ホームズ/ワトソン
3_100329sh06_gen
3_100329sh06_gen
常習犯
ゲイリーはその留置場の常連だった。
悪事など思いつきもしない小心者だったが、ただ酒癖が悪かったのだ。
行きつけの店で飲んだくれては、他の客や通行人にケンカを売る。もれなくここへぶち込まれ、妻か息子が迎えに来る。保釈されてはまた酒を飲み……そのくり返し。
ゲイリーのようにここへ放り込まれる人間は大概が常習犯で、顔なじみも少なくない。
だからその紳士二人のことも、よく知っていた。
少なくとも、彼らにまつわるエピソードを新聞で読んでいる連中よりは、彼らを知っていると断言できる。
今日も二人は、立派なツイードのスーツや仕立てのいいコートを汚して、肩を落とし檻の中へ入ってきた。
「やあ、パーティ帰りかい、ホームズ先生。ずいぶんくたびれてるね」
声をかけたゲイリーを、黒髪の紳士は一瞥してすぐ笑顔になった。
「ゲイリー、久しぶりじゃないか。そっちこそ気を落とすなよ、奥さんだって頭が冷えたら帰ってくるさ」
まったく、この探偵には驚かされるばかりだ。先日ついに愛想を尽かした妻が出ていったことを、どうして知っているのだろう。
以前にも彼は、家の中でなくした時計のありかを教えてくれた。彼が言ったとおりの場所から時計が見つかったときには、背筋が寒くなりさえしたものだ。
自分だけではない、常連はそうやってなにかしら彼に恩があったから、相当な悪党でないかぎりは、彼を疎み憎む者はいなかった。
彼の連れも、ときには探偵より人気があった。留置所内でアルコール中毒や貧血で苦しむ者が出れば、見張りの警官よりも早く駆けつけて適切な処置をしてくれる。
ゲイリーも寝たきりの母のことを相談したことがあった。彼に教わった療法を試すようになってから、母の調子はよくなってきている。保釈までの暇つぶしではあっても、名医は手を抜いたりしなかった。
ただし、虫の居所が悪くなければの話だが。
今日はあいにく、最悪の機嫌らしい。
「だから私はイヤだって言ったんだ!」
ああ、またはじまった。
ゲイリーは同じく常連の連中と視線を交わす。こうなると声をかけることすら許されない。彼らに絡んだ愚か者が一発でのされるのを、ゲイリーは何度か見ていた。
「きみだって楽しんだじゃないか。昨日の熱い夜を忘れたとは言わせないぞ」
「それは蒸し暑い工場での張り込みのことか!? 誤解を招くような発言はやめてくれ!」
ゲイリーの横で、「誤解なもんか」とジゴロの青年がにやつきながら呟く。
巷では名探偵と噂されている男だが、どうもやりすぎるきらいがあるらしい。警察に無断で捜査しては派手な騒動を巻き起こし、とりあえずここへ放り込まれる。相棒の医者と責任問題を言い争い、翌日ヤードの警部が迎えに来るのも含めて、定番化した風景だった。
「もういい、もうたくさんだ! 私は今度こそあの部屋を出ていくぞ!」
「そんな金どこにあるっていうんだ! ぼくは一ペニーだって貸さないからな!」
「きみが金を貸すだって、先月の家賃も払えてないくせに! そのコートもシャツもスカーフも私のものじゃないか!」
肩をすくめたゲイリーは高利貸しの老人を見やったが、彼は首を振っただけだった。客になる可能性は低いということだ。ゲイリーもそう思う。
長身の友人が言うとおり、袖の長さが明らかにおかしいシャツを着た男は、天を仰いで胸に両手を当ててみせた。
「きみがそんなに薄情な男とは知らなかった、毎週きみのために身体で稼いでいるのに……」
「ボクシングはきみの趣味だろう!! だから紛らわしい言い方はやめろ!!」
「曲解するほうが悪い。だいたいきみこそ……」
悪びれずにそう答えながら、探偵はそっと自分の片腕をさする。
それを目ざとく見つけた医者が、無言でその腕をつかんだ。
むだのない手つきで彼の袖をまくり上げ、青黒く変色している肌を見て眉をひそめる。
「……いつだ」
「警官とやり合ったときだよ。大事はない、ただの痣だ」
「それは私が決める。帰ったらもう一度見せるように」
「……ありがとう、ワトソン先生」
遠慮がちに呟いた探偵は、上目遣いで相手を見る。素直に礼を言われた医者も目を泳がせた。つい今の今まで怒鳴り合っていたから、気まずいのだろう。
「まあ……無事でよかったよ、ホームズ」
「きみも……よかった。もし怪我でもしていたら、ぼくの責任だ」
「なにを言うんだ。きみ一人を危険な事件現場に行かせるわけにはいかない」
「ワトソン……」
暫し見つめ合った二人は、視線だけで和解したのだろうか。安堵にくつろいだ表情を浮かべて、互いの肩にもたれかかった。
檻の中に、言葉にならない嘆息が広がる。
その紳士たちが実際にどういう関係であれ、彼らが「うまくいっている」ことが、この留置所内においては不可欠だった。彼らを「同好の士」と見なして狙っている連中も何人かいるようだが、根が正直なゲイリーはただ二人の幸せを願っていた。なんといっても、父の形見の時計を見つけ、病気の老母を救ってくれた男たちだ。
なぜだかふと、愛する妻のことを思い出す。
ここから出たら、彼女の実家へ謝りに行こう。酒をやめて、ちゃんとした職に就くと約束し、キスをしよう。理由はわからないがそんな気分になった。
よき隣人の決意など知るよしもないシャーロック・ホームズとジョン・ワトソンは、いつもどおりに身を寄せ合って、凍える留置場の夜をやり過ごそうとしていた。
※コメントは最大500文字、5回まで送信できます