士/ショウイチ
独裁者
「たとえばだ」
食事を終えてテーブルを拭いていたショウイチは、突然の言葉に顔を上げる。
押しかけてきたくせに片づけの手伝いもせず、当然のように食後のコーヒーを味わっている青年が、指揮者のようにひらりと指を動かした。
「俺が悪の組織の大首領でした……なんていうことになったらどうする」
なにを言い出すかと思えば。
彼が奇妙なことを言うのには慣れていたから、ショウイチも苦笑しながら首をかたむけて、答えを探すふりをする。
「それは困るなあ。おまえを倒さなきゃならなくなる」
結局おもしろくもなんともない返事をよこした相手をちらりと一瞥し、士はテーブルにカップを置いた。
「人間を裏切って俺にかしずく、っていう手もあるぞ」
「その前に八代に殺されるよ」
気の強いパートナーの名を口にすると、予想していなかったのか厚い唇をわずかに尖らせる。彼に従うという答えでなかったせいなのか、自分が代わることのできない彼女の立ち位置に嫉妬を覚えたのかは知りようもないが。
「まあ、ピンクのカメラを提げて人の夕飯時に押しかけてくる悪の首領がいたら、の話だけどな」
もしそうなら、ずいぶんとかわいらしい悪だ。倒すのは気が引ける。
ショウイチは布巾をたたみなおして、立ったまま自分のカップにポットのコーヒーを注いだ。空になっている士のカップにも。
「黒い一眼レフならいいのか?」
「少しも変わってないぞ」
コーヒーをすすりながら、テーブルに頬杖をついている彼を見下ろす。
目線はこちらが上なのに、その上目遣いは少しも媚びず、むしろ傲慢ささえ感じさせる眼光を放っていた。長い手足は、どう置いてどう組んだら凄みのある美しさを見せるか、知り尽くしているようだ。その佇まいが、予告もなく突然訪れるという所行とも相まって、彼を浮世離れした存在にしているのかもしれない。
「……見てくれだけなら、わからなくもないか」
自分が彼に見とれていることには気づかず、ショウイチはマグカップに呟きを落とした。
それを耳ざとく拾った士が、テーブルに身を乗り出してくる。
「じゃあ、今夜はそういう趣向で」
「え?」
目を細めて笑みを浮かべた青年は、たしかに悪の片鱗を見せていた。
小悪魔の悪だが。
「おい、士……」
「大首領さま、だ。敬語は最上級でな」
いつものようにベッドに引きずり込まれたまでは予想の範疇だったが、士の要求はショウイチの想像を遥かに超えていた。
「冗談だろ……」
「俺はいつだって本気だぞ? おまえは改造怪人で、大首領の俺に奉仕するんだ。絶対服従だからな」
長身をベッドに横たえた青年は、当然といった表情でショウイチを見上げている。上に乗っているのだから起き上がってしまえばいいのだが、見かけによらず力強い腕で腰を抱かれていてそれもできない。
「おまえ、ごっこ遊びの延長で俺に……」
それ以上は、とても自分の口からは言えなかった。士が列挙した「奉仕」のうち、ひとつでもショウイチが経験したものはなく、自分がそんなことをすると想像しただけで顔に血が上ってしまう。
「遊びで、そんなことにつき合えっていうのか!?」
「遊びじゃない、本気だって言ってるだろ」
どんなに真顔で言われようとも、ショウイチには悪い冗談にしか聞こえない。
年若い男に抱かれるだけでもきまじめな公務員にとってはかなりのハードルだったのに。戸惑いと、わずかな怒りを込めて、間近にある青年の顔を睨みつけた。
「俺をなんだと思ってるんだ……」
「じゃあ、あんたは俺をどう思ってる」
「え……」
問いに問いで返され、ショウイチは言葉に窮した。
長い腕に抱きしめられ、彼の胸に倒れ込む。動けないほどがっちりとショウイチを捕まえた士は、後ろめたい弁解でもするようにぼそぼそと呟いた。
「おれはこの世界の人間じゃない。だから、ここにいるときだけはあんたを独り占めさせてくれたっていいじゃないか……」
無数の世界を行き来できる彼が、なぜここへ来るのかはわからない。そして、なぜ他のだれでもないショウイチを抱くのかもわからない。だが彼がなにかの手段としてショウイチを求めていることは肌で感じたから、彼を拒むことはできなかった。彼を受け入れたのは、憐憫に近い。
しかし、今この青年から向けられている感情は。そして、自分の中で形を成しつつあるこの想いは。
「あのなあ……気づいてないかもしれんが」
ショウイチはため息混じりに苦笑して、士の顔を覗き込む。鼻先がぶつかり、唇が触れ合った。
「おまえはいつだって独裁者だろうが。俺はとっくに征服されてるよ」
同情や憐憫だけで、傲慢な青年に身体を好きにさせるはずがない。
「ショウイチ……」
だから、刺激的すぎる冗談はやめてくれ……そうつづけると、今まで眉根を寄せていた士はようやく笑い出す。年相応の、無邪気な顔で。ショウイチもうれしくなって、肉感的なやわらかい唇に自分の唇を押しつけた。腹の奥がくすぐったいが、悪い気分ではない。
「それじゃ、シチュエーション変更だ」
士の声に不遜さがもどる。
「もし俺が……年上の恋人を甘やかす世界一優しい男、だったら?」
この世界の守護者を征服する悪の首領は、小悪魔の笑みを浮かべた。
「……もっと困るな」
「それはいい」
囁きとともに、長くかたちのいい指がショウイチの顔をすっとなぞる。思わず肩をすくめた男の頬に、士は甘いキスと睦言を降らせた。笑いながらやめろと言っても、歯の浮くようなセリフは次々に紡がれる。
結局ベッドの上に組み敷かれたショウイチは、かすれた声で小さく呟いた。
「やっぱり、独裁者じゃないか」
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