往壓/放三郎

2006_天保異聞妖奇士,[!],[R18]

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蔵書を積んである棚から、無作為に何冊かを取り出して傍らへ積む。
ここにある本は、放三郎自身の手ですべて整然と類従されていた。こうして乱暴に出してしまっては、元の場所へともどすのも骨が折れる。
「……なにを、しようとしているのだ……私は……」
詮なきことと知りながらも、確かめずにはおられなかった。

往歳類従抄(おうさいるいじゅうしょう)

往壓は薄暗い庫内を見わたし、疲れた目を向けてくる。非難がましいその顔を見ないようにして、放三郎は足元に積んである本の山を指した。
「先日、崩してしまった本を元に戻したい。時代と国で分けて並べていたのだ。私一人では手に余るが、他に手伝わせられる者もおらぬゆえ、手を貸してほしい」
「たしかに、暇人はおれくらいだろうが……」
往壓はぼりぼりと肩を掻きながら、一冊手にとって表紙を眺める。
「蘭学なんぞ知らねえぞ? 分けるったって……」
「蘭学の棚は向こうだ。ここには国学と古典しかない。わからなければ訊け。さあ、はじめるぞ」
不満たっぷりの表情をとり繕おうともしない往壓だったが、本を押しつけられると、渋々といった様子で動きはじめた。
「なんでこんなにあるんだ……」
ぶつぶつとこぼしながら、表紙をちらりと見ては無造作に棚へと置いていく。
その姿に落胆し、少しは真剣にやれと怒鳴ろうとして、放三郎は口を閉ざした。往壓の仕事ぶりは、いいかげんでもずさんでもなかった。
そもそも、どの棚になにを置くかすら教えていないのだ。それなのに往壓は、すでに棚にある本の表紙を見ただけでその並びを解し、同じく表紙だけで中身を瞬時に判じている。薄汚れた浮民の業とは思えない。
放三郎が中身を確かめようと開きかけた本も奪い取って、ぽんと積み上げる。不安になって手を伸ばしかけると、往壓がこちらを一瞥もせずに言う。
「時代と言うから、唐詩選は太平策といっしょでいいと思ったが……やっぱり別にしたほうがよかったか? 郭注壮子と合わせて横へ置くか?」
「いや……みごとだな」
思わず呟いたその言葉に、往壓の手が止まった。
ちらりと、剣呑なまなざしが投げられる。
「あんた……まさか……」
「竜導?」
往壓は暫し手にした本を見つめていたかと思うと、やおらそれを床に叩きつけた。
「ふざけるな!!」
「竜導!?」
それだけではおさまらない、といった顔で、たった今自ら並べたばかりの本をすべて床へ払い落としてしまう。
「なにをする……」
「やめだやめだ! こんな遊びにつき合ってられるか!」
いきなり声を荒げ、おそろしい剣幕ですべての本を書棚から投げ出そうとする。わけがわからないながらも、大切な本を破かれでもしてはたまらないと思った放三郎は、あわてて床に這いつくばり、散らばった本を両手でかき集めた。
「やめろ竜導……」
うろたえる放三郎を冷然と見下ろし、往壓はその頭上へさらに怒声を浴びせる。
「おれを試してどうする!? やっぱりおれを竜導家にもどそうってのか!? は、そりゃあ今さらむりだよな、じゃあなんだ!? 学問を捨てたおれへの当てつけか!?」
「ちが……ちがう! 私は……」
だが、往壓の啖呵は止まりそうにもない。
「いくらおれが暇人だってな、あんたのくだらねえ暇つぶしにつき合ってやる義理はねえんだよ!!」
「私は……っ!!」
あごを上げ、必死に往壓を見上げる。怒りに燃えるその目は憎々しげでさえあり、放三郎の心を鋭く射抜いた。痛む胸に本をかき抱き、放三郎は唇を震わせる。
「おまえが、捨てようとしたものを知りたかっただけなのだ……」
本を抱え、ひざをつき、詫びるように頭を垂れて。
「どうこうしようという腹などなかった。ただ、確かめたかったのだ。おまえが、ほんとうに捨ててしまったのか……私にとっては大切なものを……」
「なんだと……」
下級武士の生まれである放三郎の家では、書など二の次三の次だった。
食うために他家へ取り入り、あるかなきかの矜持を保つために剣の腕を磨き、しまいには勘当同然に家を出て学問の師を求め……本一冊を手にするにも大いなる犠牲がつきまとう、そんな日々だった。
己の求める学問を真に修めることを決意したときも、仲間を売り、誇りを捨て、身を売る覚悟で小笠原家に入るしかなかったのだ。
竜導家の家柄を知ったとき、心の底から羨ましいと思った。学問を生業とし、学問に生涯を捧げることができる。もし己が竜導家に生まれていれば、などと意味のないことまで考えた。ひと世代もちがうのに、己がもう一人の「竜導往壓」であったなら、と思ってしまった。
どれほど古く希少な書物も、往壓には重荷でしかなかったのに。
「すまぬ、竜導……おまえを傷つけるつもりは……」
「……………」
激した往壓の、荒い息だけが聞こえる。
やがて、往壓はゆっくりと跪いた。
唾され罵られても、ことによっては殴られても仕方がないほどの剣幕だったから、放三郎も覚悟を決めてぎゅっと目を閉じる。
「顔を……上げてくれ。おれが悪かった」
目を開けると、往壓は放三郎の腕からこぼれ落ちた本を拾い上げていた。
「晏子だな。外伝の八か。景公のころの……」
「……そうだ」
先ほどのように表紙だけで中身を言い当てた往壓は、ふっと苦く笑って頁をぱらぱらとめくる。
「見てのとおりだ……なんにも捨てられなかったのさ。養子の往壓殿には悪いが、おれは今でも竜導家の往壓だ」
往壓は床に散らばった本を一冊ずつ、埃を払いながら拾いはじめた。
「十五までに、家の本を残らず読んだ。そこに答えがあるような気がして……なにもないとわかると、すべてを丸覚えしようとした。頭ん中をなにかでいっぱいにすりゃあ、異界のことなんぞ考えられなくなると思ったんだよ。ガキの浅知恵もいいとこだ」
放三郎は呆然と目の前の男を見つめた。かつて神童と呼ばれたであろう少年の面影はどこにもなく、疲れきった年寄りが一人、己の散らかした本を拾い集めていた。
だが、往壓は十五歳までに学んだことをすべて、未だ持ちつづけている。望まなくとも、往壓にはその才があるのだ。
「ともに……」
放三郎は本を抱きしめたまま、身を乗り出す。
「ともに、蘭学を学ばぬか」
往壓ほどの才を持つなら、今からでも多くのことを学べるはずだ。学問を機にして、武士に立ち戻れることも夢ではない。なにより、きっと楽しいだろう。
だが、往壓は首を縦には振らなかった。
「……それはできねえ」
すまなさそうに目をそらし、集めた本をひざの上でていねいに揃える。
「おれの頭ん中に入ってるのは、ただの文字だ。あんたみたいに知識として使ったり楽しんだり、ってもんじゃない。おれに学問をする資格なぞ……」
「そう、か……」
落胆はしたが、半ば予想していたことでもあった。一度、自らを取り巻くすべてを拒んでいるのだ。今さら、という思いもあるだろう。
「うまくいかぬものだな……おまえが捨てようとするものは、すべて私のほしいものばかりだ……」
学者の家に生まれた往壓は、剣を欲した。武士になるよりほかなかった放三郎は、学問を欲した。二人とも、己の持たぬものを求め、そして、己の望む生き方とはかけ離れたところに立ちつくしている。
「頭の中身も漢神の力もやれねえが……」
低く呟いた往壓の手が、そっと放三郎の肩に置かれた。
「この身はあんたにくれてやるよ。好きにしな」
「竜……」
放三郎の答えも聞かず、往壓は本を抱えて立ち上がる。
それをまた無造作に棚へ放り込みながら、あらぬ思いに耳まで赤くした放三郎を見下ろし、にやりと笑った。
「本棚の片づけなら、いつでもつき合うぜ」

往壓がさらに散らかしてしまった本を、二人で片づける。
本のないところには往壓もなにを置いていいのかわからなかったから、自然と二人で肩を並べ、指図したりされたりで作業は進んだ。
「この、晏子だが……これも、すべて覚えているのか」
晏子春秋の全巻を積み上げているうちにふと気になり、放三郎は肩が触れそうなほどそばにいる往壓を見やる。
「ああ。一言一句違わずと言われりゃあさすがに心もとないが、粗筋くらいなら頭から順に挙げていける」
その程度なら、放三郎にもできないことはない。しかし、往壓がそれを覚えたのは放三郎が生まれる何年も前だ。空白の期間を思えば、その尋常でない才に感服するばかりである。
「人は見かけによらぬな……」
「あんたが言うか、それを」
「なに?」
意味がわからず問い返したが、往壓は肩をすくめただけだった。
「そういや……景公は、えらく美しい顔立ちだったそうだな」
「?」
いきなりそんなことを言い出すものだから、それがつい先ほど話に上った晏子の一節だと気づくのに少しかかった。往壓は放三郎の前にある山から一冊を抜き出して手渡すと、物語りをつづける。
「ある卑しき男が、たまたま目にした景公の美しさに惚れこんじまった。景公は怒り、男を捕らえ、殺そうとした。……その景公に、晏子はなんて言ったと思う?」
挑むように一瞥され、思わずむっと唇を引き結ぶ。先ほどの仕返しに、こちらを試そうというのか。
「……主君を思う心は貴きものである、それを誅するは人の道に外れる……と」
たしか、そのような意味合いだったと記憶している。往壓は「よくできた」と言わんばかりの笑顔で放三郎の肩を叩いた。
「あるじに岡惚れするも正しき道、ってわけだ」
「……楽しんでおるではないか」
なにがただの文字でしかない、なのか。こんな冗句をやりとりできるほどには、中身を理解しているではないか。
頬に鼻が触れそうなほど顔を近づけてきて、往壓は低い声で囁く。
「景公は、どれほどきれいな顔してたんだろうなあ」
「……………」
往壓が、古代の君主と「卑しき男」を今この場になぞらえていることはわかっていた。放三郎は本を開いたまま、横目で相手を睨みつける。
「私は、晏子に諫められてばかりの景公などごめんだ」
「ははっ、ちがいねえ。諫められてんのはおれだからな」
言いながら、往壓は放三郎の襟元に悪戯な指をすべらせた。
「竜導……」
思わず詰るような声音になると、「ほら」と笑われ、返事につまる。横から抱きつかれても、迂闊に不平も洩らせない。
「それに……私は美しくなどない」
放三郎の目は、景公を形容した文字に注がれていた。
「女に交わると書いて、うつくしいという字だが……女が脚を組み、媚態を示す姿をあらわしている。つまり、艶めかしく淫らなさまを示す。景公は……ぁっ」
耳朶を甘く噛まれ、そのつもりはないのに声が上がってしまった。それに気をよくしたのか、襟から這い込んだ指が肌をまさぐる。
「なまめかしい、か。自信持っていいぜ」
身体がかっと熱くなる。それが怒りなのか羞じらいなのか、あるいは欲なのか、放三郎にもわからなかった。
「なにを言う……」
向きなおろうとしたところで、正面から唇をふさがれた。
そのあいだにも、手は腰のあたりをまさぐっていて、袴の紐を解こうとしている。
「……竜導!」
唇が離れ、大きく息をつきながら声を上げたときには、袴は押さえていなければ落ちてしまうような有様になっていた。
「怒っておれの首を切るか?」
たしかに今の往壓の行いは、手打ちにされても文句は言えないほどの不敬にあたるだろう。
それでも。
「あるじを思うは……貴き心なのだろう……?」
深くため息をついて本を棚へ置き、往壓の肩に頭を乗せる。古代の軍師のせいにしてしまえば、すべて許される気がした。
二人は書棚のあいだに崩れ落ちる。
「竜導……このようなところで……」
左右には背丈ほどもある棚が迫っていて、今にも不謹慎な二人の頭へ本を降らせそうだ。ここで事に及んでしまうのは智への冒涜ではないかと、放三郎は今さらながら畏れを覚える。
だが往壓はといえば、乱暴に袴をのけ、ためらいもなく放三郎のひざを広げていた。
「脚は組むより広げたほうが淫らだな」
「……………!」
ぶつけてやる言葉が見つからない。助平ジジイ、と罵ってやろうかと思ったが、己の品性のほうが下がってしまう気がして口をつぐんだ。
「は……」
ひざ頭に口づけられ、くすぐったさに身をよじれば、その唇が腿へと下りていく。日に焼けていない内股に紅い痕が散らされ、そのたびに息が荒くなる。
「りゅうど……!」
まわりくどい愛撫に硬くなりかけていた中心へ、下帯の上から往壓の唇が触れた。細い腰がびくりと震える。往壓はちらりと上目遣いに放三郎を窺うと、下帯を緩めてじかに舌を這わせた。
「や、やめぬか、そのようなこと……」
くわえ込まれて強く吸われ、目のくらむような刺激に放三郎は哀願の声を上げる。暫しその戯れを楽しんだ往壓は、濡れた唇を舐めながら放三郎の顔を覗き込んだ。
「……こんなになって、そんな声で言われても、聞く気にゃなれねえなあ」
「ん、っ!」
濡れた先端を硬い指でこすり上げられるのに耐えられず、唇を噛んで目を伏せる。そのさまを見下ろしていた往壓の顔から、いつのまにか笑みが消えていた。
「もう……我慢できねえ」
かすれた声で囁いた往壓は、焦れたようすで自らの下帯を緩める。そして白い両ひざを抱え上げたかと思うと、すでに大きくなっていた熱を放三郎の中へねじ込んできた。
「ああ……っ!!」
自らの声が思わぬ大きさで庫内に響きわたり、放三郎は思わず口を押さえる。
「だれも寄らねえよ……わかってるだろ?」
言葉こそ余裕を見せようとしていたが、その声も調子も切羽詰まっていて、おかしいほどに真剣だった。
「やっ、あぁ、竜……ぅんんっ……」
放三郎は笑おうとして、代わりに嬌声を上げさせられる。
一心にその肩へすがりつき、喘ぐ息のあいだから往壓の名を呼ぼうとした。しかし揺さぶられるごとに高みへと追いつめられ、言葉すらも出なくなってしまう。
「あああっ!!」
二人の身体のあいだで、放三郎の熱が弾けた。
「そっ、そんなに締めんな……っ」
往壓が上ずった声を上げて腰を引く。ずるりと濡れた音を立てて引き抜かれた次の刹那、腹の上へ熱いものがぶちまけられる。
「あ……」
二人ぶんの精を浴びている己の腹を見下ろした放三郎は、あまりの光景に眩暈を起こしそうになった。
「景公は……このような辱めは受けなかっただろうな……」
上目遣いに睨みつけてやるが、返ってきたのは悪戯っ子さながらの笑みだけ。肩で苦しげに息をしているさまを見ると、憎まれ口をたたけるほどに元気ではないのだろう。
「どうするのだ……こんなにして……」
首を反らして目を閉じれば、いくらか息の収まったらしい往壓の声が降ってくる。
「中に出すよりいいだろ。愛しいあるじを思いやったんだよ」
言い訳めいた科白を咎めるより先に、「愛しいあるじ」という語に我知らず頬が熱くなった。言葉のあやだとはわかっていても、面と向かって言われれば、その気になってしまいそうだった。
「うるさい。貴様のように無礼で卑しい男は、晏子でも誅すべしと進言するはずだ」
放三郎は腹の汚れをなすりつけるように往壓を抱き寄せ、その口を封じた。

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