イブキとあきら

2005_仮面ライダー響鬼,[G]

二 【うねる不安】

 全国には百人以上の鬼がいるのに。
 どうして吉野はぼくをあきらの師匠に選んだんだろう。
 もっとベテランだって、女の人だっている。寄宿舎で集団研修をもう少しつづけてもよかったはずだ。
 弱音や不満だと思われたくなかったから、父や事務局長には理由を深く聞かなかった。なんとなく感じていたところもあった。
 そして今、その感じは確かなものに変わる。
 吉野……いや、あの二人は、ぼくが見ないようにしてきたものに目を向けさせようとしてるんだ。だから、弟子になるにも未熟なあきらを、同じくらい未熟なぼくにぶつけた。
 同じ傷を抱えたぼくに。

「あとはぼくだけでできるから。あきらは待ってて」
 助け起こして、ソファまで連れていって、自分は台所に戻った。
 腕を見ると、引っかかれた痕が細くミミズ腫れになっている。こんなに必死に抵抗するなら、もっとちゃんとした技をかけてきてもいいのに。ぼくの鍛え方が甘いのかな、と思って苦笑する。
 笑うしかなかった。
 あきらがぼくに向かって気持ちを爆発させたのは初めてで、だからぼくもつい兄さんのことを口にしてしまった。お互いに知らなかった顔を見て見られて、次にどうしていいのかわからない。
 今、ぼくから見えないところにいるあきらが勝手に出ていっても、それは仕方がないと思った。いっそ出ていってくれれば、今夜一晩はお互いの顔を見なくて済む。朝になればぼくたちは今夜のことをなかったことにして、いろんな気持ちを腹の底に閉じこめて、またつかず離れずの関係をつづけていくんだろう。今までそうしてきたように。
 どこかでそれを望んでいる自分が許せなくて、唇を噛む。
 あの笑顔まで永遠に封じ込めてしまってもいいというんだろうか、ぼくは。
 シチューをかき回していたおたまを引き上げたら、ステンレスの柄がぐにゃりと曲がっていた。鍋底に押しつけてしまったのだ。話には聞いていたけど、我を忘れて力加減ができなくなるなんてことが、ほんとうにあるとは思わなかった。
 笑おうとしたのに、いつもみたいに顔が動かない。ぼくは無表情でおたまを洗って、曲がった柄を元に戻した。
 あきらは帰らなかった。
 ソファに腰かけて、止まらない涙を拭っていた。
 ぼくは情けない気分でテーブルに鍋を置く。弟子は逃げなかったのに、師匠のほうは逃げてほしいと思っていたなんて。
「食べれる?」
 むりやり作った笑顔は引きつって、自分で笑っている気がしない。
「はい」
 返ってきたのは、見たことがないくらいの笑顔だった。見たことがないくらい、苦しそうな笑顔。
 ぼくも今、こんな顔をしてるんだと思う。涙こそ出ないけど、泣きわめきたいのを噛み殺して、強引に顔の筋肉を引き上げて……。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 シチューの器を受け取ろうとして伸ばされた腕に、赤く指の跡がついていた。
 ごめんね、とぼくが言おうとしたのに気づいたのか、あきらは腕を引っ込めて袖を落とす。ステンレスのおたまを無意識で曲げる男が手加減もしないでつかんだのだ、しばらく消えないかもしれない。
「いただきます」
「……ぃただきます」
 あったかくていかにも家庭的なシチューの匂いが、なんだか場違いだった。
 家族でも友だちでも恋人でもない、この二十一世紀に師弟なんていう変な関係で結ばれてしまった赤の他人同士が、引きつった笑顔をつきあわせて食事をしている。なにからなにまでちぐはぐで、泣き出したくなるくらいおかしかった。
 この光景が少しでも普通に見えるように、ぼくはわざと明るく話しかける。
「けっこういい感じにできたと思うんだけど。おいしい?」
「……はい」
 あきらはうなずいたけど、一口食べては目をこすり、パンをかじっては鼻をすすり、少しも進まない。味なんかわかっていないかもしれない。
「ごめんなさ……ぁたし……」
「ゆっくり食べていいよ」
 シチューもサラダも美味しかった。こんな場にはもったいないくらいに。でもどんなに美味しくても、今はしゃべらなくてすむ口実でしかない。ぼくたちは必死に手と口を動かしていた。
「鬼に……」
「ん?」
 あきらがぽつりと呟く。
「……鬼に、なろうって、思ったんです」
 うつむいた彼女の肩は震えていた。小さい子みたいにスプーンをきつく握りしめて。
「ほんとの、鬼に……」
「……………」
 ほんとの鬼。
 今まであきらが口にした中でも、いちばん怖い響きの言葉だった。
「怖い顔して、楽しいこと忘れて、魔化魍殺して……そしたら、ほんとの鬼になれるって思って……」
「それは……」
 普通、魔化魍を「殺す」とは言わない。鬼は「殺す」ことはしない。「清め」を「殺し」と思った瞬間、鬼になる資格はなくなる。
 あきらだって鬼の家の子、そして今は鬼の弟子だ。そんなことは言われるまでもなく知っている。それでも、そう言わずにはいられない憎しみを抱えている。
「まちがってるのはわかってるんです! でも……」
 あきらは唇を噛んで、ぼくをちらりと見た。いつもみたいに睨むんじゃなく、どこか怯えたような目つきで。
「イブキさんの中にも、いるんですね」
 鬼が。
「……………」
 兄のことを口にしただけで笑えなくなってしまうぼくの中に、あきらは鬼を見たんだろう。あきらが思う「ほんとの鬼」を。
 兄が死んで以来、兄について考えることも自分に禁じてきた。ぼくは兄の死を乗り越えたんじゃない、見ないふりをしつづけてきただけだ。今のあきらとなにもちがわない。
 おかわりをしようと鍋に手を伸ばしたあきらの手首には、痛々しい指の跡がくっきりと残っている。ぼくは思わず目をそらしていた。それはまちがいなく、ぼくの中にいる「鬼」の爪痕だった。
「シチュー、美味しいですね」
「うん……」
 二人とも、引きつった顔で微笑み合うことしかできない。それからはほとんど会話もなかった。後片づけもいつものキャンプ以上に無言だった。
「帰るの?」
「はい。明日も学校がありますし。宿題して、お風呂入らないと」
「そうだね」
 帰るといっても徒歩十秒。こんなに近くにいるのに、たった一枚の壁がぼくたちを遠ざけてきた。今ここでまた壁の向こうに彼女を追いやったら、こんなに近づくことはもう二度とないかもしれない。
「あきら」
 玄関のドアに手をかけた彼女がふり返り、無表情で見上げてくる。見慣れたこの顔のほうが、今は逆に安心できるのが哀しい。
「ええと、年ごろの女の子にアレだと思うけど、あきらは女の子あつかいされるのがイヤだから、女の子だと思わないで言うね」
「はい?」
「あのね、あきらはここの合い鍵持ってるでしょ。それって、いつでもここに来ていいってことだから。ごはん食べても、テレビ見ても、宿題しても、泊まってもいいよ。ベッドでもソファでも好きなとこで寝ていいよ。だってほんとはいっしょにいるのが普通なんだもん、師弟って」
 お互いにいろんなことを話せるようになるまで、どれだけ時間がかかるか見当もつかない。あきらの傷を癒すどころか、ぼくも傷だらけになってしまうかもしれない。でもまずは、いっしょに過ごすことからはじめよう。かたちからでも師弟をやりなおしていこう。
「……………」
 魔化魍と戦うこと自体は今さら怖くない。鬼に変わる瞬間の痛みだって、人が驚くくらいの大怪我だって、とっくの昔に慣れた。それを恐怖の克服とか勇気だとか言うのはかんたんだ。でも、こっちをじっと見上げる女の子の返事を待つことが、こんなに怖くて勇気のいることだって、ぼくは今の今まで知らなかった。
「……ね?」
 自分で思っていたより、ぼくは臆病だったみたいだ。黙って待っていることもできなくて、怖いときのくせでまた笑ってしまう。
 そんな臆病な師匠を、弟子は見捨てなかった。
「ありが……」
 ありがとうございます、と言おうとしたあきらは、またのどを詰まらせて顔を覆う。一度あふれた涙は、すぐには止まらない。
「お風呂、入ったら、また来ていいですか」
「うんいいよ」
「宿題、わかんないとこ、聞いてもいいですか」
「それはダメ」
 あきらは泣きながら笑った。
「早いです」
「だってわかんないもん」
 その夜、ぼくは中学校三年生(正しくは二年生の復習)の数学に泣いて、そんなぼくにあきらは笑いすぎて泣いた。あきらとこんなに大騒ぎしたのは初めてだ。
 二人ともわざとらしいくらいに笑って、はしゃいで、鬼の話も家族の話もしなかった。
 楽しかったけど、楽しいとは言わなかった。
 ぼくたちは、あの瞬間を怖がっていた。

 生まれて初めて、「鬼」を怖いと思った夜だった。

 兄が……先代の威吹鬼が死んだのは、魔化魍から弟子のぼくをかばったときに致命傷を受けたからだった。兄は集中治療室で息を引き取ったそうだ。骨折して別の病室で半分昏睡状態だったぼくは、兄の死に目に会えなかった。
 あってはならないことだけど、どんなに気をつけて動いていても、命に関わる事故は起こってしまう。
 あきらの家もそうだった。
 天美家は和泉家と同じく鬼を継ぐ家で、あきらはそこのひとり娘だった。あきらが将来なにになるつもりだったのか、ぼくは知らない。でも、物心つく前から周りには猛士の人がたくさんいただろうし、現場にも連れていってもらっていたというのは聞いている。
 あるとき、二体の魔化魍が出たという情報で、天美一家は現場へ向かった。大物だけどベテランの鬼二人がかりで倒せないはずがなかった。ところが、遭遇した魔化魍は三体。情報よりも成長していた。両親はあきらを逃がして魔化魍に立ち向かった。
 猛士に通報して他の鬼を呼んだのは、あきらだった。

 今回の相手はオオヘビ。
 ちょうど近くで調査していたバンキさんがヘルプに来てくれた。あきらは他の鬼といっしょの現場は初めてだ。
 バンキさんはぼくよりも背が高くて、身体も厚い。眼鏡をかけた顔も冷たい感じがするから、ちょっと見には怖そうに見える。でもほんとうは関東一の知性派で、とても静かな人だ。同じ眼鏡をかけていても、短気なダンキさんとは大ちがい……なんて言ったらダンキさんに怒られるけど。
 無口なバンキさんと、無口なあきら。気まずいというほどではないにしても、なんだかおかしな感じがして、やっぱりぼくは笑ってしまった。
「なにがおかしいんですか」
「えへへ、なんでもありませんよー」
 でも笑ってばかりもいられない。
 ディスクの音を聞いていたバンキさんが、はっと顔を上げる。
「……当たりですか」
「はい。思ったより近いですね」
 バンキさんは手早く車から音撃弦の刀弦響(とうげんきょう)を取り出す。ぼくも急いで準備をして、ふとあきらを見た。
「あきら? だいじょうぶ?」
 なんとなく顔色が悪いような気がする。体調がよくないのかな。
「なんでもありません、だいじょうぶです」
 バンキさんも身をかがめてあきらの顔を覗き込んだ。男前のお兄さんに強がっているのか照れているのか、あきらは肩をすくめて目をそらす。
「もしかして……ヘビきらいなの?」
「ちがいます。ほんとうにだいじょうぶですから」
「なら、いいけど……」
 そう、あきらはヘビくらいで悲鳴を上げたりしない。毒のないヘビなら、テントに迷い込んできても手づかみで放り出せるくらいには慣れている。だからぼくもヘビとは関係ないと思った。
 体調が悪いと誤解してでも、置いていくべきだったのに……。
 人間なんかいるはずもない森の中で、ほとんど裸同然の、青白い顔をした男女が立っている。姫と童子だ。
「二匹とも我が子の餌にしてくれる……」
 ぼくが音笛を出したのと同時に、バンキさんは腰のディスクを一枚起動させて、そのアカネタカに外した眼鏡を託す。アカネタカが眼鏡をくわえて離れると、手首の音弦が鳴り響いた。
「鬼めぇ……」
 ぼくたちが姿を変えるように、姫と童子の身体も白い鱗に覆われていく。
 鬼と魔がぶつかり、硬い音と火花が散った。
 ぼくが童子を、バンキさんが姫を。五分もしないうちに、断末魔の悲鳴が木々のあいだに響きわたった。手応えがなさすぎる。
「……弱ってましたね」
「まずいですね。かなり育ってるんじゃ……」
 姫と童子は、自分たちの命をすり減らして「我が子」に餌を与えつづける。彼らが弱っているということは、それだけ魔化魍が大きく強く成長しているということになる。
 鳥が飛び立った。地面が震えはじめる。これは……。
「バンキさん……」
「ええ」
 ぼくたちはそれぞれの武器をかまえた。
「あきら、もっと離れて!」
 ずるずると重そうに引きずる音とともに、木々のあいだからオオヘビが現れた。やっぱり予想より大きい。
 白くぬめる長い胴に、角がついた獣の頭。トカゲみたいに小さな足が、前にだけついている。身体を支えるためじゃない、餌を引き裂くための「手」だ。
「イブキさん!」
「あきらを、お願いします!」
「わかりました!」
 うねる身体はそれほど素早くはないから、標的としては難しくない。ただ、この鱗がなかなか手強くて……。
 真っ赤な口が迫ってきた。ちょっと危険だが、これはチャンスだ。
 その口の中に自分で飛び込む。そして飲み込まれる前に、喉の奥から魔化魍の頭蓋を撃ち抜く。オオヘビは暴れるひまもなく、木っ葉となって砕けた。
 鋭い牙にさえ触れなければ、いちばん確実に相手を倒せる。ほんとうは弦の鬼が得意とする戦法で、距離を取って攻撃する笛の鬼はあまりやらない方法だ。とくに外がまったく見えなくなるから、弟子やサポーターが近くにいるときなんかは使えない。
 今日はバンキさんがいたから、あきらを気にせず戦えた。お礼を言わなくちゃ、と思ってふり向く。
「……あきら?」
 バンキさんの腕の中で、あきらがぐったりと倒れていた。眼鏡をくわえたアカネタカが、二人の頭上を心配そうにくるくると回っている。
「どうしたんです?」
 駆け寄ると、あきらを抱いたバンキさんが立ち上がった。
「オオヘビが現れてから、震え出して……イブキさんが飲まれたときに悲鳴を上げて、それから倒れちゃったんですが……ヘビがきらいなんていうレベルじゃなかったですよ」
「ヘビ……そうか!」
 どうして気づかなかったんだ。
「バンキさん……去年の秋田のタツコ事件……知ってます?」
「確か……一度に三体出たんですよね。四人がかりでやっと退治したとか……でも二人は亡くなって……」
「その二人が、あきらのお父さんとお母さんだったんです」
「それは……」
 タツコは東北限定の魔化魍で、オオヘビによく似ているという。それをすっかり忘れていたぼくの責任だ。バンキさんみたいに頭の中にデータベースが入っている必要はないかもしれないけど、あきらに関することくらいは覚えておくべきだった。
 濡れた目元を拭おうとして思わず出した手を、はっと引っ込める。鬼の手で触ったら傷をつけてしまう。立ちつくすぼくを、バンキさんが心配そうな顔で覗き込んだ。
「事務局には、おれが行って報告します。イブキさんは、あきらくんを早く連れて帰ってあげてください」
「……すいません、お願いします」
 ぼくは気を失ったあきらの身体を抱え、バンキさんはアカネタカから眼鏡を受け取って、急いでベースキャンプにもどった。

 家に帰って、あきらはほとんど倒れるように寝ついた。でもずっとうなされている。
 ほんとうは寝ないで付き添っているつもりだったんだけど。でもぼくも鬼になって戦った日だったから、睡魔には勝てなかった。いつのまにかあきらのベッドの足下で、毛布にくるまって眠ってしまっていた。
「いたっ」
「イブキさん?」
 肩を踏んづけられて目が覚める。あきらがびっくりした顔で見下ろしていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! でもなんでそんなとこに……」
「ああ……おはよう……元気?」
 カーテンの隙間から朝日が差している。もう朝か……。
「元気です……けど。あの、ベッドどうぞ」
「あー、うん……」
 鬼になるのはとても体力を使う。いちばん確実な体力回復方法は、とにかく眠ること。新人は丸一日から二日くらい眠りつづけることもある。ぼくはさすがにそういう時期は過ぎたけど、それでも十二時間は必要だ。
 ぼくはあきらの体温が残るベッドに潜り込んで、また眠りについた。
 次に目が覚めたとき、部屋は薄暗かった。携帯電話にメールが二件。バンキさんとあきらから。あきらは学校に行ったらしい。気力も体力も限界のはずなのに……。
 でもそろそろ帰ってくるころだな、と思って、ここの台所を覗く。今日はあきらの当番だから材料はあるほうだ。
 学校から帰ってきたあきらは、ぼくがまだ部屋にいるのを見てびっくりしたみたいだった。それ以上に、小さな黄色いエプロン(この前あきらに買ってあげたのだ!)をつけているぼくが衝撃だったみたいで、しばらく声を出さずに笑っていた。
「来週の土曜日、ちょっと出かけない?」
 結局二人で作ったごはんを食べながら、さりげなく切り出してみた。オオヘビの話は避けることにして。
「修行ですか?」
「ううん、遊びに。バンキさんと約束してるんだ。あきらもどうかなって」
「私は……」
 あきらの気晴らしに、と誘ってくれたのはバンキさんだ。でも二人ともどこに行くとかいうアイデアはぜんぜんなくて、なぜか遊園地に落ちついた。
「あきら……もしあきらが来ないとね、ぼくとバンキさんは男二人で観覧車とかジェットコースターとか乗ることになるんだよ。ちょっとさびしい光景だと思わない?」
「……ずるいです」
 箸と茶碗を持ったまま、あきらは笑った。

 そして当日。
 ぼくは、バンキさんのがっしりした胸にもたれかかっていた。気分が悪い。でもぼくを支えているバンキさんも、顔色はよくない。
 あきらがふしぎそうな顔でぼくたちを見上げる。
「ジェットコースター、苦手なんですか?」
「……そうみたい」
 あんなに怖いモノだとは思わなかったんだ。バンキさんは初めてじゃないって言ってたけど、それでもやっぱり苦手みたいだった。
 ぼくたちはお互い支え合ったまま、よろよろとベンチに座り込む。
「空飛ぶ魔化魍に手放しで乗って、攻撃までしちゃう人が?」
 ちょこんとぼくたちの隣に座るあきらは、少しも疲れていない。
「だってほら、あれは身体を固定されてないから。それにいくら魔化魍だって、あんなスピードは出ないよ」
 ぼくの肩に頭をあずけていたバンキさんも苦笑いする。
「あー、おれもバケガニの上から飛び降りるのはだいじょうぶですけど、椅子に座ったままで落とされるのは怖いですね。変身もしてなくて生身ですし」
「ですよねー?」
 だらしない男二人を見て、元気な女の子がくすっと笑う。
「私、なんか飲むもの買ってきます。なにがいいですか?」
「ありがと、ぼくはお茶系……」
「おれも同じものでいいよ」
 売店のほうに走っていくあきらを見送って、ぼくたちは顔を見合わせる。
「……つき合わせちゃって、すいません」
「いいですよ。女子中学生と遊ぶ機会なんてレアですから」
 白い歯を見せて笑うバンキさんの顔は、ぜんぜんタイプのちがう彼のお師匠さんにどこか似ている。関東支部ではいちばん歳が近い彼だけど、どっちかっていうと優しいお兄さん、っていう感じだ。見た目のわりには物腰も柔らかいから、あきらもすぐに慣れたみたいだった。
 ちょっと休憩したあと、絶叫マシーン系を避けておとなしめの乗り物をまわる。小さな子どもたちに混じってコーヒーカップやミニSLなんかに向かうぼくたちを見て、あきらはずっと笑っていた。
 その笑顔を見られただけでも、来てよかったな、と思った。
 遊園地の中にあるレストランで食事をしながら、ぼくとバンキさんが仕事の愚痴で盛り上がっていたときだ。
「……バンキさんは、どうして鬼になったんですか?」
 控えめに、でも真剣な声で、あきらがそう言った。
 それまで大学の授業に出るのがたいへんだっていう話をしていたバンキさんは、目を丸くして、それでもあきらに向けて笑顔を見せる。
「おれの家も猛士でね。子どものころから家によく来てた鬼の人にあこがれて……ってつまんない理由でごめん。おれ、子どものころから単純で……」
 でも、そのあこがれの鬼にほんとうに弟子入りしてしまった子どもは、そんなに多くないんじゃないかな。
「でも、学校と両立させてまで鬼になったんですよね?」
 今、あきらは中学校の勉強と弟子の修行を同時にやっている。それがとてもたいへんなことだっていうのは、ぼくもよく知っていた。
 バンキさんは、それを中学・高校・大学と今もつづけている。そんなたいへんな思いをしてまで鬼になるには、相当な理由があるはずだ、ってあきらは思ったんだろう。
「それだけあこがれが強かったってことかな。鬼っていう仕事と、それを教えてくれた人に」
「バンキさんは、サバキさんのこと大好きですもんねえ」
「あの、イブキさん……ちょっと語弊が……」
「えー?」
 弟子はみんな自分の師匠を尊敬していて、師匠は弟子を溺愛しているものだけど、バンキさんと師匠のサバキさんは、ぼくが見た中でもダントツだ。お互い照れたりもしないから、独立した今でも羨ましいくらいに仲がいい。あ、最近ザンキさんと戸田山さんが追いついてきたかな……。
「おれは鬼の仕事が好きで、もっとみんなの役に立つために、大学でも勉強してるんだよ。たいへんだけど、どっちもやりたいから」
 バンキさんはそう言ってコーヒーを一口飲んでから、首をかしげてあきらと目線を合わせる。
「あきらちゃん……勉強はどう?」
「……ちょっと、キツイ感じです。成績下がっちゃうのって、仕方ないですよね」
「あはは、ぼくがぜんぜん役に立たないから」
 もちろん二人とも否定なんてしない。基本的に鬼は体育会系だから、学校の勉強ができないのがあたりまえみたいなもんだけど、ぼくはとくに、高校の先生に怒られるくらいダメだった。仮にも宗家の跡取りが卒業試験の追試を二度も受けるとは何事か、だって。
 そんなぼくの恥ずかしい過去も知っているバンキさんは、おかしそうに笑ってぼくのほうを見る。
「あの……おれでよかったら、あきらちゃんの家庭教師やりましょうか?」
「ほんとですか? ……あきら、どうかな?」
 あきらは目を丸くしてぼくたち二人を見比べ、それから目線を落として小さな声で言った。
「……イブキさんの部屋で、やってもいいですか?」
 ぼくとバンキさんは思わず顔を見合わせる。
 首をかしげかけたぼくに、バンキさんが「イブキさんがいればっていう条件つきなんですよ」と小声で囁いた。それが聞こえたあきらは、さらに肩をすくめてうつむく。
「あっうん、いいよいいよ。ぼく、お茶でもごはんでもなんでも出すよ。なんならバンキさんちでも同じことやるよ」
「それじゃあ、授業料はイブキさんのごはんで」
「……よろしくお願いします」
「イブキさんのごはん、おいしいですからねえ」
「そうですかー? そう言ってもらえるとぼくもうれしいです」
 ぼくたち二人がはしゃぐのを見て、あきらの顔もちょっとだけゆるんでいた。

 その日、マンションの駐車場で、バイクから降りたあきらがぽつりと言った。
「イブキさんも、バンキさんも、鬼の仕事が楽しいんですね……」
「……………」
 命懸けで、だれも知らない化け物と戦う。普通の生活をしてたらまずないような痛みも怪我も毎度のことだ。助けた人にお礼を言われることだってめったにない。お給料は、普通の会社員から見れば破格らしいけど、それを使うひまだってほとんどない。
 それでも。
「楽しいよ」
 あきらの目を見つめる。
「だれかの命をぼくが守ってるんだって思ったら、やめられないじゃない。もっと多くの人を守ろうって欲が出る。それが鬼の仕事の楽しさだと思うんだ」
「……私にできるでしょうか」
「できるようになるために、ぼくのところにいるんだよ」
「……はい」
 ぼくたちは部屋にもどるまで無言で、それから作り笑いをしておやすみを言うと、それぞれの部屋に帰った。
 楽しく遊んだ休みのはずなのに、なんだかとっても疲れた。立っているのがだるくて、ソファに寝ころぶ。
「……楽しい、かな」
 天井を眺めながら独り言。
 楽しいっていうのは、やっぱりちがうかもしれない。つらいことや苦しいことのほうが多い。ぼくだって、人を助けられなくて、魔化魍を倒せなくて、悔しい思いをしたことが何度もある。
 それでもぼくは鬼だから、どんな現場にも行くしどんな魔化魍も倒す。
『できるでしょうか』
 できなきゃ、鬼にはなれないんだ。
 個人的な理由で魔化魍にこだわっていたら、鬼の仕事はできない。

 オオヘビは、笛の鬼の担当だ。
 もしあきらが鬼になって秋田に帰ったら、タツコはいちばん多く出る相手だろう。その相手に、憎しみを持って戦いつづければ……。その先にあるものを、今のあきらは知っている。鬼の弟子なら、知っていなければならないことだった。
 恨みや憎しみに心を支配された鬼は、魔へと転じる。魔化魍と同じところまで堕ちる。人の心を持つぶん、人ならぬ魔化魍よりもおそろしい。そうなってしまったら、その鬼が人にもどることはできなくなる。魔化魍のように清めてやることでしか救えない。
 魔に堕ちた鬼を祓い清めるのは、その鬼の師。それを手伝い見届ける「鬼祓い」が、宗家の裏の役目でもある。
 あきらが堕ちたら……清めるのはぼくだ。
 鬼を……人を清めたことはない。この先ずっと、永遠になければいいと思う。
 でも、あきらには単なる知識でしかないようだった。鬼祓いの話をしたときも、無表情に言ったのだ。
「私が魔に堕ちたら、イブキさんに殺されるんですね」
 まるで、それはそれでかまわない、というような口調で。
 あきらにとってはまだ、「清め」は「殺し」と差がないのも怖かった。いくら口で「憎しみを捨てろ」と言っても、そんなかんたんに切り替わるスイッチはない。じっくり時間をかけていくしかない。ヒビキさんの言うとおり。
 まずはバンキさんと仲良くなってもらおう。たちばなの人たちとも。ちょっとずつでも周りが見えてきたら、世界も変わるはずだ。
 だいじょうぶ、ぼくは気が長いほうだから。
 あせらないでゆっくりあきらを導いていこう……。

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