劉鵬/黒獅子

2007_風魔の小次郎,[R18]

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喪失の巻

……弱くなったか?
久々の手合わせで直感的に思った。
手加減しているわけではない。本気なのは伝わってくる。悪あがきにも近い必死さで、彼は向かってきた。だがその動きにはなにかが足りない。その「なにか」の正体がわからないまま、劉鵬は黒獅子を投げ飛ばしていた。
「……っ!!」
畳に沈められた黒獅子は、呆然と目を見開いている。その表情が表す当惑が、劉鵬には理解できた。以前とはちがう……そう感じたのは劉鵬だけではなかったらしい。
手を差し伸べたが、彼はその手を取らなかった。ただぐったりと四肢を投げ出して、天井を仰いでいる。
「黒……」
劉鵬の呼びかけを拒絶するように厳しい双眸がふっと閉じられたとき、なぜか心臓が跳ね上がった。
「今夜は……終わりにしよう」
劉鵬は自分の目が泳いでいるのを自覚しながら、足早に道場から逃げ出した。

二人で白鳳学院の柔道場に忍び込んだのは、ちょっとした悪戯心からだった。
他愛もない会話から生まれた、くだらない思いつき。常に「分別のある大人」であることを求められる劉鵬と、同輩と「つるむ」ことを知らずに生きてきた黒獅子にとって、そのばかばかしさはひどく新鮮だったのだ。
わざわざ道着まで用意して、今一度「真剣勝負」を。あの最初で最後だった対峙の高揚感を再び共有できるはずだった。
だが……
柔道部の部室で、劉鵬は帯をほどいたまま立ちつくしていた。自身から立ち上る汗の匂いが意識に引っかかりながらも、その場から動く気が起きない。動いたら、懸命に働かせている頭から、思考がこぼれ落ちてしまうとでもいうように。劉鵬は視線の先にあるロッカーの扉を睨みつけながら、違和感の正体を見極めようと先ほどの試合を反芻していた。
少しして背後でドアが開いたが、それでも劉鵬は動かなかった。黒獅子が重い足どりで廊下を歩いてくるのは意識の片隅で認識していたから。
「まだ着替えてねえのか」
「ああ……」
声をかけられ、ようやく上着から腕を抜く。だがなにひとつ結論めいたものは出ていない。ふり返って相手の顔にそれを見出そうとしても、気怠い無表情からは疲れしか読みとれない。
黒獅子も上を脱ぐとそれを床に放り投げ、自分も床に倒れ込むようにして転がった。
そして、ぽつりと呟く。
「ふぬけちまったな……」
その姿を見下ろしたとき、劉鵬に再びその感覚がよみがえった。
「……!!」
頭に血が上るのを制御しきれず、思わず目の前にあったロッカーの扉を殴りつける。
「あ……」
しまった、と思ったときには、長方形のはずのスチールが情けなく歪んでいた。一気に現実にひきもどされた頭に、白鳳の若き総長や柳生の師範役、弟たちに隻眼の長兄の顔までもが光の速さで明滅する。
「やっちまった……」
「どうした?」
劉鵬が見せた理由のない粗暴さに、驚いた黒獅子が肘をついて身体を起こしかけていた。
「すまん」
いつもどおりの困った苦笑を浮かべ……今はほんとうに困惑しているのだが……劉鵬は長身の横にひざをつく。そのまま手も床につけば、言葉どおり謝罪の姿になるだろう。
「なんだよ……てめえらしくもねえ……」
再び床の上に金髪が散らばるのを眺めながら、劉鵬は半分上の空で返事をしていた。
「……そうかもな」
ゆっくり上下する厚く白い胸の上に、銀の十字架が投げ出されている。
身を乗り出して、裸の肩を掴んだ。
「劉……」
こちらを向いた目が大きく見開かれるのを確認する間もなく、唇を重ねる。黒獅子はわずかに息を止めたが、すぐに応えて唇を開く。こうして劉鵬から仕掛けることはそう多くなかったが、初めてでもない。だからそこには不審を抱かなかったようだ。
「ん……」
歯をなぞり、上あごをくすぐり、劉鵬の舌は黒獅子をなだめるように入り込んでいく。彼も絡む舌の感触をうっとりと楽しんでいる様子が、切れ切れに洩れる喘ぎから伝わってきた。
口づけで黒獅子をあやしながら、汗に濡れた肌を掌で撫で下ろす。
「……おい……」
息を継ぐたび、彼がなにかを言いたがっているのはわかっていた。だが、今はどんな疑問も揶揄も聞きたくはない。言葉を発する隙を与えないよう、劉鵬はその攻勢をやめようとはしなかった。
胸で胸を押さえつけるまではよかったが、下穿きに手をかけると、さすがに肩を押しやられた。案の定、こちらを見上げる表情は険しい。
「おまえ、どうした……?」
「……さあ」
その問いにはどう答えたらいいのか。自分で自分の感情がわからない、などということでもないが、理路整然と言葉にできるほどにまとまっているわけでもない。だから劉鵬は、肩をすくめて苦笑してみせるしかなかった。
「だいたいこの状況、おまえが俺を……」
言いかけた黒獅子の顔が無防備に驚きを表す。ようやく劉鵬の意図に思い至ったらしい。床に押さえつけられた長身の青年は、あまりにも予想外だったのか抵抗すら忘れていた。この調子では、経験があるかどうかも怪しい。
念のため、鼻がぶつかりそうな距離で覗き込みながら訊いてみる。
「夜叉に……房中の訓練はないのか?」
「ボーチュー? なんだそりゃ……」
言葉すら知らないのならば、口で説明しても仕方がない。劉鵬は苦笑して、もう一度濡れた唇を触れ合わせた。
「じゃあ、教えてやる」
「はぁ……?」
なにを言っているのか、全くわからないはずはないと思う。ただ、想像力が追いつかないのだろう。
何度か彼に抱かれ、そのやり方が女を相手にするそれだというのは気づいていた。彼は相手にかかわらず常に「男」だったのだ。そして、それゆえに……
劉鵬はまとまりかけた思考が再び拡散していくのを自覚しながらどうにもできなかった。意識は熱くなる身体に集中しはじめていて、のんびりと考え事などさせてくれない。
「劉鵬……っ」
苛立った、しかし哀願するような声が呼ぶ。劉鵬は衝動に突き動かされるまま、硬い床に黒獅子を押しつけた。痛みに小さく呻くのさえも、気遣ってやる余裕はなかった。
薄暗い更衣室に、男たちの呼吸だけが響く。
予想に違わずそのたくましい肉体は処女で、開かせるのは容易ではなかった。
「は……っ」
初めての刺激に腰が跳ね上がる。まだ指二本だというのに、そこはぎりぎりと締めつけてきて侵入を拒もうとする。だがその狭さも、焼けそうな熱さも、押さえつけるのに苦労する四肢でさえも、劉鵬には楽しくて愛おしくてたまらない。
「……痛いか?」
努めて優しく尋ねると、潤んだ目が睨みつけてきた。
「……なわけねえだろ……ぅあっ」
身をよじらせた黒獅子は、自分の頭を抱え込むようにして顔の上で腕を交差させる。髪をかき上げただけかと思ったが、そのまま腕を下ろす気配がない。
「おい?」
その腕をどけようとすると、弱々しく振り払われる。
「見てんじゃねえよ……」
消え入りそうな声で呻く黒獅子は、いつのまにか普段のふてぶてしい態度で自分を守ることを忘れていた。そんな姿を前にして、愛おしさよりも罪悪感が先に立つ。
「すまんな……」
「うるせぇ……早くしろ……」
上ずったかすれ声でぞんざいに誘われては、自制心などひとたまりもない。劉鵬は内心で謝りながら、黒獅子に襲いかかっていた。

さして広くもないロッカールームに、ほとんど裸の男二人が息をつきながら座り込んでいる。劉鵬は自分がへこませたロッカーの扉を横目に睨み、どう収拾をつけるか考えていたつもりだったが、開いた口から洩れたのはまったく別の思考だった。
「男ってのは……ダメな生き物だな」
「ああ?」
黒獅子が勝てなかったのは、自分を抱いたからだ。そこに生まれた強い執着と愛着が、彼の中の獣を飼い馴らしてしまった。顔見知りには吠えない番犬と同じ。それを悟った劉鵬もまた、同じところにいる。
「……次は、互角か」
劉鵬の言葉に、黒獅子はため息をついて首を振った。
「もう……てめえとは戦えねえよ」
顔を上げた彼に正面から見据えられ、劉鵬は力なく目の前の相手に腕を伸ばす。それを黒獅子がごく自然に受け止めて抱き合ったときには、二人とも完全に理解していた。
「ああ……どうやら、そうらしい」
得たものとひきかえに失ったものの正体を。
失うことによって手に入れた、かけがえのない存在を。

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