キョウリュウ詰め
201305緑黒
201305緑黒
『…おれ、最低だ』
ソウジは恐怖に満ちた目で、イアンを凝視していた。
彼はその瞳に愉快の色を浮かべて、ソウジの細い首を掴む。じわじわと食い込んでくる指に殺意はない。楽しんでいるだけだ。
「く……」
錆びた配管に手首を縛りつけているネクタイは、どうあがいてもほどけそうにない。脚はイアンが自重で押さえつけている。
「殺るなら早く殺れば?」
悔しまぎれにそんなことを言ってはみても、小馬鹿にしたような笑みを見せつけられただけだった。
「当然。ヤるつもりで連れてきたんだ」
首を絞め上げていた手が、ゆっくり撫で下ろされる。鎖骨をなぞられ悪寒が走った。手はシャツの中へ入ろうとして、苛立たしげにじゃまなボタンを引きちぎる。
「……っ」
恐怖に上げそうになった声を、必死に押し殺す。シャツの下の肌をゆるやかに犯される感触にも、唇を噛んで耐えた。それに気づいたイアンが、ソウジの口元を舐め上げた。
「!!」
身をすくめ、不快さをこらえる。彼は歯と舌を使って侵入を試み、ソウジは血が滲んでも唇を噛みしめるしかなかった。
そうしているあいだにも胸や腹を撫でられ、何度も力が抜けそうになった。シャツをはだけさせられ、汗で濡れた肩が外気の冷たさに震える。寒さなのか、嫌悪なのか。自由のきかない両手を握りしめ、ソウジは必死に身体の震えを止めようとした。
「楽しもうぜ、ボーイ……」
ベルトが外された。脚は相変わらず動かない。
怖い。逃げたい。頭の中はそのふたつの感情しかなかった。彼の行動の理由を解明するだとか、反撃のチャンスを窺うという考えすら起きず、ただ闇雲に拘束された腕を動かすことしかできなかった。
怖い。嫌だ。
だれか助けて……!!
心の叫びに答えるかのように、壁が壊される派手な音がした。
暗い廃墟の奥に光が差し込む。
「ソウジ!!」
世界中の人間を一瞬で安心させる、リーダーの声が響きわたる。
目の端に捉えた色は、赤と青とピンクと……そして黒。
最初からわかっていた。
ここにいるのが、彼なはずはない。
ソウジは目の前の偽物が狼狽え醜悪な本性を表すまで、そして本物の彼が引きつった表情で駆け寄ってきて戒めを解くまで、瞬きもせず全てを見つめていた。
イアン・ヨークランドは行きつけのファミレスで、ぼんやりと無為な時間を過ごしていた。
ウエイトレスがコーヒーのおかわりをつぎにくる。
「めずらしいのね、一人なんて」
彼女は小声でそう話しかけてきた。ここではいちおう店員と客の関係だ。
「ん……」
「ソウジくんなら今日も来てないわ」
アミィは悲しげに眉を寄せ、そして席を離れていく。明るい笑顔が取り柄のウエイトレスも、ここしばらくは元気がない。
イアンの偽物にソウジが襲われたのは先週のことで、幸い大きな怪我はなかったが、精神的なショックについては全員が口にするのも憚られるほどあきらかだった。とくに助けられた直後の彼が、イアンに対して露骨な拒絶を見せたのは、不思議でもなんでもない。
偽物はイアン自身が倒した。そうでもしなければ怒りが収まらなかった。だが敵の存在が消えても、傷は消えない。
最年少の彼が被害者でなければ、敵の姿がこの自分でなければ、これほど尾を引かなかったのだろうか。
イアンはため息をついてコーヒーを飲み干す。
店を出たところで、見慣れた制服が目にとまった。その表情から、イアンが出てくるのを待っていたのだと察した。
「もう、だいじょうぶなのか?」
彼は無言でうなずく。
「むりはするなよ。ボーイがいやなら、おれはできるだけ顔を合わせないようにする。おれ以外のだれかに相談するのもいい。みんなちゃんと話を聞いてくれる……」
言葉を切ったのは、不意に袖を掴まれたから。
「ちょっと……つき合ってよ」
「ん?」
腕を引かれるまま連れていかれたのは、立風館道場の裏山。
その竹林はソウジだけの修行場だった。
「どうした」
いつものように木刀を持っているから、訓練につき合えということかもしれない。
敵と同じ顔と戦って乗り越えるのもありか、と妙に納得する。
ソウジはイアンの前に立つと、稽古のときのように静かな深呼吸をした。
「ボーイ……」
「動かないで」
真剣な顔が近づいてきて、口と口がぶつかる。不器用なそれはほとんどクラッシュ事故で、一瞬攻撃されたとしか思えなかった。
彼はそのままぎこちなく抱きついてくる。
「おい……」
突然のことに言葉も出ないイアンを、ソウジはきつく抱きしめた。
「あれはイアンじゃなかった。それはよくわかってる。だから、イアンが怖いとか嫌いとか、そんなことないんだ」
「……ああ」
そんなことは承知している。
しかし理屈とは無関係に動くのが感情というもので、ソウジがイアンを拒むのもまた仕方がないこと。そう、頭ではみんなわかっている。わかっているから、当事者にはなにも言わない。言葉や理屈で解決するものではないから。
だが大人の配慮まで考えない彼は、まっすぐに言葉をぶつけてきた。
「だからもうそんな顔しなくていいよ」
「おれが……」
どんな顔をしていたというのか。
呆然と、彼を見下ろした。
ソウジが抱えていたのは自分自身の傷だけではなかった。しかもそれに気づいてやれなかった。
「……ごめんな、ボーイ」
そっと抱き返すと、彼の身体が小さく震える。密着した身体には、小刻みな震えも不規則な呼吸も、彼の動揺が全て伝わってくる。彼の中には確実に恐怖が残っていた。
「……………」
イアンは自分に対して怒りを覚えた。
年若い仲間一人、救えない。だれが大人だ。少なくとも目の前の彼に対しては、大人ぶる資格はない。
「ボーイ」
ソウジの肩に手を置いて目を合わせた。彼から見た自分も、こんな顔をしていたのだろうかと思う。情けなくて涙も出ない。
彼を安心させるために笑顔を作る。どんな氷の美女も溶かす、最終奥義だ。
「偽物なんか忘れろよ。本物がいちばんだぜ」
ほら、笑った。
唇をそっと、かすめる程度に触れさせる。
ソウジが息を止めた。震えも止まった。
「本物なら……いいか?」
わずかに頭が動き、同意を示した。
今度は軽く押しつけてみる。次はついばむように……少しずつハードルを上げていく。だんだん濡れた音が混じるにつれて、彼の手が縋るようにジャケットを掴んだ。
「……っ」
舌先が触れたときにはさすがにおののいた様子だったが、辛抱強くやり方を教えてやると、彼のほうからイアンの首を抱き寄せてきた。
「んぅ……」
さっきのクラッシュ事故の犯人とは思えない。荒々しく貪ったかと思うと、ふっと引いて甘えを見せる。熱い吐息も喉の奥から洩れる声も、誘い込んで獲物を食らう獣の爪に等しい。イアンは早々にリードを放棄し、彼の奔放さに身を委ねた。
もう二人とも、不安や恐怖に震えてなどいなかった。
「ぁっ……」
どちらが先によろめいたのかわからない。
抱き合っていたせいで受け身もとれず、二人は落ち葉が積もる地面に倒れ込んだ。
仰向けに倒れたイアンは、瑞々しい新緑をバックにこちらを覗き込んでくる顔を見上げた。逆光でも、濡れた唇が光っているのと、その顔が苦しげにゆがむのは見てとれる。
「イアン……おれ、最低だ」
彼はそこで言葉を切ったが、イアンにはその先の想像がついた。
ソウジを苛んだ敵の醜い欲望が、今は自分自身の中にあるという葛藤だろう。
その程度ならだいじょうぶ。ちゃんと導いてやれば乗り越えられる。
「おれにしてみれば、『最高』だけどな」
ようやく、彼に対して大人ぶることができそうだ。
イアンは目を細めて微笑み、無言で再びの口づけを要求した。
ザクトルが全部見てます。
作成日: 2013年5月26日(日) 12:31
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