往壓/放三郎
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臥待月
日が差す明るい座敷と、柔らかく上等な布団。おまけに糊のきいた寝巻。
なにもかもが肌になじまず、寝返りすらためらわれるほどだ。
布団の中で居心地の悪い思いをしていると、ばらばらと幾人かの足音が聞こえてきた。ほっとして、上掛けをのける。
「おはよう、往壓さん」
「生きているか、竜導!」
「調子はどうです?」
仲間たちが入ってきたおかげで、静かで広く見えた座敷は騒がしくこぢんまりとした場に姿を変えた。
「おう、上々だ」
身を起こそうとした往壓の笑いが、そのまま引きつった。
「往壓さん?」
アビがあわてて上掛けの足元をめくる。往壓がここに寝ている原因である、左足の怪我を案じたのだ。
左ひざの下あたりを、血も出ぬほど鋭い爪で裂かれた。骨や筋には大事ないが、数日はおとなしくしていること、というのがアビの見立てだった。
「いや、傷はいいんだが……今度はちょいと腰が痛くてなあ」
「腰が? そいつはいけない、ついでに診ましょうか」
往壓が布団の上で起き上がるのを手助けしながら、アビは真顔で覗きこんできた。なにしろ怪我人や病人の手当ては、古き民の知恵を持つアビの役目だ。
いやいや、と笑いながら手を振り、往壓は障子の外を見やった。広く開かれた障子の向こうには、抜けるような青い空を擁する上品な庭。明るいところで見ると、手入れが行きとどいているのがよくわかる。
つられて外へ目をやった宰蔵が、首をかしげた。
「月見が過ぎたのさ」
青い空にくっきりと濃い緑のとげを刺している松の木には、ゆうべは白い月が引っかかっていた。そう言うと、目を細めて松を見た元閥が、呆れたように笑みを浮かべる。
「臥してなお、月を待つとは……往壓さんも大概、風雅なお人だ」
「そうかい?」
傷の具合を診ようとしたアビの眉がわずかに動く。寝巻が替えられていることに気づいたのだろう。アビはちらりと往壓を見やったが、いつもどおりの慎み深さを忘れずに、黙って傷を覆う布を外しにかかった。
その気遣いに心の裡で頭を下げながら、往壓はふっと部屋を見まわす。
「お頭は?」
探すまでもなく、はじめから一人足りないことはわかっていた。その理由も、それなりに知ってはいた。
だが宰蔵が勝ち誇ったように眉を上げ、その消息を告げてくれる。
「跡部さまのお屋敷に出向かれた。昼までぐうたら寝ているおまえとちがって、お頭は忙しいのだ!」
「そうか、そりゃたいへんだなあ……」
しみじみと、心の底から憐れんだつもりが、そうは聞こえなかったらしい。宰蔵はいよいよ眉をつり上げ、元閥とアビは声を出さずに笑っている。
「あの人は、往壓さんみたいに月見なんてしないでしょうねえ」
元閥の言葉に、だが往壓はぎょっとして顔を上げる。
アビがまた、無言で往壓の顔を見た。布がずれているのに気づいたのだと往壓は思ったが、やはりなにも言わなかった。
「草木も眠る、丑三つ時……か」
庭から虫の声が聞こえるほかは、なにも音のない、静寂の闇。己の呟きさえもが大きく聞こえるからふしぎなものだ。
こうして縁側に寝そべっていると、涼しげな風が前髪やゆるくほつれた鬢を揺らしていく。このなんともいえぬ心地よさは、きっちりと髷を結っている者にはわかるまい。そんな他愛もない優越感に浸りながら、往壓は明るい夜空を眺めていた。
「あんたも寝ていいんだぜ」
座敷を顧みずに声だけをかければ、はっと身じろぎする気配があった。
「たしかに、少しつき合えとは言ったがな。月も見ずにジジイの背中眺めてるとは、あんたもつくづく酔狂だぜ」
「わ、私は……」
いきなり声をかけられたことに驚いたのか、それとも己のまなざしの行く先を読まれたことにうろたえたのか。とっさに言葉を返せるわけでもなく、乱れてもいない裾などをむだに直しているらしいのが、ひどくおかしい。
「……まだ、痛むか」
必死に話題を探した、といったようすに往壓は思わず笑ってしまったが、それも意地が悪いと考えなおした。
一人ではつまらぬからと放三郎を月見の道連れにしたのは己のほうだ。なぜ私が、十九夜など真夜中ではないか、などとお決まりの小言はあったが、それでも放三郎は夜着のままこの座敷へやってきて、もう丸一刻もこうして往壓の後ろに座っている。
「いや。アビの薬はよく効いてる」
「ではなぜ眠らぬ」
痛みが残っているから起きている、と思っているらしい。これほどに案じられるのは初めてで、往壓は居心地の悪さすら覚えた。
深手とはいかないまでもそれなりの傷を負った往壓を、放三郎が自らの屋敷に引きずり込むようにして連れてきた、だけでも常ならぬことだというのに。
「月が眩しいのさ」
わけがわからず、ただそう答えて、傍らに置いていた酒瓢箪を引き寄せる。
痛みをまぎらわせるのには酒がいちばんだ、とはアビと往壓の一致する言で、手当てのついでに置いていったものだ。妖夷の血を加えてあると聞いた。並みの酒は辛い水くらいにしか味わえぬ往壓を、唯一酔わせられる酒でもある。
「ならば、部屋へ入れ。わざわざ明るいところへ出ていることはない」
「ああ……」
小うるさい乳母のようだと思いながら生返事をすると、後ろから手が伸びてきて、酒を取り上げられた。
「おい……」
さすがにむっとして、往壓もようやく顔を相手のほうへ向ける。
「貴様は怪我人なのだ! 障子を閉めておとなしく寝ておれ!」
「な……」
言い返してやろうと口を開いたまま、往壓は止まってしまった。放三郎は口をへの字に曲げて、泣き出すのをこらえる童のような顔をしていた。それだけでは済まず、やけくそのように瓢箪の酒をあおった。
それはおれの酒だ、あんたには強すぎる、などと言う気もなくなり、左足を引きずりながら、のそのそと座敷へ這い上がる。ほんとうに寝るより他ないらしい。
「いってぇ……」
「むりはするな」
「してねえよ……」
支えに伸ばされた手を払おうとして、ふと悪戯心がわいた。ちらりと見上げれば、思ったよりも近くに相手の顔がある。
「竜導?」
袖を引き寄せ、唇を重ねた。舌先でなぞると、濡れた唇は酒の味がした。
「な……っ」
明るい月明かりのおかげで、白皙に血が上るのが目に見えてわかる。
「なにを……」
取り乱しうろたえる姿がおかしくて、もっとからかいたくなる。袖をつかんだまま、ぐいぐいと引いた。
「そういうつもりで、ここにいたんじゃねえのか?」
「ちっ……ちがう!! そのような下心などない!」
放三郎は口元を拭いながら、険しい顔で睨みつけてくる。
「じゃあなんでこんな刻限まで……」
さらに顔を寄せると、放三郎は身体ごと後ろへ引いた。ほんとうに嫌がっているようにも見え、往壓は顔に出さずふてくされる。そのつもりがないのならば、さっさと出ていけばいいものを……。
「私は、ただ……」
ふいっと拗ねたように横を向いた顔が、また幼くゆがむ。震える唇からこぼれた声も言葉も、童の言い訳のようだった。
「月を見るおまえが……異界を語るときと同じ顔をしていたから……」
「なに……?」
往壓は若者をからかうのも忘れ、その横顔を暫し見つめていた。その二つが結びつかなかったからでもあるが、放三郎がずっと気にかけていたものの正体を知って、どんな顔をすればいいのかわからなかったのだ。
この座敷から、この世から、消えてなくならぬように見はっていた……?
「……なんだ? おれが、月に帰るとでも思ったのか?」
「ばかにするな。お伽噺と現の別もつかぬと思うか」
間の抜けた問いに、間の抜けた答えが返ってくる。だが笑い飛ばしてしまえるほどの気安さは、互いに持ち合わせていなかった。
「どうかねえ」
往壓は再び外を向き、今度は放三郎の腿にひじを置いて寄りかかった。
「ああ、こりゃあいいな」
脚は伸ばせるし、しゃんとした胸が背もたれになってくれるし、思ったよりも具合がいい。なにより、あたたかい。
「竜……」
あわてふためく気配を着物越しに感じながら、往壓は夜空を指した。
「見ろよ、小笠原さん。あれはただの月だ。たしかにおそろしく綺麗で引き込まれそうだが、あそこで光ってるしかできねえのさ。だから気を揉むことなんかなにも……」
なにもない。そう言えば、この男の気が収まるなどと、なぜ思ったのか。
「月には行かずとも、異界には行ける……」
硬い声と、細い腕が、往壓を背中から抱きしめる。
「……行かねえよ」
そう返すまでに、わずかな間を作ってしまった。おまけに声は低くかすれ、放三郎の心を乱すには充分だっただろう。己の失策に思わず唇を噛む。
「……そんなに言うなら、行かせない手でも考えるんだな」
誘いの言葉と、流し目と。それだけくれてやって腕からすり抜ければ、背中を押されて前のめりに倒れる。
「お、」
名前を呼ぼうと思ったときには、もう放三郎が後ろから覆いかぶさってきていた。
狙いどおりの筋書きに、往壓は口の端だけで笑んだ。図らずも強い酒を飲んでしまった放三郎の箍は、平素より外れやすくなっている。こうするのが、話をうやむやにするにはいちばんの手だ、と思った。
「竜導……」
苦しげな囁きが、耳の後ろをくすぐる。それは背筋を駆け抜ける官能を与えてくれたが、官能ともちがうなにかが、往壓の胸をちくりと刺していった。
布団の手前で、二人は重なり合っていた。ほんの少し動けば、柔らかな布団に身を沈めることができる。だが、なぜか二人ともそうしなかった。
広く開いた襟から、熱い手が這い込んでくる。長いこと縁側で風に当たっていたせいで、こちらの肌はずいぶんと冷えていたようだ。放三郎が伝えてくる熱と愛撫に、往壓は肌を粟立たせた。
手は、裾をも割って入り込む。下帯を緩めるのに手間取っているようだったから、自ら手伝ってやると、苛立ったように肩へと噛みつかれた。腰に押しつけられる熱はすでに硬さを持っていて、あとには戻れそうにもない。
畳がこすれる音がして、放三郎がなにかを引き寄せたことを知る。つづいて、栓の抜かれる音、酒の入った瓢箪がかたむけられる音……。
「おい、そりゃあ……」
ふり返ろうと身をよじるより先に、冷たく濡れた指が、ぎこちなく入り込んできて、往壓は思わず身を硬くしていた。
「ひ……っ」
並みの酒よりも濃く、とろりとしたそれは、放三郎の指に絡み、往壓の襞に染み込んでいく。はじめに冷たく感じたのが、しだいに熱く往壓の奥を疼かせるようになった。
「あ……もっとだ……」
浮かされたままで相手の指を締めつければ、首筋にかかる息がさらに荒く、熱くなる。
「竜導……」
先ほど口にした酒と、今この座敷に立ち上る香で、放三郎は確実に我を失っていた。
「あんたのも……濡らせよ……きもち、いいぜ……」
「ああ……」
もはや放三郎は往壓の、己自身の欲の支配下にある。この気位の高い男を意のままに動かす、それはひどく愉しいことのはずなのに。
往壓は今一度、痛む胸を押さえていた。
「ぁ……」
喉をそらして放三郎が甘い声を洩らす。
いつもならば引き攣れるような痛みを互いに堪えなければならないが、今夜はつながったところから溶け合う気すらしてくる。これも、妖夷の酒が所以なのか。
「ぅう……ん」
下肢が痺れそうな悦楽をどうにもできず、よりどころもなく畳の目を引っかく。身を震わせた拍子に、左足を放三郎の足にぶつけてしまった。
「つっ……」
思わず声を上げれば、放三郎がふと動きを止める。
「痛むのか?」
「いや……」
これほどの愉悦を味わっている最中に、そうだと言えば興醒めだろう。往壓が黙りこんでいると、放三郎は身を寄せたまま、左足を上にして横になった。今さらやめるわけにもいかず、それが放三郎にできるとりあえずの対処だったようだ。
「いいから、小笠原さ……」
「……黙っておれ」
脚のあいだにひざが入ってきて、裏側から腿でこすり上げられる感触に息をのむ。手管など持ち合わせぬ朴念仁のくせに、放三郎は時折まぐれ当たりで、こちらの芯を探り当てることがあった。それがどれほど悦いものであっても、おそろしく感じてしまう。
「くぅ……うっ!」
放三郎は往壓の左ひざを抱き上げると、さらに深く突き上げる。自らの動きに堪えきれなかったのか、往壓の耳元で切なげな喘ぎ声が上がった。
「っあ、りゅうど……りゅう……」
どちらが抱かれているのか、と苦笑いしかけた。だが放三郎の責めは不器用ながらもそれを許さず、往壓を手加減なしに追いつめてゆく。
「ぅん……っ」
腰をひねり、ほとんど畳に這いつくばるようにして、往壓は痛みと快さに耐える。後ろから腕と脚で縛られているから、逃げることはおろか、己で動くことさえできない。与えられるだけなのがもどかしく、切なかった。
「竜導……っ!」
往壓の胸に爪を立て、その身を抱きすくめたまま、放三郎は達した。往壓もあとを追うように精を吐き出した。肌触りのいい寝巻が、じっとりと汚れていくのを感じる。
「むりしすぎだ、あんた……」
息を切らしながらせめてもの不平を洩らしてみたが、返ってきたのは思いもよらない言葉だった。
「いくな……竜導……」
放三郎の中では、話はひとつも終わっていないのだ。ずっとそのことだけを考えていたからこそ、懸命にすがりついてつながろうとしていた。
「……わかった、どこにもいかねえよ」
根負け、といった風情で呻く往壓の背中に、放三郎は顔を押しつけてきた。
「わかっておらぬ……」
今にも泣き出しそうな声だと思っていたら、ぐすりと鼻を鳴らす音が聞こえる。童をおぶっている気分だ、と往壓はため息をついた。
「貴様は、私の心など、なにも……」
なにもわからぬというのか。泣きながらこの名を呼び、息が止まるほどに力を込めてしがみついてくる若者の心を、この己が感づいていないとでもいうのか。
では、往壓が放三郎へ向ける想いを、当の放三郎はわかっているとでも……?
「……………」
背中に若者を、胸にはやりきれない思いを抱え、往壓は夜空を見上げた。
望月を少し過ぎて痩せた月は、今は少しかたむいて松の枝に刺さっていた。それでも充分な明るさで、この小さな座敷と、そこに横たわる二人を照らしている。だが放三郎には、これほど美しい月さえも見えていないのだろう。
ふいにひどく哀しくなって、畳に頬を押しつけて笑った。
放三郎はなにも言わず、ただ強くしがみついてきた。
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