという。
それだけならまだしも。
「いかな長兄といえど、おまえだけ特別あつかいはできんな」
そう言い放って、毎夜この庵へとやってくる。
どれほど邪険に冷淡に追い払っても、「もともと無愛想だから冷たくされてもありがたみがない」などと意味の通らない理屈であっけらかんと居座っていた。
あまりにも自然に割り込んでくるものだから、つい許してしまいそうになる。
彼が傍らにいることを。そんな彼に甘えてしまう自分を。
「湯加減はどうだった?」
「……いつもと同じだ」
庵の脇にある温泉は、外傷によく効くという薬湯だった。医者の手を離れたとはいえまだ新しい傷が残る身体を、竜魔はその薬湯で癒していた。実のところは、山籠もりの口実に過ぎなかったが。
湯から上がれば、脱ぎ捨てた着物はすでになく、劉鵬が用意した着替えがきれいに畳まれて置いてある。それに袖を通して庵へもどると、劉鵬が塗り薬の支度をしているところだった。
いつのまにか、あたりまえのようにくり返されている日常。昼間は里で、夜はこの庵で、他人のために働く。決して楽ではないだろうに、劉鵬はむりをしている様子すら見せずに気の抜けた笑みを浮かべている。
「……………」
竜魔はわざと劉鵬から離れ、囲炉裏の前に座り込んだ。劉鵬はわずかに片眉を上げたが、薬やら包帯やらを乗せた盆を持ってすぐ隣へとやってくる。
その姿に今日はなぜか苛立ちを感じ、竜魔は忌々しげにため息をついていた。
「竜……」
「触れるな」
見える右眼で睨みつけると、一瞬だけ怯んだように手を引く。たいていの人間は、これだけで怖じ気づいてしまうものだ。
「しかしなあ……」
こちらへ伸ばしかけた手の行き場がなくなったのか、困ったように髪をかきまわすが、それほど深刻に困った表情はしていない。
「俺の顔に飽きたか?」
「……ああ。見飽きた」
やつあたりと自覚しながら、ろくに考えもせず彼の言葉に答える。次の瞬間、竜魔は自分の言葉を後悔していた。
「じゃあ、目を閉じていろ」
大きな手が、顔の前に現れる。
敵わなかった。口下手な自分が、舌戦で彼に勝てるわけもないのだ。
「……さっさと済ませろ」
結局、そう言うしかない。うれしそうな劉鵬の顔を見るのも癪で、言われたとおりに目を閉じる。
彼の指がひたいの髪をかき上げるのを感じたときには、もう自分がなにに苛立っていたのかわからなくなっていた。
左顔面の手当てが終わると、促されるままに着物を両肩から落とす。自分では手が届かない部分に薬を塗り込み包帯を巻きなおすのは、彼に任せるしかない。
劉鵬の手が火照ったままの肌に触れ、竜魔はわずかに身を震わせる。
「肩は、きれいになったな。胸も……だいぶ痕が薄くなっている。背中の傷はまだ残っているか……腹のほうは……」
「!」
竜魔は、思わず劉鵬の腕をつかんでいた。後ろから腕をまわしていた劉鵬は、そのまま竜魔を抱きしめるかっこうになる。
「……すまん、痛かったか?」
「……………」
目を閉じたまま言葉もなく、ただ首を横に振る。
劉鵬はそろそろと竜魔の肌に掌をすべらせ、身を寄せてきた。
「竜魔?」
耳元に囁かれる声に呼ばれるように、竜魔は目を開ける。肩越しにふり返ると、すぐそばに彼の顔があった。引き寄せられるように、唇を重ねる。
「……っ」
抱きしめる腕に力がこもる。唇はすぐに離れたが、その腕がゆるめられることはなかった。裸の肩に、彼の頭が押しつけられる。
「劉鵬……」
「すまん……少し、驚いただけだ」
かすれた声はめずらしく揺れている。竜魔はなぜか楽しくなって、劉鵬の頭へ首をあずけた。
「いやか?」
「い、や……いやではない」
竜魔は今まで、自分の優位を誇ったことはなかった。実力や立場の差は厳然たる事実に過ぎず、そこに感情はない。だが、今わき上がる感情は、たしかに劉鵬への優越感だ。それに気づくと同時に、先ほどまでの苛立ちの正体にも合点がいった。
「劉鵬、その顔はもう見飽きた」
「……そうか、悪かったな」
傷ついた様子はない。呆れたような、疲れさえ感じさせる口調だ。
「そろそろちがう顔を見せろ」
「え……」
もう一度、彼をふり返る。無防備に口を開けているかと思った劉鵬は、険しい表情で竜魔を見つめていた。
竜魔を抱きかかえる腕に、今一度力が込められる。
「俺は……そんなにもの欲しそうな顔をしていたか」
「ああ。忍び失格だ」
もちろんそんなことはない。感情を殺すことにかけては、劉鵬は里のだれよりも長けている。憤怒も苦痛も、悲哀や憐憫さえ隠し、普段と変わらぬ顔で過ごすことができる。何気ない笑顔を保つのは、無表情でいることよりも難しい。
だがその完全な仮面が、今の竜魔には耐えがたかった。竜魔を甘えさせておきながら、自分の心は見せない、その距離がもどかしくて苛立たしかった。
「たしかに、失格だな」
劉鵬が呟く。
「皆を平等に案じてやらねばならんのに……一人ばかりが気になって……長兄だから、他の者より重い命なのだからと、自分に言い訳して……」
竜魔は満足して、静かに微笑んだ。
劉鵬の仮面を剥がせたことが、うれしかった。
無言で竜魔の手当てを終えた劉鵬は、気まずさを押し隠した顔で竜魔を布団へと追いやった。
そして自分はこちらに背を向け、囲炉裏の前で火の番をはじめている。そのままの姿勢で朝までうとうとしながら過ごすことを、竜魔は知っていた。
「……劉鵬」
「なんだ」
ふり向きもせず、ぞんざいな声だけが返ってくる。さっきから、目も合わせようとしない。彼らしくもなく照れているようだ。
「こっちへ来い」
「どうした?」
ようやくその顔がこちらへ向けられた。なにか用事があるのだと思ったらしい。
「どこか痛むのか?」
枕元に跪いた劉鵬は、身体を起こそうとする竜魔に手を貸す。背中の傷に優しく手が添えられたのを感じ、竜魔は薄く笑って劉鵬の身体を自分に引き寄せた。
「おい……!」
危うく竜魔の上へ倒れ込みそうになった劉鵬は、片腕をついて己の身体を支える。男一人の上体くらいは難なく支えられるとわかっていたから、竜魔は躊躇もせずその片腕に自分をあずけていた。
「俺がほしいか?」
「な……」
すぐ真上にある顔が、その近さゆえに背けることもできず、ただ狼狽を露呈する。
「ばかを言うな……まだ怪我が……」
「俺なら平気だ。怪我のせいにするな」
焦れったくなって語気を強めるが、劉鵬は乗ってこない。そっと竜魔の身体を下ろし、自分も身を起こそうとする。
「劉鵬」
「やめてくれ……俺は……」
自身の顔を覆おうとする手をつかみ、竜魔は劉鵬をもう一度引き寄せる。
「顔を見せろと言ったはずだ」
「!」
はっとこちらを見据えた顔が、苦しげに歪んでいる。
「竜魔……」
弱々しく呟いたかと思うと、劉鵬は唐突に竜魔をかき抱いて唇を重ねてきた。
急いた様子で無防備な唇に割り入り、舌を絡め取ろうとする。彼らしくもない荒々しさに、竜魔は抵抗も誘惑も忘れ、されるがままになっていた。
「……っ」
息をする間もなかった竜魔は早々に息が上がり、相手の着物をつかんで限界を訴える。自分も肩で息をしながら、劉鵬は竜魔の顔を覗き込んだ。
「俺は……ずっと、おまえを……」
「……ああ」
竜魔は隻眼をまっすぐ相手に向けてうなずく。
「忍び……失格だな」
笑おうとしたのか、泣きたかったのか。劉鵬の表情は、そのどちらをも見せていた。
竜魔が切望した、仮面の下の顔だった。
背中の傷に障ることを案じたのだろう、劉鵬は竜魔をうつぶせに横たわらせた。肩に広がる長い髪がそっとよけられ、露わになった首筋に控えめな唇が触れる。
「痛むところは、ないか?」
硬い指が、着物の生地越しに背中や腰をさすっている。
戸惑っているのだ。二人とも、忍びの業としての色事にはそれなりに経験があるが、おそらく自分のためにその術を使ったことはお互いにない。
「だいじょうぶだ」
「そうか……」
軽く息を吐き出すのが聞こえ、遠慮がちの手が襟や裾から這い込んできた。
「……………」
その手は毎晩、この肌に触れていたはずだ。治りきっていない傷をなぞり、薬を塗り込み、ていねいに布で覆い……その接触に竜魔はいつも息を止め、居心地の悪さを覚えていた。それなのに、手当てが終わるのが名残惜しくてたまらなかった。
「ん……っ」
熱い掌で内股を撫で上げられ、こちらもじわじわと身体が火照ってくる。劉鵬の手が普段触れないところを侵していくたび、これこそが自分の望んでいたものなのだと確信するようになる。
「は……ぁっ」
肩に当たる相手の吐息も、自身の呼吸も、静かに熱を帯びてきていた。
劉鵬の手によって下帯がゆるめられる。脚に絡みついてじゃまだと思いながらも、竜魔はその不自由さえ楽しんでいた。
下着から解放された中心を、優しい指が握り込む。竜魔は声を抑えるため枕に頬を埋め、劉鵬が今どんな顔で自分を愛撫しているかを想像する。怪我の手当てをしているときのように真剣で、しかし竜魔が少しでもふり向こうものなら、すぐにでも笑顔を向けられるように身がまえて……
「くぅ、んっ……」
彼の手の中で硬さを増していく欲望を、竜魔は抑制することができなかった。抑える代わりに、相手も同じところへ引きずり下ろしてやろうと思った。
「劉鵬……」
「……なんだ」
声には余裕の片鱗もない。
「足りん……もっと、奥までよこせ」
ストレートな要求に劉鵬は戸惑ったように動きを止めたが、「わかった」と短く答えると、すでにかたちを成していた自身を着物越しに押しつけてきた。それだけで竜魔の身体はいよいよ燃え上がる。
「ん……ふ……っ」
節くれだった指が内側を押し広げていくのと、待ちきれない彼自身が腰を擦りつけてくるのと、荒い息がさらに近くなるのと……そのどれもが竜魔を煽って追い上げる。その全てが、竜魔の欲していたものだった。あとは……
「竜、魔……っ」
押し殺した呼びかけとともに、彼が侵入してきた。
「……っ!!」
つかの間、なにも考えられなくなる。声を上げることさえ忘れる。
自分の中にあるものが劉鵬だと、自分と劉鵬がつながっているのだと自覚したとたん、身体が震えた。
「……くっ」
最初は遠慮がちに、だが少しずつ勢いを増して、劉鵬が竜魔の奥を穿つ。その衝撃が痛みなのかどうかもよくわからないまま、竜魔の身体は高みへと追いつめられていく。声を殺すことも無意味に思えた。
「ぅっ、ぅあ、あ……」
竜魔は素直に喘ぎながら、布団に爪を立てる。その手に、劉鵬の手が重ねられた。
二人が同時に達するまで、二人の手は重なったまま離れることはなかった。
「……すまん」
息を切らした声が、後ろから降ってくる。
自制を失ったことに対する詫びだろう。律儀なやつだと竜魔は笑みを浮かべる。
「だいじょうぶか?」
心底案じている様子の問いへ答える代わりに、竜魔は身を起こした。すかさず、後ろから肩を支えられる。竜魔はふり向かず、笑みの混じった声で呟いた。
「俺を……愚弄する気か?」
劉鵬が苦く笑うのがわかる。
「そうだな。長兄がそんなにヤワなはずはない」
骨ばった腕がもう一度絡みついてくる。竜魔は首を反らせて相手の肩に頭をあずけた。傷が痛むことなど、気にならなくなっていた。
庵へ朝日が差し込み、竜魔は目を開ける。
朝、目覚めたとき、竜魔はいつも一人だった。劉鵬は空が白みはじめると里へもどり、そして朝餉の時間まで暫しの眠りにつくのだと、以前聞き出したことがある。彼がここにいられるのは……竜魔が劉鵬を独占できるのは、夜のあいだだけなのだ。
ずっと孤独ならば気にも留めないものを、劉鵬は竜魔が昼間の孤独に慣れたころに再び現れる。そして夜の孤独を許さない。朝になるたび、竜魔は孤独に慣れさせてくれない劉鵬を恨み、己の脆弱さを呪った。
だから、一人きりの朝は気が重い。
「……?」
きしむ身体をゆっくりと起こした竜魔の目に入ったのは、囲炉裏の前にうずくまる男の背中だった。めずらしく横になり、寝息すら立てている。
「劉……」
思わず声をかけそうになり、はっと口をつぐむ。
寝過ごしたのか、あえて帰らなかったのかはわからない。どちらにしろ、彼が起きれば明らかになることだ。
微笑みながら、竜魔はわずかに上下する肩を眺める。その肩に日の光が差すまで、もうしばらくは二人の朝を味わっていられそうだった。
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